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空の非常時を演出した「七五三台風」

饒村曜気象予報士
七五三(ペイレスイメージズ/アフロ)

気象庁で用いている「台風の上陸」の定義は、「本州、四国、九州及び北海道の陸上に台風の中心 (気圧の一番低い所)が達したもの」です。

沖縄本島など島の上を通過した場合は上陸とは数えていません。

台風上陸一番多いのは8月で、次いで9月となっていますが、11月以降にも台風が上陸しています。

今年は、台風が24個発生し、このうち6個が上陸しています。

これから台風の発生が1~2個あるとしても、台風が上陸する可能性はほとんどないと考えられますが、過去の資料から台風による災害の可能性がゼロではありません。

11月、12月に上陸した台風

気象庁ホームページに、上陸が遅い台風の一覧表があります。これによると、一番遅く上陸した台風は、平成2年11月30日に和歌山県白浜町の南に上陸した台風28号で、11月に上陸したのは、この台風だけです(図1)。12月の上陸台風はありません。

図1 遅い台風の上陸(気象庁ホームページより)
図1 遅い台風の上陸(気象庁ホームページより)

しかし、これは、台風の統計をとり始めた昭和26年以降の話です

それでは昭和25年以前はどうであったかというと、これは難しい問題です。

というのは、現在と定義が異なっていることに加えて、解析方法が異なっていることなどから、当時、上陸として扱っている台風でも、現在の基準からみれば、上陸時にはすでに「熱帯低気圧」に衰えていたり、温帯低気圧に変っていたりするものが含まれています。

また、逆に当時の乏しい観測貸料では、上陸した台風を見逃している場合も十分に考えられ

るからです。

以上のことを承知で古い資料、例えば昭和19年に中央気象台が作った「日本颱風資料」や、昭和15年から毎年、中央気象台(現在の気象庁)で作られている「台風経路図」などで調べると、

明治25年 (1892年)11月24日に東海地方に上陸した台風、

明治27年12月10日に九州南部か11日に関東地方に上陸した台風(図2)、

昭和7年11月15日に房総半島に上陸した台風(図3)、

昭和23年11月19日に紀伊半島に上陸した台風、

という4個の台風が11月、12月に上陸したことになっています。

図2 明治27年12月の台風の経路
図2 明治27年12月の台風の経路

ただ、いずれも上陸時には温帯低気圧に変わっていた可能性が高く、11月以降の台風上陸は、平成2年の台風28号のみである可能性もあります。

ただ、このことは、11月以降に台風による被害がないという意味ではありません。

昭和7年11月15日に房総半島に上陸した台風は、大きは被害が発生しています。

図3 七五三台風の経路と昭和7年11月14日18時の天気図
図3 七五三台風の経路と昭和7年11月14日18時の天気図

七五三台風

表 七五三台風の県別の死者・行方不明者数
表 七五三台風の県別の死者・行方不明者数

今から84年前の、昭和7年11月7日にフィリピンの東海上で発生した台風は、ルソン島をかすめて北上した後、向きを北東に変え、発達しながら15日0時に千葉県房総半島に上陸しています。

ちょうど、七五三の日に上陸したため、「七五三台風」と呼ばれることがあります。

七五三台風により、最大風速は、横浜で毎秒36.3メートルを観測するなど、東海地方から関東地方の沿岸沿いの地方で30メートルを超えています。

また、伊豆半島や関東南部~福島県の太平洋側では、ところにより総雨量が200ミリを超える豪雨となって、死者・行方不明者257名という大きな被害が発生しています(表)。

中央気象台が毎月発行していた「気象要覧」によると、七五三台風が現在の基準ら見れば、上陸時には前線を伴っていた(温帯低気圧に変わっていた)と思えるような記述もあります。

ただ、当時は前線の概念は一般化しておらず、日本の天気図には前線が記入されていません。

関東付近まで進行し来った台風域内には北東風、北西風、南風の三気流系があるらしく、第一と第三は気温の差が最も大であるために、その間に顕著なる不連続線を生じたものの如くである。中心より進行方向に向かって延びるこの不連続線は…

出典:気象要覧(昭和7年11月号、中央気象台)

空の非常時

昭和7年という年は1月に上海事変、3月に満州国建国宣言があり、その後日中戦争の激化などがあり、戦時体制が強化されていった年です。

そのせいか、昭和7年11月15日の朝日新聞夕刊では、七五三台風を「空の非常時を演出した」と記しています。そして、「お天気博士あきれる 先例や経験だけでは駄目になって来たよ」という、藤原咲平中央気象台長の談話を載せ、最後に

「そこで藤原さんは「お天気も、どうも先例や経験で推せなくなって来たねえアハ…」なんだか感慨めいてきてそして大きく笑った」と記しています。

この藤原咲平台長は、自身の名がついた「藤原の効果(台風が複数ある時の相互作用)」を解明した人です。

最近の気象は、極端な現象が観測されるようになり、荒っぽくなってきたと言われています。

「どうも先例や経験で推せなくなって来た」という藤原博士の嘆きは、現在もあてはまりそうです。

図1の出典:気象庁ホームページ。  

図2、3、4、表の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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