Yahoo!ニュース

狩野川台風時に多くの人を救った「月ヶ瀬の教訓」 

饒村曜気象予報士
早春の狩野川(写真:アフロ)

南から北へ流れる狩野川

太平洋側で唯一、

訂正(9月26日22時):当初、冒頭に「太平洋側で唯一」と書きましたが、狩野川以外でも、東北地方の阿武隈川など、南から北へ流れる川がありますので、この部分を削除しました。

南から北へ流れる大河である伊豆半島の狩野川は、昔から水害に悩まされてきました。

太平洋側の大雨は、太平洋高気圧の強まりによる前線の北上や台風の北上など、雨域が北上してくる場合が多くあります。北から南に流れる川の下流では、降り始めた雨がそのまま海に流れたあとに上流に降った雨が流れてきます。しかし、南から北ヘ流れる川の下流では、上流に降った雨が流れてきているときに雨が強まって、それが川に流れ込みますので、水害の危険性は高まります。

この狩野川に、かって温泉療養学研究所がありました。

温泉療養学研究所

日本では、かつて、多くの大学に温泉研究所が設けられ、温泉に関する研究が盛んに行われていましたが、直ちに研究成果が出なかったこともあり、ほとんど廃止あるいは、改編されています。しかし、温泉に病気を治す力があることは古くから知れ渡っており、湯治は盛んに行われています。このため、学問的に解明して欲しいという研究要望は根強くあります。

昭和16年(1941年)8月、静岡県上狩野村(現 伊豆市)に慶応義塾医学部附属月ケ瀬温泉療養学研究所ができ、昭和20年3月からは診療所も開設しています。ここは、狩野川の中州で、狩野川東方の山々にかかる美しい月を見ることができることから月ヶ瀬とも、温泉が湧き出ている島ということから中之島温泉とも呼ばれていたところでした。食糧難から閉鎖していた旅館を買い取り、その建物を使っての研究所でした(図1)。

図1 月ヶ瀬温泉療養学研究所
図1 月ヶ瀬温泉療養学研究所

月ヶ瀬の教訓

昭和21年8月に研究所の責任者として赴任してきた藤巻時男博士は、温泉気象医学の研究を始めます。温泉と気象を組み合わせれば、よりよい治療ができるとの考えに加え、中州にあり出水の危険がある場所ということから独自の気象観測を行い、ラジオで天気予報や漁業気象を聞き、毎日天気図を書いていました。

昭和33年9月26日夜に伊豆半島をかすめて関東地方に台風22号が上陸したときは、気象観測やラジオの情報、自分の描いた天気図から、職員や患者30人を引き連れ早めに避難をしています。台風22号の大雨で狩野川は決壊、温泉療養学研究所は跡形もなく流されていますが、人的被害はありませんでした(図2)。

図2 狩野川台風時の伊豆半島の総雨量(9月25日9時から29日9時●印は月ヶ瀬)
図2 狩野川台風時の伊豆半島の総雨量(9月25日9時から29日9時●印は月ヶ瀬)

藤巻時男は、数千人の患者の病気と気象との関係の記録や、気圧と雨量の記録を失っていますが、「あの12年間の記録があったからこそ、逃げるときの基準になったのだ。でなかったら、全員死んでいたかもしれない」と述べています。

自分の住んでいる場所の危険性を正しく認識し、情報入手に努め、自らも周囲の状況に気を配り、適切な行動を素早く行って人命を守るという藤巻時男の行動は、「月ケ瀬の教訓」として語り継がれています。

その後、温泉療養学研究所のあった中洲は、河川改修で左岸と陸続きとなり、昭和52年からは慶庵義塾大学月が瀬リハビリテーションセンターとして、リハビリテーション医療を行っています。

狩野川放水路

狩野川放水路は、狩野川下流域の洪水防止のため、昭和26年に静岡県田方郡江間村(現 伊豆の国市)と江浦湾を結ぶ放水路として建設が始まりましたが、予算難から計画は遅れに遅れ、完成の見込みが立たない状況でした。

しかし、昭和33年の台風22号は、のちに狩野川台風と名付けられたように、狩野川流域を中心に大きな被害が発生し、死者は1000人を超えました。このため、狩野川放水路の完成が急がれ、2本トンネル計画を3本トンネルに拡充した放水路が完成したのは昭和40年7月のことです。この狩野川放水路のトンネルの大きさは、メンテ作業中のトラックの大きさと比べるとよくわかります(写真)

写真 狩野川放水路のトンネル(平成20年のメンテ作業中の写真)
写真 狩野川放水路のトンネル(平成20年のメンテ作業中の写真)

狩野川放水路は、その後の狩野川本川の洪水を防いでいます。例えば、平成16年(2004年)10月の台風22号では、狩野川台風以後で最大の流量がありましたが、狩野川放水路により2.5メートルも水位を下げています。

狩野川で囲まれた沼津アルプス

図3 沼津アルプスの位置
図3 沼津アルプスの位置

伊豆半島西端の付け根にあるJR沼津駅付近にある香貫山から南南東に7つの山が連なっており、沼津アルプスと呼ばれています。一番高い山でも鷲頭山の標高392メートルしかありませんが、東京から日帰りができること、歩きごたえがある尾根道であること、裾野を広げた富士山と洋々とした海が同時に楽しめる絶景があることから人気を集めています。

平成16年に岩崎元郎が「新日本百名山」に沼津アルプスを選定しています。

この、沼津アルプスの東側から北側を狩野川がまわりこむように流れて駿河湾に注ぎ、南側を狩野川放水路が流れて江浦湾から駿河湾に注ぎますので、沼津アルプスは、事実上、狩野川と海に囲まれた大きな島ということもできます(図3)。

写真、図出典:饒村曜(2010)、静岡の地震と気象のうんちく、静岡新聞社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

饒村曜の最近の記事