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台風の定義が17.2メートルと端数の理由

饒村曜気象予報士
雲の渦巻き(提供:アフロ)

台風は、熱帯低気圧のうち、域内の最大風速が毎秒17.2以上になったものを言います。

この定義が使われているのは、昭和28年からです。

太平洋戦争前の台風の定義

太平洋戦争が終わるまで、台風は熱帯で発生した低気圧をさし、具体的な数値基準はありませんでした。

このため、現在の台風の数値基準である最大風速が17.2メートル未満であっても、台風としてカウントしていましたので、現在よりも台風発生数が多くなります。

しかし、中央気象台(現在の気象庁)では、日本付近の狭い範囲の天気図しか作っていませんので、太平洋中部の様子が全くわからず、ここで発生する台風はカウントしていませんでした。

このため、昭和初期の台風の発生は、年に8から17個でした。

観測網整備で急増

図1 昭和元年から昭和16年までの台風発生数
図1 昭和元年から昭和16年までの台風発生数

戦争の足音が近づいていた昭和13年、パラオに南洋庁気象台ができます。そして、南の島々に次々と観測所が作られていったことから、昭和15年7月から太平洋天気図が毎日のルーチン作業として作られるようになります。

このため、昭和15年の台風発生数は49個と急増しています。しかし、ここでいう台風には、最盛期でも10毎秒メートル程度しか風が吹いていない熱帯低気圧も、数多く含まれています。

太平洋戦争後の台風はアメリカ軍の基準で

表1 熱帯低気圧の呼び名の変遷(気象庁監修「気象百年史」による)
表1 熱帯低気圧の呼び名の変遷(気象庁監修「気象百年史」による)
表2 風力階級と陸上の様子(気象庁風力階級の一部)
表2 風力階級と陸上の様子(気象庁風力階級の一部)

太平洋戦争終結後、日本の気象事業は占領軍(アメリカ軍)に従うようになっていますので、台風の分類はそれにならいます。

アメリカ軍は、太平洋戦争末期から台風に対して、飛行機による観測を行い、熱帯低気圧を3つに分類していました(表1)。

これに対応する形で、日本でも台風の定義が風力階級で決められました。台風は風力12以上、熱帯性低気圧は風力7~11、熱帯性低気圧より風が弱いものは「弱い熱帯性低気圧」と呼びました。

当初、熱帯性低気圧を風力7からにしたのは、風力7から被害が出始めると考えたからですが、防災対応が進んできたことから、被害がではじめる風の基準を引き上げ、風力8からとしています(表2)。

また、風速計による客観的な観測が増えてきたことから、すぐに風力階級ではなく、それに対応する風速の値となっています(対応のしかたは時代とともに多少の変遷があります)。ただ、単位は、アメリカが用いているノットでした。

日本独立後の台風の定義

日本が独立し、中央気象台が独自の予報を出せるようになった昭和28年以降は、それまでの「熱帯性低気圧」と「台風」を一緒にして「台風」としています。また、「弱い熱帯性低気圧」を「弱い熱帯低気圧」として、「性」の字を落としましたが、「熱帯性低気圧」が無くなったために「弱い」の意味が分からなくなっています。

同時に、ノットからメートル毎秒への換算が行われました。

1ノットは1時間に1カイリ進む早さで、メートル毎秒に換算すると、0.514メートル毎秒です。

このため、台風の基準は、四捨五入も考えて、34ノットではなく、33.5ノットを使い、33.5ノット×0.514=17.2メートル毎秒となったのです。

昔の台風資料を見るときは注意

このように、同じ「台風」という表現でも、その定義が時代とともに変わっています。気象庁では、昭和26年から台風資料を整備していますが、それ以上前の資料をみるときは、注意が必要です。

図の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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