「防災の日」のきっかけは伊勢湾台風
9月1日は防災の日です。毎年この日は、地震などの自然災害に対する防災訓練が大規模に行われています。防災の日が9月1日と決められたのは、大正12年(1923年)のこの日に関東大震災が発生したことにちなむものですが、「防災の日」が具体化したのは伊勢湾台風によってです。
昭和35年の閣議了解事項
「防災の日」が作られたのは、昭和35年6月17日の閣議了解事項としてですが、この直接のきっかけとなったのは、前年9月の伊勢湾台風です。死者・行方不明者5000名以上という大災害となった伊勢湾台風の教訓は、以後のいろいろな防災対策に生かされてきましたが、その1つがこの「防災の日」の設置です。
昭和35年9月1日の第1回目の防災の日、東京では午前7時から中央区の東劇前で消防車29台が出動して大掛りな消火・避難訓練などが行われました。また、墨田区の都慰霊堂などでは10時より高松宮妃殿下の御出席のもと、震災遭難者慰霊祭が行われました。
9月1日頃は昔から台風を恐れる「二百十日」
防災の日という考えは、伊勢湾台風の時に初めて出てきたわけではなく、それ以前からいろいろな人によって提唱されてきました。例えば、伊勢湾台風より10年も前の昭和24年のキティ台風による大災害後に、当時の大阪管区気象台長の大谷東平氏は「9月1日を天災を顧みる日とし、天災に対する国民的訓練の日にすべきである」という提唱をしています。
大谷氏があげた2つの台風についての径路は、図のようにともに似たコースを通って8月31日の夜から9月1日の朝にかけて関東地方を襲っています。そして、昭和13年の台風では245名、24年のキティ台風では160名の死者・行方不明者を出すなど大きな高潮被害がでています。東京湾で大きな高潮が起こるのは、この2つの台風のように、東京湾のすぐ西側を通る場合です。また、伊勢湾で大きな高潮が起こるのは、伊勢湾台風のように、伊勢湾のすぐ西側を通る場合です。このように、太平洋側の南に開いた湾では、台風が西側を北上するときは、台風の高潮に警戒です。
古来から、野分(台風の古い言い方)に警戒を始めるのは、立春から数えて210日目とされてきました。この「二百十日」は、太陽暦でいえば、9月1日頃になります。稲が出穂期にさしかかるため、この日以降の台風襲来は、稲作に大きな被害をもたらすからです。
防災の日 少しでも災害への備えを
災害は忘れた頃にやってきます。9月1日の防災の日には、地震災害だけでなく、いろいろな自然災害を考え、それに対して少しでも備えましょう。完璧に備えるには、必要なお金も、備えたものを置いておく場所も、かなりのものが必要ですし、イザというときに、すぐに使えるようにするためのメンテナンスの手間もばかになりません。このため、完璧な防災だけを目指すと、費用や手間からあきらめて何もしないという最悪の結果になる可能性があります。少しでも長く生きることができれば救助隊が間に合いますし、死亡するところが重傷に、重傷のところが軽傷になれば、その後は全く違ったことが起きます。少しの備えでも実施することは、完璧な防災にならなくても、何もしないよりは災害がはるかに軽減されます。
図の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。