Yahoo!ニュース

琉球気象庁が命名した57年前の宮古島台風

饒村曜気象予報士
池間大橋(写真:アフロ)

今から57年前の1959年(昭和34年)9月15日、台風14号が沖縄の宮古島を通過しています。宮古島(面積158平方キロメートル)を暴風域の半径が300キロメートルと広かった台風が襲ったのです。

宮古島では長時間にわたっての暴風となり、宮古島では最低気圧908.4ヘクトパスカル、最大瞬間風速は毎秒64.8メートルを観測し、全壊家屋4000戸、半壊家屋6000戸と、ほとんどの家に被害がでました。

当時の沖縄は、本土復帰前であり、気象業務は琉球気象庁が行っていました。

米国軍政府、米国民政府をへて昭和27年4月1日に設立された琉球政府で気象業務を行っていた琉球気象庁は、この台風を宮古島台風と名付けています。

宮古島台風

図1 宮古島台風の経路(気象庁HPより)
図1 宮古島台風の経路(気象庁HPより)

宮古島台風は、宮古島を通過後に加速し、やや衰えながら対馬海峡に達しました。

九州上陸はしませんでしたが、長崎県を中心に、熊本、鹿児島、佐賀、山口の各県では強風と大雨となりました。

宮古島台風の被害は関東を除く全国に及び、死者・行方不明名99名、住家被害1万7000棟、浸水家屋1万4000棟、船舶被害800隻などでした。浸水家屋の多くは、宮古島台風が接近した長崎県であり、船舶被害は福岡県と北海道沿岸部です。

今からみると大きな被害でしたが、当時の日本は、死者が1000名以上という台風災害が相次いでおり、気象庁は、この台風14号に特別な名前をつけませんでした。また、台風14号の一週間後、台風15号が襲来し、伊勢湾で大きな高潮がおき、東海地方を中心に5000名以上が亡くなるという大惨事が発生しています。気象庁は台風15号を伊勢湾台風と名付け、日本国民の多くの関心は伊勢湾台風に移っています。そして、宮古島を襲った台風14号への記憶が薄れています。

最大瞬間風速85.3メートルの第2宮古島台風

図2 第2宮古島の経路(気象庁HPより)
図2 第2宮古島の経路(気象庁HPより)

昭和41年9月5日、台風18号により、宮古島で最大瞬間風速、毎秒85.3メートルを観測しています。平地で観測された数値としては日本最大の猛烈な風でした。最大風速は毎秒60.8メートル、最低気圧は928.9ヘクトパスカルでした。

台風の速度が時速10キロメートルと遅かったため,宮古島では32時間にわたって,暴風雨が吹き荒れ、ほとんどの家が被害を受けています。当時の宮古島はサトウキビが主力作物で、空前の豊作が予想されていましたたが、台風18号の海水を伴った暴風によってなぎ倒され、70%以上が収穫不能という壊滅的被害がでています。第2宮古島台風の被害は、宮古島と石垣島を中心に、住家被害8000棟などでした。

気象庁では、台風18号について、琉球気象庁からの要請もあって9月21日に第2宮古島台風と命名している。すでに、琉球気象庁によって宮古島台風が命名されているので、「第2」としていますが、宮古島台風とは台風の経路は似ていません。共通しているのは、宮古島で大きな被害が発生したということです。

前線を刺激して西日本で大雨となった第3宮古島台風

図3 第3宮古島の経路(気象庁HPより)
図3 第3宮古島の経路(気象庁HPより)

昭和43年9月22日夜半に宮古島を通過した台風16号は、宮古島で最大風速が毎秒は54.3メートル、最大瞬間風速が毎秒79.8メートル、最低気圧が942.5ヘクトパスカルを観測しています。

鹿児島県串木野市付近に上陸後は、急速に衰えながら九州西岸を北上し、25日12時に熱帯低気圧に変わりましたが、台風の北上に伴って西日本の南海上にあった前線の活動が活発となっています。九州東部から紀伊半島南部では23日から27日にかけて大雨となり,三重県尾鷲では806.0ミリの日降水量を観測しました。また、台風が通過した九州では、暴風が吹き荒れ、近畿以西で死者11名,住家被害6000棟、浸水1万5000棟などの被害が発生しています。

気象庁では、宮古島台風、第2宮古島台風に準ずる風速などの記録や宮古島の被害などから、この台風16号を第3宮古島台風と命名しています。

個人的には、3つの宮古島台風の命名の経緯から、気象庁と琉球気象庁との連携が次第に緊密になってきたと感じています。

沖縄の本土復帰と沖縄県の発足

沖縄の本土復帰し、沖縄県が発足したのは昭和47年5月15日のことで、太平洋戦争で連合軍に占領されてから27年後のことです。

宮古島台風,第2宮古島台風,第3宮古島台風は,いずれも琉球の本土復帰前であり、沖縄では台風番号ではなく、アメリカ軍の発表する女性名で、順に「サラ(Sarah)」「コラ(Cora)」「デラ(Della)」と呼ばれ、記憶されていました。

沖縄の本土復帰に伴い、琉球気象庁は沖縄気象台となり、気象庁の地方組織となっています。

気象庁は、札幌、仙台、東京、大阪、福岡の5つの管区気象台がありますが、沖縄気象台は管区気象台に準ずるものとし、全国の府県に設置されている地方気象台より各上の組織となっています。

沖縄の本土復帰の頃、気象庁予報課で予報業務に従事していましたが、多くの人が予報官として着任し、多くの先輩が沖縄県にある気象官所に赴任してゆきました。

沖縄周辺は、台風の観測や予報など、日本の気象業務で重要な働きをする地域です。このため、気象庁と沖縄気象台が一体化して業務を早急に行うため、人事交流が盛んに行われたのです。

(注)タイトル画像の池間大橋は、平成4年に完成した宮古島と池間島を結ぶ全長1425メートルの橋で、エメラルドグリーンの海をわたる絶景の橋でもあります。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

饒村曜の最近の記事