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ミュンヘン乱射事件の容疑者父親が告白 「息子の犯行計画は知らなかった」

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
乱射発覚後、市内店舗は緊急閉店した・マリエン広場にて 画像・筆者撮影

「息子の犯行計画は知らなかった・・・」。7月22日ミュンヘンのショッピングセンター(Olympia-Einkaufszentrum 以下OEZ)周辺で起きた無差別乱射事件の容疑者ダービット・S(18歳・以下ダービット)の父親が事件後はじめて語った。ドイツとイラン国籍を持つダービットを凶行に導いた背景とは。

この乱射事件の詳細はすでに多数の記事に詳しく書かれている。(例えばこちら)ここではその後を追ってみた。

まずは、9人の犠牲者と35人の負傷者を出したこの事件を簡単に振り返ってみよう。

7月22日17時52分、乱射開始

数分後に警察へ通報が入る

18時20分、警察、乱射現場へ到着、OEZ内へ突入

9人射殺後、ダービットは駐車場屋上へ

屋上からも乱射、合計35人負傷

18時23分、警察本部、市内の病院へ緊急体制を連絡

20時28分、OEZから数百メートル離れた路上で警官がダービットに声をかけた。ダービットは警官の目の前で頭を銃で撃ち、自殺

23日02時、ミュンヘン市厳戒体制を解除

家族に殺害の脅迫

ダービットの犯行にショックを受けてしばらく事情聴取に対応出来なかった父親が息子のことをはじめて語った(Bild.de)

「息子の乱射計画は一切知らなかったし、銃入手も全く把握していなかった。妻はこの一週間泣き続けており、もうこの街では生活できない・・・」と漏らす父親だ。

ダービットの両親はイランからの移民。ドイツ生まれの子供2人(ダービットと5歳年下の弟)と共にOEZ近くで生活していた。父親はミュンヘン空港への送迎を主としたタクシー業を営む個人経営者。母親は店員として働いている。

ミュンヘンで生活の基盤を築きあげた一家だったが、ダービットの事件で過去の努力が一瞬にして崩れ去ったかのようだ。

乱射事件当日、父親はOEZ周辺で発砲する男性の動画を見て、これは息子かもしれないと警察に通報していた。

しかし、この動画は鮮明でなかったことから、「なぜダービットとすぐ気がついたのか、父親は息子の犯行を知っていたのでは?」と疑問視されていたが、どうやら息子の犯行は寝耳に水だったらしい。

「殺害の脅迫も届いている」と、父親は肩を落とす。

バイエルンの州警察本部は、「ダービットは武器や麻薬の取引に使われるインターネットサイト『ダークネット』を介して入手した」と報告している。彼のリュックサックにあった300発の銃弾や爆弾については入手経路が今も明らかにされていない。(7月24日警察本部の記者会見)

いじめ、うつ、対人恐怖症に病んでいた

「ダービットは、いじめについてひと言も言わなかった。学校でいじめにあっていることは、4年前クラスメートから聞いてはじめて知った」と、父親は語る。

当時、父親はダービットと一緒に学校へ出向き、女性教師にいじめの報告をした。そして最寄の警察でいじめた生徒数人を告訴したが、なんら解決には至っていなかった。 

実際にはかなり前からいじめがあった。ダービットは「7年前からいじめを受けている」と告白しており、いつも仲間はずれにされて友人もいなかった。

「8,9人の男子グループから頬を打たれたり、足蹴りされたり、唾をかけられたりしているのを何度もみた」(同じ学校に通っていた生徒Eさん)

「学校の仲間はダービットを避けていた。修学旅行で、ダービットが寝ていたとき、クラスの女子は化粧で彼の顔にいたずらをして笑っていた」(同級生Sさん)

また、乱射事件後にこんな証言も出てきた。ある日、ダービットは怒りが爆発したのか、こう叫んだという。

「いつか、君たちを殺してやる」

地元メディアによると、ダービットはいじめの対象となるのを避けるために、ファーストネームのアリをダービットと改名したそうだ。それ以来、アリと呼ばれることはなくなったが、家族は今もアリと呼んでいるらしい。

精神疾患に病んでいたダービットは2015年夏、専門病院に2ヶ月入院して治療を受けた。その後、今年の6月まで自分から進んで専門医のもとに通院していた(Der Spiegel)。 

OEZ周辺でコーヒーショップを営むBさんは、顔見知りのダービットについてこう語った。

「性格はおとなしく恥ずかしがり屋だった。不安気で身振りはそわそわして落ち着かなかった。まるで映画『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じた障害を持つ兄レイモンドのように身体をゆらゆらさせていた。10代の若者たちは仲間と一緒に行動することが多いが、ダービットはいつも1人だった」(Die Stern)

そしてヘイトクライム(憎悪犯罪)に

昨年夏、精神疾患専門病院に入院中、ダービットは16歳の男子と知り合いになった。この男子の証言によれば、ダービットは人に対する憎悪を何度も口にしていたという。

アフガニスタン系のこの男子とは無差別乱射殺人について情報交換していたらしい。今年5月、ダービットはフェイスブックに女性の画像と名前でアカウントを開設し、「7月22日16時、ファストフード店でおごる」と投稿した。

乱射事件直前にもダービットはこの男子とOEZ近くで合っていたといわれている。しかし、銃乱射はダービット1人による犯行だという 

ダービットは入手した銃で合計57弾発砲、58弾目で自身の頭部を撃ち自殺した。

ダービットはこれまで起きた無差別乱射事件(アモック)を自宅の部屋で検索していた。OEZ周辺での乱射事件は1年前より周到な計画がなされており、マニフェストもあったという。アモックに関する本や収集した情報などの証拠物件がダービットの部屋で見つかった。 

州警察本部は、今後過激なPCゲームを制限することも考慮したいと指摘した。理由は、射撃経験のないダービットが、まるでゲームのように犠牲者の頭部を次から次へと乱射したからだ。しかも事件現場に居合わせた市民が逃げようとすると、まず足を撃って動けないようにした上で、頭部を撃ったというのだ。これもPCゲームで練習したのだろうと推測されている。

乱射に用いたのは9ミリ径の「グロック17」という拳銃だ。この拳銃は5年前、ノルウェーで起きた乱射事件で用いられた銃と同じものだった。ミュンヘンでの犯行日7月22日はちょうどそのノルウェーでの事件の5周年に当たる日。ダービットはあえてこの日を選んだのではという見方もでている。

ダービットは77人の命を奪った前出ノルウェー乱射事件の容疑者アンネシュ・ブレイヴィーク、ドイツ南部ヴィ-ネンデン乱射事件の容疑者17歳少年の名前などを書き留めており、彼らを憧憬していた。

7年前の惨事、ヴィーネンデンの事件現場だった学校にもダービットは足を運び、周辺の写真も撮ったという。

ダービットがヴィーネンデンの無差別乱射に関心をもっていたことを知った同市在住の女性は、「ようやく落ち着きを取り戻すことができたのに、かっての痛みを思い起した。当時の悲しみや苦しみがまたこみ上げてくる。私の娘はあの時帰らぬ人となった」と胸のうちを明かした。

僕は何もしていない

話しは前後するが、OEZ駐車場屋上にいたダービットの様子を近くのアパート4階から男性Mさん(20歳)が撮影した。

「男性を見たとき、花火でもあげるのかと思った。けど、彼が銃を持っていることを知り、OEZにいる友達に警告したかったのでスマホで撮影し始めた。その後すぐネットで公開した。まさか、自分の動画が全世界に広まるとは思ってもいなかった」とMさん。

撮影されていることに気づいたダービットは、Mさん宅のバルコニーを目指して2回発砲。幸いなことにMさんは、弾に当たらなかったものの、部屋にいたMさんの父親(47歳)が負傷した。

動画の中でダービットに話しかけたのはMさんではなく、1階上の住人だという。Mさんはその会話も動画におさめた。

ダービットを非難した運転手Tさん57歳は、こう語る。(Die Welt)

「仕事から帰宅してバルコニーでビールを一杯と思っていた時、異常に気づいた。銃を手にした容疑者に罵声を投げかけたが、不安はなかった。犯行を阻止しようと思い、容疑者にビール瓶を投げつけたが、瓶は駐車場屋上まで届かなかった」 

「無差別乱射事件が発生し、容疑者は精神疾患を抱えていることは後から知った」というTさん。

Tさんとのやりとりでダービットは「自分はドイツ人、精神疾患治療を受けていることなど」を語った。

そんななか、ダービットはふと漏らした。

「僕は何もしていない」

自分はむしろ被害者だといいたかったのだろうか。だとしたら、彼を無差別乱射に追い詰めた憎悪を食い止めることは出来なかったのだろうか。

心のケアにどう対処

子どもがいじめにあっているときには、親が手を貸すとか、心を強くもってなど一般論が語られている。だが、今回の背景は複雑だ。ドイツのように移民や難民が多く、育ってきた文化や生活環境も多様であると、いじめ対処や心のケアといっても解決に通じる方程式は見つからない。

心理学専門家によると、「一番身近に生活している親が子どもの異変に気づくべき」という。しかし、ダービットの部屋はいつも施錠されており、家族は自由に出入りできなかった。その場合、子どもが部屋で何をしているのか、家族は知る術もない。

過去20年間にわたり、無差別殺人の背景を分析研究する独ギーセン大学の犯罪学部ブリッタ・バンネンベルグ教授(弁護士)は、こう指摘する。(Frankfurter Allgemeine Zeitung)

「クラスメートや同世代の友人が軽い気持ちで発した罵声やいじめやは、それを受けた者の心にぐさりと刺さる。惨めな体験は決して忘れることが出来ず、当人の心に蓄積されていき、やがて憎しみと変わっていく。やり場のない憎悪のはけ口を求め、『とてつもないことをやってやるぞ!』と思い込んでしまう。ある日、抑えていた我慢が限界に達し、堰を切ったかのようにその鬱憤が無差別殺人として表面化される」

「これらの事件は決して思いつきでやったものではなく、自殺も含めた計画的な犯行である。当人には失うものは何もない。ネットで検索すれば、いくらでも無差別殺人の事例があり、犯行者を倣うこともできる」

無差別殺人を未然に防ぐことは出来るのか、危険信号は?という問いに

「周囲のクラスメートや仲間が容疑者の変化に気づくはず。例えばまわりが不安をもつような発言(殺してやる!など)や、銃に興味を持ち始めたことを聞きつけたら、すぐに教師や警察に通報するべき」とアドバイスする。(バンネンベルク教授)

無差別殺人は決して許されない。ダービットは答えの出ない難問にぶつかり、自分で自分を追い込めてしまったのか。現状打開策として転校したり、別の道はなかったのか。両親は仕事に追われる毎日で、息子の様子がおかしいと気がつかなかったのだろうか。

今となっては憶測ばかりだが、ダービットの本当の心のうちは誰も分からない。

いくつもの疑問が残されたままだ。

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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