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知っているようで知らないドイツの街 欧州はここから始まった!(その1)オスナブリュック

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
オスナブリュック市庁舎入り口ドアのノブ・平和条約締結は1648年・画像筆者撮影

ドイツのロマンチック街道やメルヘン街道など大人気の観光街道を巡りながらその周辺の街を訪ねる旅は相変わらず高い人気を誇る。

一方、これまでとはちょっと違ったルートを体験したいと言う方にお薦めなのが、歴史古都連盟に加盟する16の都市だ。

これらの街は、日本ではあまり知られていない個性的な街で、歴史を辿ってみたり、街の多様性を体感したいというときにピッタリの観光地。700年以上の歴史、10万人以上の人口、大学都市、観光に便利な交通アクセス網などの規定を満たすことを満たした街が選定されている。(2016年12月より16都市となった)

歴史古都のなかから、今回はオスナブリュックを紹介したいが、まずは近郊の古都ミュンスターと共通する史実を少し説明したい。

欧州はここから始まった!

オスナブリュック(ニーザーザクセン州)とミュンスター(ノルトライン・ヴェストファーレン州)は、この2つの州にまたがるウェストファーレン地方に位置する大学と長い歴史を誇る街。

カトリックとプロテスタントの宗教対立がきっかけとなって起きた三十年戦争の混乱から免れたオスナブリュックとミュンスターは、1648年「ヴェストファリア条約」が締結された街だ。

そして、この平和条約に署名したことで、三十年戦争に終止符が打たれた。 

この条約は、オスナブリュックではプロテスタント勢力の、ミュンスターではカトリック勢力の交渉が行われ、講和文書に署名をした。これは、プロテスタントとカトリックの指導者がお互いに顔を合わせることを拒否したため、2つの場所が必要だったとか。

また当時、オスナブリュックはプロテスタント派とカトリック派が生活していたが、ミュンスターではカトリック派だけだったという裏事情もあったという。

およそ50キロメートル圏内にあるこの二つの都市が属するヴェストファーレン地方に位置することからこの条約は、「ヴェストファリア(またはヴェストファーレン)条約」と呼ばれ、欧州の国際情勢を規制する礎となった。

このような背景から「欧州はこの平和条約が締結されたオスナブリュックとミュンスターから始まった」とされ、二つの都市は平和都市として世界歴史にその名を刻んだ。

前書きが長くなってしまったが、さっそくオスナブリュックの魅力をお伝えしたい。

歴史、美食、学生の平和都市オスナブリュック

市庁舎を入ると左側に「平和の間」がある・画像筆者撮影
市庁舎を入ると左側に「平和の間」がある・画像筆者撮影

16万2千人ほどの人口を有するオスナブリュックは、ドイツ北部のニーダー・ザクセン州にあり、同州で規模三番目の都市。周辺を自然に囲まれた緑豊かな古都である。一方、人口の1割を大学生が占める大学の街として活気の満ち溢れた美しい街だ。

オスナブリュック市庁舎「平和の間」はプロテスタント派らしく簡素だ 画像筆者撮影
オスナブリュック市庁舎「平和の間」はプロテスタント派らしく簡素だ 画像筆者撮影

旧市街に観光スポットが集中していて、見どころはコンパクト。まず市庁舎前のマルクト広場から歩いてみたい。 

観光ハイライトは、後期ゴシック様式の市庁舎内の一室「平和の間」だ。平和会議の使節や領主たち42人の肖像画が掲げられたこの部屋では、使節団が座った場所に一度座ってみよう。しばし当時の交渉シーンに思いを馳せてみるのもいいだろう。

マルクト広場に面するエリッヒ・マリア・レマルク平和センターにて・画像筆者撮影
マルクト広場に面するエリッヒ・マリア・レマルク平和センターにて・画像筆者撮影

マルクト広場に面するエリッヒ・マリア・レマルク平和センターは、史上最高の反戦小説と言われる「西部戦線異状なし」の偉業を称えるオスナブリュック出身のレマルクに関する展示と文書保管として知られている。

レマルクは、20世紀に最も有名かつ広く読まれたドイツ文学界の作家のひとりで、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての戦争の非人間性と運命にもてあそばれる人々の悲劇を反戦色強く描いた。

レマルクの数多くの作品は、各国語に翻訳されている。特に名作「西部戦線異常なし」「凱旋門」「愛するときと死するとき」の長編三部作は、今も世界で幅広く読み継がれている人気作品。  

同センター内を案内してくださった館長かつオスナブリュック大学教授のトーマス・シュナイダー博士は、日本でも「凱旋門」がよく読まれているようだと熱く語り、日本に非常に興味をもたれた。

後期ロマン様式の聖ペトロ大聖堂はオスナブリュック大聖堂とも呼ばれる・画像筆者撮影
後期ロマン様式の聖ペトロ大聖堂はオスナブリュック大聖堂とも呼ばれる・画像筆者撮影

旧市街の中心にあるカトリック派聖ペトロ大聖堂は8世紀末に礎石が置かれ、現在の姿になったのは13世紀。

大聖堂の南西に重厚なつくりの塔、北西に細長い塔が特徴だ。

第二次世界大戦中、焼夷弾により塔の大部分が破壊されたが、その後修復された。

塔の破片は、「オスナブリュックの車輪」として、建物の脇に見られるそうだ。

マリエン教会では塔展望台へ足を運びたい。画像OMT/Heese
マリエン教会では塔展望台へ足を運びたい。画像OMT/Heese

同じく市庁舎のすぐ近くにあるプロテスタント派のマリエン教会。ここの塔に上れば、街を一望することができる。

中世の衣装に身を包んだガイドが市内を2時間半かけて案内してくれる「夜警のツワー」は、市内の主要なスポットを見学できる人気ツワーのひとつ。夜警ツワーの最終地はマリエン教会の塔だ。ガイドと共に高さ40メートルの塔展望台まで行き、夜景を満喫したい。

フェリックス・ヌスバウムは旧市街散策に絶好のスタート地点。画像筆者撮影
フェリックス・ヌスバウムは旧市街散策に絶好のスタート地点。画像筆者撮影

旧市街地の中心部にある美術館フェリックス・ヌスバウムハウスは、米国人建築家ダニエル・リベスキントの設計によって建てられた。館内では、1944年にアウシュヴィッツで殺された、オスナブリュック出身のユダヤ人芸術家フェリックス・ヌスバウムの生涯と作品を多数展示している。

市庁舎前マルクト広場から伸びるクラーン通りには切妻屋根家屋が連なる・画像筆者撮影
市庁舎前マルクト広場から伸びるクラーン通りには切妻屋根家屋が連なる・画像筆者撮影

中世の町家の高い切妻屋根などの間にあるマルクト広場は、市民の憩いの場。ワインの露店市やクリスマスマーケットが開催されたり、市庁舎で挙式を挙げたカップルが記念写真を撮る瞬間に出くわすなど、市民の生活を垣間見ることができる場所だ。

ビア通り7番にある石造りの家・画像筆者撮影
ビア通り7番にある石造りの家・画像筆者撮影

オスナブリュックでは中世時代から耐火建築材として石が用いられていた。この街で最古の石造りの建物は800年前のほぼ完全な形で現在2軒残されている。

市庁舎やツーリストインフォにも近いホテル「ヴァルハラ」・画像筆者撮影
市庁舎やツーリストインフォにも近いホテル「ヴァルハラ」・画像筆者撮影

木骨組みの歴史的な建造物を改築した「ヴァルハラホテル」はマルクト広場から目と鼻の先にあり、観光スポットへのアクセスも抜群のローケーションにある。

絵本の中から飛び出してきたような美しいホテルの前は写真を撮る旅行客でいつも賑わっている。

ヴァルハラホテルの隣には、ドイツが誇る三つ星レストラン「ラ・ヴィ(la vie)」がある。ドイツ国内で10指に入るトーマス・ビューナーシェフは、五感に訴える創作料理を多くのグルメに提供する人気者。

思わず立ち止まり見入ってしまう豪華なハウスウィルマン・画像筆者撮影
思わず立ち止まり見入ってしまう豪華なハウスウィルマン・画像筆者撮影

ヴァルハラホテルから200メートルほど南へ歩くと、クラーン通り7 番にこの街を代表する木骨組みの家ハウスウィルマンがある。市内で最も目を引く建築物で、1586年築の華麗な外観は圧巻だ。

以上、主な見どころを紹介したが、オスナブリュックにはまだまだ魅力的なスポットがたくさんある。

2016年前半、イギリスの欧州連合(EU)からの離脱により、EU加盟国が驚愕すると同時に世界を激震させた。離脱のための交渉は、今年春から開始されるようだが、まずは欧州の始まりの街オスナブリュックと次回お伝えしたいミュンスターを訪問するのはいかがだろう。

取材協力

歴史古都連盟

   オスナブリュック観光局

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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