北陸地方では過去には18年ごとに大規模な雪害があった
昭和2年豪雪とロータリー車
大正15年(1927)12月25日に大正天皇が崩御され、即日、昭和元年(1927)がスタートしています。
昭和元年は、1週間をたたないうちに昭和2年となりますが、冬型の気圧配置が続き、日本海側の地方では、大雪となり、人家や列車が埋没しています。
大正から昭和初期にかけては、重要性を増してきた鉄道網の冬期間における定時運航が問題となってきました。
車両の前方に排雪板を装着し、進行方向の片側もしくは両側に雪を掻き分ける「ラッセル車」が整備されましたが、雪が少ないときは活躍したものの、北陸地方の豪雪時には、すぐに雪を排雪するスペースが無くなって運用できなくなっています。
そこで、排雪でできた線路脇の雪の壁を崩し、それをローターで集めて遠くへ投雪するロータリー車が使われるようになりました。
輸入したロータリー車の運用実績をもとに、日本の雪質に合わせた細部設計を行った国産ロータリー車を製造しはじめたのが昭和2年からです。
しかし、冬の短い時間しか使わないロータリー車を大量に作ることは現実的ではなく、結局は作業員を大量動員して手作業で排雪する人海戦術による鉄道網の維持が主流のままでした。
豪雪は18年周期
昭和に入ってからの北陸地方の豪雪は、原因はよく分かりませんが、18年周期です。
昭和2年の大雪の次の大雪は、太平洋戦争末期の昭和20年で、内地にいた北陸地方からの召集兵は、地元に帰され雪かきに従事させられています。
その次の大雪は、昭和38年で「三八豪雪」と呼ばれる記録的な豪雪でした。
さらに、次の豪雪が昭和56年の豪雪です。
その18年周期をそのまま延長すると、平成11年、そして、今年、平成29年が該当します。
ただ、昭和56年以降は気温が上昇しているためか、雪ではなく雨になったりして、記録的な豪雪にはなっていません。
新潟県・高田の積雪の記録
新潟県上越市の高田は、豪雪地帯として有名で、昭和20年2月26日には積雪377センチメートルを記録していますが、近年は温暖化などの影響で小雪傾向が続いています。
積雪の記録10位までを見ると、ほとんどが昭和初期の観測で、5位の324センチメートルが昭和61年2月6日の観測です(表1)。
これに対し、青森など高田より高緯度にある地点の積雪の記録10位までには、平成の観測が入っています(表2)。
豪雪地帯が次第に北へ移動しています。
大雪のあと暖気が入る予想
近年は温暖化などの影響で小雪傾向が続いていますが、雪害は減ってはいません。
まとまった雪が降るときは、以前とは違う形態の雪害が起き、多くの人命が失われていますので、警戒が必要です。
日本海には、上空に強い寒気を伴なった低気圧があり、大気が不安定になっています(図1)。
この低気圧が通過するときは暴風と大雪に警戒が必要ですが、日本の東海上に抜けたあと、西高東低の冬型の気圧配置となって日本海側の山間部を中心に大雪となる予想です。
そして、その後、日本海の低気圧に向かって南から暖気が入ってくる予想で、雪崩が起きやすくなります(図2)。
今後、大雪に対して警戒が必要ですが、大雪が止んだあとも雪崩などに注意と、気象情報の入手に努め、警戒する状況は続きます。
写真の出典:高橋義鶯編(1927)、昭和2年大雪譜、高田新聞社。