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ノルウェーで作られた低気圧の概念をいち早く学んだ藤原咲平

饒村曜気象予報士
平成27年11月26日9時の予想天気図(24日9時の48時間予報)

今後、低気圧が日本海で急速に発達し、北日本では大荒れ、東日本から沖縄の広い範囲にかけて風が強くなる予想です。

このように、天気予報などであたりまえのように使われている低気圧の概念ですが、この低気圧の概念が最初に作られたのは第一次世界大戦中のノルウェーです。

観測データが不足したことで低気圧の理論が発達

フランスがクルミア戦争時に黒海で軍艦が沈没したことをきっかけとしてはじめた天気図を毎日作成して行う予報や警報は、次第に各国に広がっています。

明日や明後日の予報をするためには、自国の資料だけでは不十分で、広い範囲の資料集める必要があります。

このため、各国の気象台は、自国内の資料を集めると同時に、各国とその資料を交換しています。

観測の仕方や通報、放送の形式、天気図の記入方法などが世界共通なのはこのためです。ところが戦争になると、外国からの気象資料が入らなくなります。

第一次世界大戦が大正3年(1914年)に始まり、ヨーロッパ諸国の観測データが入らなくなったノルウェーでは、ヤコブ・ビヤークネス(Jakob Aall Bonnevie Bjerknes)を中心とした気象学者が、スカンジナビア半島における詳細な観測値を丹念に分析し、立体的な低気圧の概念を作っています。

図1 ビヤークネス等が1921年に発表した論文の図
図1 ビヤークネス等が1921年に発表した論文の図

当時は、定常的な高層観測が始まっていない時代でしたが、多くの点で実際の低気圧をうまく表現していました。このことにより、低気圧の発達・衰弱の様子は、わずかなデータからでもある程度推定することができるようになりました。

そして大正7年に第一次世界大戦が終わると各国の観測データが集まってきます。また、高層観測が充実してきます。その結果、多少の手直しがあったものの、ビヤークネス等によって作られた立体的な低気圧の概念が使えることが実証され、気象学が一気に進んでいます。

藤原咲平を留学生としてノルウェーに

大正9年(1920年)に、中央気象台(現在の気象庁)にヴィルヘルム・ビヤークネス(ヤコブ・ビヤークネスの父)から「ビヤークネス研究室で新しい天気予報技術が発明されたから学生を送られたい。生活費は学生もちで授業料は不要」という手紙が届きます。

この年の12月25日、文部省の留学費に余裕が出たので年度内に気象台から1名を洋行させたいとの話がでてきます。

中央気象台では、急遽、藤原咲平(後の中央気象台長で、「お天気博士」と呼ばれて親しまれた)の派遣を決めています。藤原咲平はパスポートやビザなどの手続きをすませ、12月28日に横浜を出港していた「熱田丸」を列車で追いかけます。

そして、30日に門司で石炭を積んでいた「熱田丸」に乗船し、上海に向かっています。この時の気温は華氏46度(8)、東北東の風、風力7でした(図2)。

図2 大正9年12月~10年1月の「熱田丸」の海上気象観測
図2 大正9年12月~10年1月の「熱田丸」の海上気象観測

「熱田丸」は、上海に31日に到着し、三が日は上海ですごしています。そして、1月4日に上海を出港、2月14日にロンドンに到着しています。この間、藤原咲平は英会話の練習を続けていたといわれています。ロンドンでも一ヶ月ほど英会話を習っています。

その間に英国気象台長のネイピア・ショーを訪ね、ルイス・フライ・リチャードソンなど、その後の気象学の歴史を作る人々に紹介されています。そして、3月からノルウェーのベルゲンにあるビヤークネスの研究所での一年間の研究をしています。

こうして、現在の気象学の基となっている低気圧の概念は、藤原咲平によっていちはやく日本にもたらされています。

神戸コレクションにある「熱田丸」

藤原咲平をヨーロッパに運んだ「熱田丸」は、日露戦争後の欧州航路において、外国の大型化の動きに対応するために明治41年から42年にかけて建造された日本郵船の8500トン級の6隻の貨客船の一つです。「加茂丸」「平野丸」「熱田丸」「北野丸」「三島丸」「宮崎丸」が三菱造船所長崎と川崎造船所神戸で作られ、日本とヨーロッパを結んでいました。

日本の商船等で観測報告された海上気象観測表約680万通のコレクション(神戸コレクション)には、藤原咲平をヨーロッパに送り届けた「熱田丸」の33年分の海上気象観測だけでなく、「加茂丸」などの多くの欧州航路線の記録が残されています。

「熱田丸」が昭和17年5月30日に沖縄の東海上でアメリカ潜水艦の魚雷によって大破し、6月3日に沈没したように、ほとんどの欧州航路船が戦争で沈んでいますが、これらの船の観測記録は、地球温暖化の研究に役立っています。 

図の出典:饒村曜(2010)、海洋気象台と神戸コレクション。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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