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北海道は相次ぐ台風で洪水被害 北海道の洪水対策のきっかけは118年前の台風被害

饒村曜気象予報士
予想天気図(左は6日9時、右は7日9時)

北海道は、日本で一番北に位置していることから、南からの暖湿気流が入りにくく、平均的には日本の中では降水量が少ない地域にあたります。

しかし、台風の北上など、条件が揃えば本州並みの大雨が降ることがあります。このときは、普段は雨が多くないだけに、大災害となりやすく、台風接近時には、雨により一層の警戒が必要となります。

台風が相次ぐ北海道

今年の北海道は、8月17日に台風7号が襟裳岬付近に、8月21日に台風11号が釧路市付近に上陸し、千葉県君津付近に上陸して本州を縦断した台風9号が8月23日に日高に再上陸と、3個も上陸しています。また、8月30日に東北地方北部に上陸し、西進して日本海に入った台風10号によっても大雨となるなど、今年の北海道は、洪水に対して厳重な警戒が必要な年でした。

日本列島の上空には寒気が入りやすく、夏の主役である太平洋高気圧が割れて低気圧ができ、それが長続きしていました。このため、低気圧をまわる流れによって台風が北西進して北海道に接近・上陸するということが続いたのです。

北海道はこれからも大雨に警戒

日本海中部の低気圧が宗谷海峡付近に進み、6日から7日にかけて、この低気圧からのびる前線が北海道を通過し、低気圧から伸びる前線が北海道を通過します。

9月5日に長崎市付近に上陸した台風12号は、日本海で中心付近の最大風速が毎秒17.2メートル未満となって熱帯低気圧になりましたが、この熱帯低気圧は南海上からの湿った空気を持ち込んでいますので、大気の状態が不安定となって所により大雨の可能性があります。

これまでの台風等による大雨で地盤の緩んでいる所や増水している河川がある状況での大雨ですので、大災害が発生する恐れがあります。最新の気象情報を入手し、大雨等に警戒する必要があります。

また、沖縄の南海上には、台風13号になるかもしれない熱帯低気圧ができる可能性があり、この熱帯低気圧の動きにも注意する必要があります。

北海道の治水対策

石狩川流域の開拓が始まったのは、北海道の札幌に開拓使ができた明治4年以降です。

当初は石狩川の氾濫原である広大な低湿地の土地利用が進められていました。

アイヌ語の曲がりくねった川という意味の「石狩川」は、雪解け期や大雨期にはたびたび流路を変える暴れ川でした。

石狩川流域は、雪解け期や夏の大雨期には氾濫をくりかえていた未開の原野で、入植当時は洪水被害に悩まされていました。

しかし、高低差が少ない石狩川は、広大な農地が得られる可能性を持った魅力的な川でした。そして、明治政府の積極的な移民政策もあって、明治30年には流域人口が30万人と増大しました。

しかし、今から118年前の明治31年(1910年)9月6日、台風によって石狩平野の氾濫原である広大な低湿地の開拓が大洪水によって大きな被害を受けています。明治43年(1910年)から北海道で洪水対策が始まったのは、この明治31年の台風被害がきっかけです。

明治31年9月6日の台風

明治31年9月6日には台風による大雨で石狩平野は大洪水となり、幅40km,長さ100kmの巨大な水溜りができ、死者・行方不明者が300名、全壊家屋3500棟、冠水面積が5万6千ヘクタールと、当時の北海道の耕地の5分の1以上が浸水しました。

農作物がほぼ全滅し、橋や鉄橋が流されるなど、やっと軌道に乗った北海道の開拓が事業ができなくなり、北海道から1万人以上の移住者が引ぎ上げています。

図1 明治31~32年に大きな被書をもたらした台風
図1 明治31~32年に大きな被書をもたらした台風

図は、明治31~32年に、日本に大きな被書をもたらした台風の経路で、丸数字は、

1 明治31年9月上旬

2 明治32年8月上旬

3 明治32年10月上旬 の台風を示します。

つまり、1の丸数字の台風が北海道に大きな影響を与えた台風の経路ですが、この台風が東海地方にあったときの天気図が図2で、岡田武松著が明治34年に著した近世気象学に掲載されているものです。

図2 近世気象学に使われている天気図
図2 近世気象学に使われている天気図

気象学会の機関紙「気象集誌」の「九月六七日の大風(理学博十和田雄治)]に次の記載があります。ここで、盖シ(ケダシ)は、「思うに」という推量を意味する言葉です。

此暴風ハ其深度ノ割合二比スレハ雨量極テ寡ク北海道ノ如キ水害ノ起リタルハ盖シ大風数日前ヨリ降雨アリシヲ以テ土地ニ湿潤シ居タルヲ以テ小量ト難モ河川ノ出水ハ甚タ顕シキニ至リシナラン

台風の被害調査

石狩川流域では関係者が集まって石狩川治水を求める請願が行われ、貴族院議長の近衛篤麿も板垣退助内務大臣(北海道開発を担当)に、北海道開拓の一番の障害は治水計画がないことであると願い出ています。

明治31年の洪水を契機に、石狩川の治水計画を策定するため「北海道治水調査会」が同年10月20日に設置され、北海道庁の技師・岡崎文吉によって検討が始まりました。

しかし、明治37年7月9~11日にかけて台風が北海道を横断したため大雨となり、石狩川は大規模な氾濫を起こしています。この時の氾濫は明治31年の氾濫と同規模、あるいは上回るものでした。

調査は、2つの洪水を比較する形で行われ、明治42年に石狩川治水計画調査報文ができています。

そして、石狩川改修工事のため、明治43年に石狩川治水事務所が設立され、岡崎文吉が初代所長に就任しています。

短くなった石狩川

石狩川は全長268キロメートルで、全長367キロメートルの信濃川、全長322キロメートルの利根川に次ぐ、日本三位の長さの川ですが、明治27年の記録では石狩川の全長が364キロメートルと信濃川に匹敵する長さの川でした。

しかし、その後の改修工事で川をショートカットしたため短くなり、そのなごりが、今も多数残っている三日月湖です。

短くなった石狩川は、ときどき発生する大水害を乗り越え、北海道が発展してきた証の一つです。

図の出典 :饒村曜(2015)、明治31年洪水、気象災害の事典(新田尚監修)、朝倉書店。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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