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30年前のチェルノブイリ原子力発電所事故の時にはあったものの風化していったスピーディ

饒村曜気象予報士
site of the Chernobyl N. Power Plant(写真:アフロ)

原子力発電所で放射能漏れ事故がおきた場合、放射能は上空の風に運ばれ世界中をかけめぐって地上に落下します。

スリーマイル島原子力発電所

昭和53年(1978年)にアメリカのペンシルバニア州のスリーマイル島の原子力発電所事故をきっかけとして、原子力施設が事故をおこし、大量の放射性物質が放出された時の災害対策として、昭和59年にスピーディ(SPEEDI)が作られています。

気象状態や地形などのデータを入力し、どのくらいの放射能がどこに到達するのかということを予測し、防災対策をとって被害を最小限にすることを試みです。

図1 2000年頃のスピーディにおける情報の流れ
図1 2000年頃のスピーディにおける情報の流れ

スピーディは、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの英語表記の頭文字を並べた通称です。

チェルノブイリ原子力発電所

スピーディ稼動からまもない、昭和61年4月26日にウクライナ(当時はソビエト連邦)のチェルノブイリ原子力発電所が爆発事故を起こし、多量の放射性物質がヨーロッパに、そして全世界に広がっています。

このときの放射能の広がり方は、当時の上空の風の状況によって説明できます。放射性物質は、27日から28日に吹いていた強い南風によって北へ広がり、その後、西風によって広がっています。

もし、上空の風が変わっていれば、放射能による被害の状況は全く違つたものになっています。

図2 チェルノブイリ事故による放射性物質の拡散の様子
図2 チェルノブイリ事故による放射性物質の拡散の様子

「機能しなかった」より「知らなかった」が問題

平成23年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故では、スピーディの計算が行われていましたが、原子炉から出る放射性物質の正確な量がわからず、試算であるとして公表されることがありませんでした。

不正確なスピーディの計算であっても、少なくとも放射能が多い方向へ住民が移動するということは避けられたのではないか、と言われています。

平成26年10月8日に原子力規制委員会は、原子力発電所の重大事故での住民避難を決める際、スピーディの計算結果は利用しないと決めています。

東京電力福島第一原子力発電所事故で正確な予測が出来なかったことからの措置です。

個人的には、精度が悪いという問題より、知らなかったという防災責任者が続出したことが問題と思っています。

批判をかわそうとして知らないと言っているなら、もっと問題です。

スピーディ誕生当初は、様々な方法で周知がはかられました。

しかも、チェルノブイリ原子力発電所事故が発生して国民の関心が高くなっているときの周知です。

私も、一般向けにスピーディについて書いていました。

スピーディは使わないですめば、それにこしたことがない技術です。

また、一回も使われることなく役目を終える可能性が高い技術です。

チエルノブイリの事故は、遠い異国の出来事でした。

何もない時代が長く続いたために、存在が風化したのです。

スピーディの利用を妨げない

今年の3月11日、スピーディについて、「自治体が避難指示に活用することを妨げない」とする見解をまとめています。精度が多少悪くても活用したいという自治体からの要望に応えたものです。

まもなく、現在のスピーディより精度が高いものが作られると思いますが、その周知には、長期間にわたって風化しないよう、かなりの工夫が必用と思います。

図の出典:饒村曜(2000)、気象のしくみ、日本実業出版社

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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