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「非暴力、不服従」と「ジャーナリスト後藤健二」

にしゃんた社会学者/タレント
my life is my messageガンディーの言葉:ガンディー博物館より

2015年2月1日未明に、日本人ジャーナリスト後藤健二さんが殺害されたとの報道に胸が引き裂かれた。日本人の人質に関する情報を見ながら彼らが無事に帰国することを祈った国民にとってその結末は余りにも受け入れがたいものだった。日本中が大きな衝撃と無力感にさいなまれた。

「そこで、どんな人たちがどんな暮らしをして、どんな喜び、悲しみをもっているかということを伝えることが、私たちの仕事です」。2010年に、後藤健二氏が行った講演の一部がテレビで繰り返し流れている。

世界の情勢に疎く、無関心な日本の我々にそこで必死に生きる弱き者に寄り添い彼らが置かれている現状を通して戦争の悲惨さ伝えようとした。しかし、その高い志を私たち日本人が十分に享受出来たといえば嘘になる。いつまでたっても映像の中で見るどこか遠い世界の話として止まっていたように思う。

しかし、この2週間は明らかに違った。これ程までに戦地の情報を日本のメディアが集中的に取り上げ、我々が戦争の悲惨さを互いに口にしたことは今まであっただろうか。後藤氏の尊い命と引き換えに彼の高い志がやっと叶ったような気がしてならない。やるせない気持ちでいっぱいである。彼の死は何だったのか?なぜ尊い命が失わなければならなかったのか?今後どうすべきかの議論が続いている。

「これは日本にとっての9.11である」とのコメントを耳にする。何の罪もない日本人が殺害され、日本国民全員を攻撃の対象にすると名指しで言われた以上、コメンテーターがこの発想に至る気持ちは理解できる。いわずして暴力は許してはならない。「暴力と戦う」ことを強く心に決める必要がある。いかに戦うのかが最も重要である。

世界が認識している「戦い」とは「暴力」である。広く共有している常識において、戦いと暴力は切り離すことはできない。エジプト・カイロでの安倍首相の「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」との発言が「日本から8500キロも離れた場所に来て戦いを挑む」とISILにとって彼らに向かう「日本からの暴力」と解釈されたとしても世界の主流の常識から理解できなくはない。

日本が戦争をしない「非暴力な国」なのか。「日本は非暴力国家である」と世界に向けて発信された声は聞かない。もしも日本は断固として暴力に加担しない国ならば、今までのように阿吽の呼吸に任せてはならない。世界の常識が異なる以上、察する文化はあり得ない。「1言って10解る」とはいかず「10言って1解る」が正しい。

安倍首相をはじめとする日本の要人が「テロと戦う」という発言する際には必ず「国際社会と共に」が付いてくる。そこにこそこの国の最大の矛盾が生じ、他者からの誤解が生まれる。日本が念頭に置いている米英仏などを含む国際社会の「テロとの戦い」は暴力による戦いである。つまり日本の常識は世界(国際社会)の非常識となり、世界の常識は日本の非常識となる。日本は非暴力な国ならば、そのことを国内外においてハッキリと何度でも繰り返し発言する必要がある。

ISILが、ジャーナリスト後藤健二氏を殺害する理由は、この国の首相の言動にあると「ABE(安倍)」と呼び捨てで名指しした。ISILに拘束されている日本人の人質がいることを分かっていながら、なぜ日本政府がこのことを表面化する前の早い段階で救出に勤めなかったのか?なぜ外国人ジャーナリスト人質の救出の実績もある最大親日国トルコの力を借りなかったのか?ISILとパイプのあるというイスラム学者の中田考氏などをなぜ活用しなかったのか?なぜ首相がこのタイミングで、中東を訪問し、ISILとの戦いを支援する趣旨の発言をあえてする必要があったのか?ヨルダン人パイロットの「モアズ・カサスベ中尉が1月3日に残虐な方法で殺害されていたとの情報を事前に得ていた」とモマニ情報相が後になって明らかにした。ならば、なぜ、あの時点でISILが提示した、後藤健二氏とリシャウィ死刑囚を互いに解放し合う条件にヨルダンが協力しなかったのか?サスベ中尉が既に死亡していることを知っていながら、なぜ実現不可能な無毛な駆け引きに執着したのか?ヨルダンは本当に親日国なのか?日本人質を解放するにあたってヨルダンに設置された対策本部は何をし、何が出来たのか?最善を尽くしたと言いながら、ISILとは最後まで直接接触できずじまいだったとは本当か?政府は人質事件の政府対応について、特定秘密情報もあるため、開示しない可能性があるとの考えを示したが、それは政府が今回の件において、いかに無能であったということを露呈してしまうという不都合な真実がそこにあるからなのではないか?志し高い尊い命が奪われた以上、日本国民からのその責任追及の矛先は現政権に向かっても仕方がない。

今は亡き、ジャーナリスト後藤健二氏だけが知る真実が多くあるに違いない。彼は最後に何を思い、我々に何を伝えたかったのか。彼に変わり母の石堂順子さんがメディアに対して最後に渡されたメッセージはこちらである。

出典:http://mainichi.jp/select/news/
出典:http://mainichi.jp/select/news/

”健二は旅立ってしまいました。あまりにも無念な死を前に、言葉が見つかりません。今はただ、悲しみで涙をするのみです。しかし、その悲しみが「憎悪の連鎖」となってはならないと信じます。戦争のない社会をつくりたい「戦争と貧困から子どもたちのいのちを救いたい」との健二の遺志を私たちが引き継いでいくことを切に願っています。2月1日 石堂順子”

「戦争のない社会をつくりたい」「戦争と貧困から子どもたちの命を救いたい」というジャーナリスト後藤健二氏の遺志と合わせ、この悲しみは「憎悪の連鎖となってはならない」という強いメッセージがそこにある。

インターネット上で「I AM KENJI」というキャンペーンが展開されている。私などは「健二」にはなれない。第一、愛する家族を置いて、戦地には行けない。彼のような高い志しも根性もない。一般の我々に比べて後藤健二氏は高邁な精神の人であったに違いない。

1月30日。この日、ジャーナリスト後藤健二氏は不本意にもこの世を去った可能性が高い。ちょうど67年の同じ日にこの世を去った人物がいる。マハトマ・ガンディーである。暴力と権力に対して「非暴力、不服従」を貫き戦うことを自ら実践し、その力を世界的に広めた人物である。彼は、マーティン・ルーサー・キングやネルソン・マンデラなどのリーダーたちを含む、世界の多くに対して「正しく戦う知恵」を伝え残した。ガンディーが生まれた10月2日は国連で「国際非暴力デー」と定めている。1948年1月30日、ガンディーは、彼と同じヒンドゥー教徒の原理主義の青年によって、近距離からピストルで3発の弾丸を撃ち込まれ殺害された。その時に、ガンディーは「あなたを許す」という意味を表わす動作である自分の手を額に当てたと言われている。自分を殺そうとした相手までもを許したのである。

2015年1月末から2月にかけて起きた今回の耐えがたい痛ましい事件を受けて、世界は「暴力で戦う」方向で動こうとしている。有志連合の参加国は改めてテロと戦う声明を出し、米大統領は来週にも「イスラム国」武力行使承認を連邦会議に対して改めて要請するという。ヨルダンは早速、死刑囚らを殺し、一時中断していた空爆を「報復」と銘打って再開した。暴力と暴力が真っ向からぶつかろうとしている。いやとっくにはじまっている。ジャーナリスト後藤健二氏の死が暴力の連鎖のスイッチになっては彼の魂は報われるはずもない。一生懸命に彼が救おうとした戦場の子どもたちは一層苦しくなるだけである。決して後藤さんの死を無駄にしないための日本が今後いかに世界の暴力と戦うか。それは「非暴力」と「不服従」でなくてはならない。

非暴力とは相手の暴力に対してのみならず、ナショナリズムの高揚による近隣諸国への暴力や国内の少数者に対する暴力、社会的弱者への経済的な暴力、少数者に向けた言葉(表現)による暴力、社会のあらゆるイジメもなくしていくということである。不服従とは、暴力を振るおうとしている勢力からの勧誘に対しての不服従、そしてあらゆる理不尽な権力に対しての不服従である。

我々は今回のことで耳にするようになった、一つの言葉に「自己責任」がある。世の中に起きているすべてに自己責任が伴う。本当の「自己責任」はこれからこそ問われる。我々一人一人の自己責任である。ジャーナリスト後藤健二氏の尊い命に報いることこそが今後の我々の「自己責任」である。自ら「非暴力、不服従」を実践し、日本を「非暴力を国是とする」国として守っていくことである。

ジャーナリスト後藤健二氏が2010年10月7日に自ら発信したツイトが話題になっている。その4年後、彼の最後を予言していたかのような内容である。後藤健二氏本人の言葉をここに引用し文を締めくくりたい。

出所:https://twitter.com/kenjigotoip/status/23238345864
出所:https://twitter.com/kenjigotoip/status/23238345864

” 目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。2010年10月07日午後10:49*後藤健二*@kenjigotoip”

世界から憎しみの連鎖と暴力がなくなり、平和がおとずれますように。ジャーナリスト後藤健二氏のご冥福を心よりお祈り致します。

□ 次の記事もご参照ください。□

安倍首相、スリランカで愛を叫ぶ!日本を救ったブッダの教え「憎しみは、愛によって消える」

忘れてはならない!JRジャヤワルダナ大統領、日本への本当の願い(サンフランシスコ講和記念日によせて)

日本、国家としての記念日は、思いやりをもって一つになってこそ!サンフランシスコ講和会議、複眼的考察

安倍首相にも教えたい!スリランカは日本のお手本である。

社会学者/タレント

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「Mr.ダイバーシティ」などと言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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