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ナポレオンを撃退した新聞記事が語源の「冬将軍」がやってきた

饒村曜気象予報士
ナポレオン(ペイレスイメージズ/アフロ)

これから西高東低の冬型の気圧配置が強まり、本格的な寒さがやってきます(図1)。

図1 予想天気図(12月11日9時の予想)
図1 予想天気図(12月11日9時の予想)

本格的な寒さがくると、「冬将軍の到来です」という言葉が、報道機関等でよく使われます。これは、「北の方から厳しい寒さがやってきますよ」ということを、人に例えているのですが、洒落ではなく歴史的な新聞記事が語源です。

冬将軍の語源

19世紀初め頃、数々の戦いに勝ってヨーロッパを支配するに至ったフランスのナポレオンは、敵対していたイギリスを孤立させるために大陸封鎖令をだしましたが、ロシアはナポレオンに従わずにイギリスヘの穀物輸出を続けました。

そこで、1812年6月にナポレオンは60万人ともいわれる大軍を率いてロシア遠征に向かい、9月には首都モスクワを占領しています。しかし、ロシアの焦土戦術による長期戦に持ち込まれています。ナポレオンは、9月 14 日にモスクワに入城したものの、モスクワ大火で町の4分の3が焼失したことから、住居と食料を失つて撤退をよぎなくされます。

短期決戦を予想していたフランス軍は冬支度をしておらず、防寒着等の調達もできない状態でしたので、モスクワ占領以降は寒さに苦しみ、ナポレオン自身も風邪をこじらせています。撤退するフランス軍に対して、ロシア軍のコサック騎兵や農民のゲリラが襲い掛かり、11月に入ると冬の寒さが加わつたことで大陸軍では37 万が死亡し、20 万人が捕虜となり、12月10日にフランスに帰還したのはわずか5000 人であったといわれています。

この年の寒波は100年に一回あるかないかという厳しいもので、ナポレオンといえども厳しい寒さは予想外でした。これをきっかけにナポレオンの転落が始まり、「ナポレオンも冬の寒さには敵わなかった」ということになりました。この遠征失敗を記事にしたイギリス人の新聞記者が「general frost(厳寒の将軍)」と表現したことが、冬将軍の語源といわれています。

ちなみに、1812年の寒波は、遠く離れた日本でも記録的だったようで、長野県の諏訪湖でも12 月28 日には早くも全面結氷をしています ( 「御身渡り」がおきています)。

西高東低の気圧配置

冬のシベリア地方は、太陽光がほとんど当たらず、さらに放射冷却も加わり、上昇気流も起こらず、冷たいシベリア高気圧が発生します。シベリア高気圧は、地表付近で特に冷たく、東シベリアでは1月の平均気温がー40度以下になるほどの低温をもらたします。

これに対し、海が凍っていなければ、海面付近の気温はマイナスにはなりません。このため、シベリアに比べて暖かい千島近海からアリューシャン列島南部にかけては気圧が低くなります。 

図2 日本海の雪の仕組み
図2 日本海の雪の仕組み

このため、日本付近の等圧線は、ほぼ南北に走り、東側で気圧が低く、西側が高いという「西高東低の気圧配置」になり、北風や北西風が吹きます。そして、冷たくて乾燥しているシベリア地方からの寒気が南下します。

シベリアからの寒気にとっては、表面付近の水温が10度以下の日本海であっても、熱いお湯です。そのため、寒気にも係らず、湯気を上げて日本海を吹き渡り、日本海から熱と水分を吸収して積乱雲ができます。

その積乱雲が脊梁山脈によって強制的に上昇させられ、日本海側の地方に雪を降らせます。日本海側に雪を降らせた空気は乾燥し、脊梁山脈を越えて太平洋側の地方に乾燥した強い風が吹き降ります。

このような本格的な冬が到来しました。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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