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知っているようで知らないドイツの街(4) ベルリンから30分、プロセインの歴史を伝える街ポツダム

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
サンスーシ宮殿中央部「大理石の間」では晩餐会やコンサートが行われた(c)TMB

湖と自然に恵まれた旧東独ポツダムは、人口17万人ほどを有するブランデンブルク州の州都でハーヴェル川の中心に位置する島の街。首都ベルリンの南西約30kmに位置する。

島の街と聞いて、意外に思うかも知れない。だが、ポツダムは、ハーヴェル川と3つの湖(ティーファー湖、ハイリガー湖、ユングフェルン湖)に囲まれた緑豊かな街で10世紀頃からあったそうだ。ベルリンから電車で30分ほどで着くので、観光客にもアクセスしやすい。

かってベルリンの庭園と呼ばれていたポツダムは、華やかな文化遺産や長い歴史を持ち、宮殿や庭園を築いたプロセイン王たちの街として栄えた。ここには魅力的な観光スポットが多々あるが、その中からいくつかハイライトを紹介しよう。

プロセインのヴェルサイユ「サンスーシ宮殿」

ロココ建築のサンスーシ宮殿の部屋数は12室 (c)TMB
ロココ建築のサンスーシ宮殿の部屋数は12室 (c)TMB

ポツダムには、宮殿群と公園群が世界遺産に登録されている。サンスーシ地区、新庭園地区など4つの地区に世界遺産が点在している。

そのなかでもこの街を訪れる人が最初に目指す場所は、東西ドイツ統一後まもなく世界文化遺産に登録された「サンスーシ宮殿」だろう。この宮殿は、ポツダム市街の西に広がるサンスーシ公園北東部に建つロココ建築の宮殿。当時の絢爛豪華な部屋を見学したいと、世界各地からの観光客が絶えない。

プロセイン王国時代、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世とその息子フィリードリヒ2世(大王)は、ポツダムとその周辺に大きな足跡を残している。その代表がこのサンスーシ宮殿だ。

同宮殿は、夏の居城としてフリードリヒ大王の命によって建てられた。なんと、大王は宮殿の建設一部を自ら行ったという。また、芸術に関心のあった大王は、この宮殿でコンサートを開催し、自身もフルートを演奏したそうだ。晩年、大王はここで最期を迎えた。「サンスーシ」とは、フランス語で「憂いなし」を意味する。

280ヘクタールの広大なサンスーシ公園内には、サンスーシ宮殿の他、新宮殿や中国茶屋などが点在している。

プロセインのヴェルサイユといわれるサンスーシ宮殿の庭園にて(c)norikospitznagel
プロセインのヴェルサイユといわれるサンスーシ宮殿の庭園にて(c)norikospitznagel

四季折々、多様な顔を持ったサンスーシ宮殿だが、音楽祭や特別イベントが開催される時期を楽しみに待つ常連客は絶えない。

毎年6月に開催される「サンスーシ音楽祭」は、ドイツの音楽祭でも屈指の美しさと言われる(2017年は6月09~25日開催)。庭園内の宮殿や庭園など、60余りのコンサートやオペラ公演が繰り広げられる。

また例年8月開催のポツダムシュロスフェストは、サンスーシ宮殿、庭園を挙げてのイベント(2017年は8月18日、19日)。シュロスフェストの締めくくりは、宮殿の庭園で音楽と一緒に花火があげられ、圧巻だ。

ポツダム会議が行われた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」

英国エリザベス女王2世もここを訪れた (c)HHoG/Rudek
英国エリザベス女王2世もここを訪れた (c)HHoG/Rudek

ハイリガー湖に面する新庭園にあるツェツィーリエンホーフ宮殿は、1945年にポツダム会議が行われた歴史的建造物。この宮殿は、フリードリヒ大王の息子、皇太子ヴィルヘルムとその妃ツェツィーリエのために1913年から3年かけて造られたホーエンツォレルン家最後の居城であった。皇太子ヴィルヘルムは、176室を有するこの宮殿に家族と共に住んだ。宮殿の名前は、同妃に由来するそうだ。

1945年7月から8月にかけて米、英、ソ連の首脳陣が集まり、第二次世界大戦・日本とドイツの戦後処理などが同宮殿で行われた。「ポツダム会議」の行われた会議場は当時のまま保存されており、見学もできる。

なお、この宮殿にある4つ星ホテルは、2014年1月より改築のため閉館している。同館の改築工事は、2018年末までかかるようだ。

話は逸れるが、ホーエンツォレルン家といえば、今日本で大きな話題となっている「天空の城・ホーエンツォレルン城」を思い浮かべる人もいるだろう。ホーエンツォレルン家はブランデンブルク辺境伯からプロセイン王国の国王(フリードリヒ1世)となった由緒ある一族。ドイツの「天空の城」は、このホーエンツォレルン家発祥の地として知られる。

歩いて巡る歴史ある旧市街

(1)赤レンガのオランダ地区

ニコライ教会(c)HHoG/Rudek
ニコライ教会(c)HHoG/Rudek

ポツダム中央駅から旧市街へ歩いてみよう。駅前フリードリッヒ・リスト通りへ出て左折し、ハーヴェル川にかかるランゲ橋を渡るとフリードリッヒ・エーベルト通りに出る。この通りを北へ直進すると10分ほどでニコライ教会に到着する。

この教会からさらに北へ10分ほどまっすぐ歩くと、右手に聖ペーター・パウル教会が見えてくる。この教会周辺は、バロック様式の建物が美しい。保存状態が良い建造物が教会前広場を囲むように建っており、瀟洒な家屋が目立つ。

赤レンガが目印のオランダ地区(c)norikospitznagel
赤レンガが目印のオランダ地区(c)norikospitznagel

聖ペーター&パウル教会からさらに北へ数分歩くと、目前に特別な雰囲気の一角が見えてくる。赤レンガと白い窓枠の家並みのオランダ地区だ。

前回ロストックでも紹介したが、ドイツ北部にはレンガの建物が多い。だが、ファサードに白いペンキを太く塗る装飾は、オランダ独自のものでドイツでも珍しい。

オランダ地区ではレストランやお土産店が軒を連ねている (c)norikospitznagel
オランダ地区ではレストランやお土産店が軒を連ねている (c)norikospitznagel

この地区にはかってオランダからの移民が住んでいた。東独時代にも大戦で破壊された部分の修復に着手し、この地区の保存に力を入れていたという。

そのため現在でも美しい街並みが残されており、特に東西ドイツ統一後はここを訪れる観光客が急増した。

同地区にはレストランや手工芸の工房、インテリアなど日常雑貨の店などが軒を連ねており、ウィンドーショッピングだけでも楽しい。

2)ブランデンブルク門とショッピング街

ギリシャ神話でおなじみのへラクスやマーキュリーの彫刻装飾が美しいブランデンブルク門(c)HHoG/Rudek
ギリシャ神話でおなじみのへラクスやマーキュリーの彫刻装飾が美しいブランデンブルク門(c)HHoG/Rudek

ブランデンブルク門といえば、ベルリンにある東西統一のシンボルとして有名だが、ポツダムにも同じ名の門がある。

ブランデンブルク通り西側に建つポツダムの門は、七年戦争(1754年から53年)の戦勝記念碑として建てられたそうだ。

ポツダムの目抜き通りにあたるブランデンブルク通りは、市民のショッピング街として親しまれて連日にぎわっている。第2次世界大戦でかなりの被害を受けた通りで、旧東独時代に歩行者専用道路となった。現在は東西統一後に修復された美しい姿を保っている。

オランダ地区すぐ横のナウェナー門(c)norikospitznagel
オランダ地区すぐ横のナウェナー門(c)norikospitznagel

この通りの東側にあるナウェナー門は、1754年から2年をかけて建てられた。

その当時のネオバロック様式建造物としては初めての門で、フリードリヒ大王が自ら手がけた設計イラストを元に造られたという。

ポツダムの地ビールを飲もう

室内200席、屋外200席は、夏になるといつも満席!(c)HHoG/Rudek
室内200席、屋外200席は、夏になるといつも満席!(c)HHoG/Rudek

ドイツにはあらゆる街に醸造所があり独自のビールがある。ここブランデンブルク州でも12の個人経営ビール醸造所があるそうだ。

今回はツィツェーリエンホーフ宮殿から徒歩で2分ほどのユングフェルン湖に面する新庭園にある「マイエライビール醸造所」を訪れた。

ベルリン風ハンバーグはいつ食べても美味しい(c)norikospitznagel
ベルリン風ハンバーグはいつ食べても美味しい(c)norikospitznagel

この醸造所は小規模ながらも本格的なピルスや黒ビールを提供している。

周辺のハイキングや自転車ツワーで立ちよる地元民に愛される同醸造所レストランでは、ドイツ料理も味わってみたい。なかでもここの経営者によるレシピーで調理されたブレッテン(ハンバーグ)は、シンプルながら美味しい一品だ。

画像撮影協力・歴史古都連盟、ポツダム市観光局

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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