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京都で見つけたピカッと光る「日本のおもてなし」

にしゃんた社会学者/タレント
筆者撮影。

インバウンドは盛んである。道を歩いていても、公共交通を利用していても、ホテルを利用していても、アミューズメントパークに遊びに行っても、そのことを実感する。海外からの観光客を見ない日はない。数年前と比べても日本の風景は様変わりした。受け入れ条件の緩和を進めるなど、日本が国を上げて展開している観光客誘致と諸外国の景気浮揚も相まって今後もこの流れが一層加速するに違いない。

観光客の好みなども一定しているわけではない。ここ短期間を振り返っても激しく変化している。爆買いも一瞬にして死語と化した。そして、彼ら彼女らの「見る観光」から「体験する観光」への移行も指摘されている。海外からの観光客は、日本を全身で楽しもうとしているようである。観光客の好みがどれほど変わろうとも安定した需要があるのは、食についてである。何があろうとも、みんなは必ず食べる。インバウンドの流れを汲んで飲食を提供している店側にも激変が見られる。

私などは入店するなり、頼んでもいないのに多言語メニューを出してくる店が多い。人気のある店はなからずと言っていいほど、多言語化されている、逆に言うと、人気店になるために多言語化を進めている。人気と多言語化は相乗効果を生んでいるようである。むろん多言語化などしたからと十分なわけではない。「心」が伴うことがなによりも大事である。

時代が時代であっても、日本の全ての店が観光客を必ずしも歓迎されているわけではないようである。日本人によって内に秘めている、外国人に対するアレルギー反応が下品な形でふと人間社会に顔を覗かせることがある。2016年1月あたりに、京都のある店の入り口に「Japanese Only」と書いてあった張り紙がSNS上で話題になった。周りから指摘を受けた店側が「外国人お断りではなく、店員が日本語しか喋れない」という意味で張り出したと弁解した。はたから見ると理解に苦しむ言い訳ながら、店側が上手くその場を逃げ切ったと胸をなで下ろしてるに違いない。しかし少なくとも、その言動を通して、日本人の、意識の低さ、英語のレベルの低さ、または人間としてのレベルの低さのいずれか、それともその3つの全てが「日本のおもてなし」として日本の社会に存在していることを露呈し、恥を晒した。

最近はある意味怖い時代でもある。SNSの存在は無視できない。大阪の寿司屋による「わさびテロ」が国境を越えて情報として拡散された。日本の寿司を楽しみに入店した海外からの観光客に対して、店員が大量のわさびを盛った寿司を出し、嫌がらせをされたという印象を抱かせた。日本が観光誘致に力を入れ、全国で多くの人が大変な努力を注いでいる中で、真面目な日本人や日本を愛してやってきた観光客の真心を欺いたということにはなるまいか。

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私は京都に住居を置いているが、この街も社会の細部までインバウンドの波が浸透している。先日、この街でたまたま立ち寄った小さな食堂。店先の立て看板に大きい文字でのこんな書き込みがある。

「The staff hear only speak Japanese. So when you make orders if possible Please use Japanese or show on the menu. We would be very happy if you had a good time here」

同じ内容が中国語でも書かれている。「店里的服務人員只会講日語。所以点菜或者有其他需要時希望祢尽量使用日語。再次感謝祢的光願」

訳しますと「私たち、スタッフは日本語しか話しません。ですのでご注文の際は、可能ならば、日本語を用いるかメニューに指をさしてご注文ください。私たちはあなた方はここで素敵な時間を過ごしていただけたら嬉しいです。」と書いてある。

これぞ「日本のおもてなし」、京都の底力。右に倣いたいものである。

社会学者/タレント

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「Mr.ダイバーシティ」などと言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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