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気象神社の天気予報の神様は、種々の結果を比較して総合判断する神様

饒村曜気象予報士
高千穂峡(写真:アフロ)

東京都杉並区のJR高円寺駅の近くに氷川神社があり、その一角に、気象神社と呼ばれる小さな祠があります。

この全国唯一の気象神社の主祭神は八意思兼命、種々の結果を比較して総合判断する神様です。

気象関係者の一部にしか知られていない気象神社ですが、最近は、数値予報などの気象資料を用いて総合判断する現代の八意思兼命にあやかりを目指し、気象予報士という合格率4%の国家資格を目指す人たちのお参りが増えています。

気象予報士試験は、年に2回(1月と8月)に行われ、今年最初の試験日は1月31日です。

気象神社(二代目)
気象神社(二代目)

天の岩戸

高円寺の氷川神社の祭神は、八意思兼命(ヤゴロモオモイカネノミコト)で、天照大神一家を助ける知恵の神、思慮分別の神です。

天の岩戸隠れや天孫降臨の時に、神々の諮問に応えて解決策を出した神です。

伊勢神宮の相殿や戸隠神社(天照大神が二度と隠れないよう天の岩戸を隠した場所から戸隠の名称となっている)、秩父神社などに祀られていますが、全国でこの神を祭った神社の数は、それほど多くありません。

角度を変え立場を異にして思い(八意)、種々の結果を比較して総合して分別する(思兼)ということは、気象現象を解明するうえでの基本と同じであることから、この神様が選ばれたのだと思います。

氷川神社と気象神社

氷川神社は埼玉県さいたま市大宮区にあるものが武蔵国一宮で、1869年(明治2年)の東京遷都では、京都の加茂神社にならって首都の北方鎮守に選ばれています。

氷川神社は元荒川と多摩川を東西の境として広く分布し、現在でも埼玉県に162社、東京都に59社を数えています(「日本大百科全書」より)。

高円寺の氷川神社は源頼朝が奥州の藤原氏を攻め滅ぼした時(1189年頃:文治5年)に従った人の一部が武蔵野国高円寺村にとどまって農民となり、その人々がたてたのがはじまりといわれています。

氷川神社は名前の通り、もともと気象に関係が深い神社ですが、高円寺の氷川神社は特別な意味があり、その由緒は、祠の脇に立てられた銅製の立札に次のように記されています。

気象神社由緒

御祭神 八意思兼命(知恵の神)

この気象神社は昭和十三年 陸軍気象勤務の統轄、教育機関として旧馬橋四丁目(現高円寺北四丁目)に創設された陸軍気象部の構内に、昭和十九年四月十日造営、奉祀されたが、翌昭和二十年四月十三日空襲に因り焼失し、当社殿は終戦直前に急濾再建されたものである。太平洋戦争の終戦に当り神道指令に拠り除却される筈の処当局の調査漏れのため残存しており連合軍宗教調査局に申請して払い下げを受け当所に移設し、昭和二十三年九月十八日当氷川神社大祭に際し遷座際を執行、奉仕して現在に至ったもので爾来毎年六月一日の気象記念日に例祭が斎行されている。

平成七年一月吉日

第三気象連隊戦友会 気象関係戦友会有志 寄贈

出典:気象神社の立札

気象予報士試験

気象予報士試験は、予報業務の技術的水準と信頼度を担保するため、予報する人の技能を測る試験で、第1回が22年前の平成6年8月28日に行われました。

最初の年は3回、以後は年2回ですので、平成28年1月31日の試験は第45回になります。

試験が終わり、種々の結果を比較して総合判断できる人が選考中です。

今の段階では、結果は神のみぞ知るです。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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