急速に発達する台風とマリアナ海難
台風が急激に発達する海域
昭和26年から55年までの30年間の9時と21時について,台風の前24時間気圧変化をみると50ヘクトパスカルを超えて発達した場合が全体の0.9%あり、そのほとんどが,マリアナ近海およびマリアナの西海上となっています(図1)。この期間に一番発達したのは、昭和28年の13号台風で実に1日に95ヘクトパスカルも発達しています。
発生が遅いことで話題となった、平成28年の台風1号も、マリアナの西海上で、24時間に55ヘクトパスカル発達しています。
台風が急速に発達して日本に接近する場合は、大きな被害をもたらすことが多いと言われています。24時間に95hPa発達した昭和28年(1953 年)の台風第13 号(5313号)では478 人が、91hPa 発達した昭和34 年の台風第15 号(5915号:伊勢湾台風) では5098 人が、85hPa発達した昭和33年の台風第22号(5822号:狩野川台風)では1216 人がなくなっています。これらの台風は、いずれもマリアナ近海かマリアナの西海上で急発達しています(図2)。
マリアナ海難の発生
マリアナ諸島北部にアグリハン島があります。東西6 キロメートル、南北10キロメートルの小島です。が、中央部には標高965メートルの高い山があり、台風に対して最適の避泊地となっています。大正時代からカツオを求めてマリアナ諸島へでかけていった日本船が、幾度となくこの島陰で台風の難を逃れてきました。
昭和40年10月4 日15時に、グアム島の東海上で発生した台風29 号がマリアナ諸島に近づいたときも、10隻のカツオ船がアグリハン島に集まってきました。
そして、台風がアグリハン島の西側を通ることを想定し、風下になるように島の西側に停泊し、台風の勢力が弱いこともあり、当番者を残して眠りについたといわれています。しかし、台風は24 時間に62ヘクトパスカルという急発達をし、台風が島のすぐ東側を通っています(図3)。
このため、停泊地の風向は島に向かう風 (向岸風)となり、島影の恩恵をうけるどころか、かえって危険となって、助かったのは1名、遺体が見つかったのが3名、見つからなかったのが206 人と深刻な海難が発生しています。
当時は気象衛星もなく、マリアナ諸島グアム島の陸上観測と米軍飛行機の観測だけという非常に少ない資料をもとに台風予報作業を行っていたため、このような急発達を予測できませんでした。
当時の天気図の原図を見ると、6日3 時は994ヘクトパスカルで、今後24時間までの最大風速毎秒25メートル(後で970ヘクトパスカルに修正) であったものが、7 日3 時には950ヘクトパスカル、今後24時間までの最大風速毎秒50メートル (後で914ヘクトパスカルに修正)となっています。予報・解析とともに、この台風の急発達に対して後追いとなっています。
マリアナ海難後
マリアナ海難後、漁業関係者は気象通報ミスとして気象庁に抗議し、佐藤内閣総理大臣の指示で、洋上の船からの気象資料を多くするなど観測の強化が図られています。また、日本近海で予想以上に急速に低気圧(熱帯低気圧も含む)が発達し、毎秒25メートル以上の暴風が吹くと考えられるときには、すみやかに地方海上警報の警急信号の制度(オート・アラーム)が、翌昭和41年2月に作られています。
図の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。