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熊本地震と大分県 顕著異常現象の命名は難しい

饒村曜気象予報士
大分県の地図(提供:アフロ)

気象庁の顕著現象の命名

気象庁では、台風や地震等の顕著現象について命名しています。この命名についての方針が決められたのは、昭和36年9月18日の臨時庁議においてです。

直接のきっかけは、2日前の9月16日に大阪地方を襲った台風18号です。この時に、「顕著異常現象の名称については,しだいに法律名にも引用される状況となってきたから、異常現象に対ずる命名の根本方針を明らかにされたい」とのことで協議がなされ、この方針が決定しています。

そして、台風18号は、「第2室戸台風」と命名されました。

昭和36年の庁議以前は、大災害が発生するたびに名前をどうするか決めていました。

例えば、昭和33年11月22日に、この年の台風22号を「狩野川台風」、昭和29年の台風15号を「洞爺丸台風」と命名しました。また、昭和34年9月30日にこの年の台風15号を「伊勢湾台風」と命名しました。

しかし、昭和36年の命名の基本方針では、「気象・地震・津波・火山噴火等により顕著な災害がおこった場合に命名」となっていて、長野県松代周辺で昭和40年8月から頻発した地震を命名するためには、この方針では少し不適当となったため,翌41年5月13日の庁議で一部改正され、顕著な災害があった時のみでなく、顕著な現象があったときでも命名できるようになっています。

表 気象庁の異常現象の命名についての最初の基本方針
表 気象庁の異常現象の命名についての最初の基本方針

現在使われている気象庁の命名方針(平成16年3月15日)によると、地震についての命名の基準は次のようになります。

そして、「平成28年熊本地震」と命名されています。

地震

命名の考え方

1 地震の規模が大きい場合

陸域: M7.0 以上(深さ100km 以浅)かつ最大震度5 弱以上

海域: M7.5 以上(深さ100km 以浅)、かつ、最大震度5 弱以上または津波2m 以上

2 顕著な被害(全壊100 棟程度以上など)が起きた場合

3 群発地震で被害が大きかった場合等

名称の付け方

原則として、「元号(西暦年)+地震情報に用いる地域名+地震」

難しい命名

昭和43年5月16日の十勝沖地震(マグニチュード7.9)の際、この名称により、青森県が忘れられたのではないかとの意見がでています。

地震が発生したのは北海道の十勝沖ですが、大きな被害が発生したのは青森県でした。このため、全国からの支援物資は青森県ではなく、北海道に集中して集まっています。

逆に名前を使われるとその場所が危ないというイメージを与え、観光産業等にマイナスとなるので、使わないでくれとの意見もあります。

さらに、平成6年12月28日の「三陸はるか沖地震(マグニチュード7.6)」では、大きな災害が発生したのに、「はるか」ではさわやかなイメージになってしまうとの意見もでました。

たかが名前、されど名前。自然現象に対する名前は、そのごく短い言葉で多くの人々に深い思いを感じさせます。その名前の背後には、複雑で難しい問題がたくさんからんでいます。

「阪神大震災」という名前

地震発生後、「阪神大震災」という言葉が自然発生的にマスコミ等で使われだしました。地震から1週間たった1月24日からは共同通信が配信記事を「阪神大震災」に切り替えたことなどもあり、神戸新聞を始め、全国のほとんどの新聞で使われるようになりました。

「震災」という文字が「○○震災」という固有名詞として使われるようになったのは、明治24年(1881)10月28日に愛知・岐阜県境付近で発生した濃尾地震(マグニチュード8.0)による濃尾震災以降と言われています。

言葉のイメージによる誤解

地震と震災は意味するものが違うと言えばそれまでですが、この言葉を使うことによって被害の大きかった淡路島が忘れられてしまうのではないかと懸念しました。

「阪神」という言葉はあまりに有名で、大阪と神戸の間の都市で神戸市は含まないという人から、大阪から神戸までを広く含むという人まで、いろいろと受け取る人がいます。 しかし、阪神という「おぼろげながらのイメージ」はありますが、この言葉から淡路島を連想する人はほとんどいません。

人口が少ないので目立なかったのですが、淡路島北部の北淡町では3人に1人が深刻な被害を受けているなど、淡路島北部の被害は人口に比べるとものすごい被害が発生していました。

これに対して、大阪は震度7の地域が無く、被害も淡路島に比べれば大きくありませんでした。「阪神大震災」という言葉で、神戸だけでなく大阪が大きな被害というイメージが生まれたのです。

「阪神大震災」というなら、一文字違いの「淡神大震災」のほうが正確な表現です。

平成7年2月10日の閣議懇談会では、呼称問題が取り上げられ、政府は気象庁の命名した地震に関する正式名称「兵庫県南部地震|とは別に、震災には「阪神・淡路」の通称をつけることにしました。地震で発生した被害に政府が名前をつけるのは初めてのことです。

従って、2月17日に成立した法案は、「阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織法に関する法律」となっています。

深刻な問題は時間が経ってから

平成7年1月17日に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生したとき、神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の予報課長でした。その時の体験です。

気象台では、地震直後から手分けして災害調査を行っています。今後の防災対策に役立てるためですが、地震直後に災害調査で倒壊家屋にカメラを向けた時に「ぜひ撮影して将来に役立ててくれ」という感じで、非常に好意的でした。

しかし、しばらくすると、「何で撮影するのだ、見せ物ではない」と言われたり、言われなくても冷たい視線を向けられたりしました。瓦礫の前でピース写真をとる観先客が増えたせいか、あまりにも多くの調査隊が繰り返し撮影をして行くせいかは分かりませんが、撮影に対する雰囲気は一変しました。

また、地震後1週間位までは、町を歩いている人の表情が妙に明るかったというのが印象にあります。職員の間でも、「あいつは家が全壊したのに明るい」という会話がありました。

被害の程度が分かり始めるにつれ「あれだけの地震でよく無事だった」「家族が無事でさえあれば財産はまた作れる」と思えた、あるいは思いたいというのがあったと思います。

しかし、1週間位たつと将来に不安を感じ始めたせいだと思いますが、町を歩いている人の表情が暗くなり、うつむいて歩いている人、フラフラ歩いている人が多くなりました。皆が地味な服装で、動いている交通機関に向かって黙々と歩く人々の群れは、大きな被災地のど真ん中にいるという感じを再認識させられました。唯一の救いは、若い女性のリュックサックのカラフルさでした。ほとんど空の状態で使われていた地震前と、いろいろ詰め込んだ状態で使われていた地震後という差がありましたが、ファッションの都市・神戸では、地震前にカラフルなリュックサックが流行していたからです。

熊本地震と大分県の被害

平成28年4月14日から始まった熊本地震は、熊本県に甚大な被害をもたらしていますが、大分県でも大きな被害をだしています。安倍首相も、大分県を視察してから熊本県を視察しています。

熊本大分地震と呼ぶには、熊本県の被害のほうが甚大すぎますので、「熊本地震」という命名はしかたがないと思いますが、大分県の被害も忘れないことが大事と思います。

熊本地震の発生から1ヶ月がたとうとしていますが、被災地では、人々の意識と言葉の意味がどんどん変わってゆきます。最初に報道されたできごとが、いまも続いているとは限りません。むしろ変わっていることが多いと思います。

熊本地震で伝えられた短い言葉からの連想ではなく、現在は何が起こって、何が必要なのかを思いやる気持ちが大切と思います。

表の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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