「東京砂漠」は東京オリンピックの頃から始まった 東京の相対湿度の記録
湿度は、大気中に実際に含まれている水蒸気の量と、その大気がその温度で含みうる最大限の水蒸気の量との比を%で表わした相対湿度が使われます。
空気中に同じ量の水蒸気があっても、温度が高ければ含みうる最大限の水蒸気量が多いので、相対湿度は小さくなります。
相対湿度の記録
空気が湿って相対湿度が100%近い値になることは珍しくないため、相対湿度の値が大きい統計はとられていません。相対湿度の統計は、値が小さい場合だけです。
周囲が海に囲まれている日本では、相対湿度が極端に小さくなることは少なのですが、それでも、平成17年4月6日に熊本県阿蘇山で3回目の相対湿度0%を記録するなど、岐阜県高山(平成17年4月9日)、鹿児島県屋久島(昭和46年1月19日)など、相対湿度0%を記録した観測地点があります。
湿度は1%単位で測りますので、フェーン現象がおきて空気が乾燥したときに、大気中に浮遊していた火山灰が水蒸気を吸収するなど、いくつかの要因が重なって相対湿度が0.5%未満になったというのが、相対湿度0%です。
東京では、昭和25年以降の統計では、平成15年2月28日の6%が最小記録です。このときは、移動性高気圧に広く覆われていました(表1、図1)。
ついで、昭和38年1月24日の6%(同じ値のときは新しい観測が上位になります)、平成26年4月12日の8%、昨年3月17日の9%と続きます。平成に入ってから、続々とランクインです。
この日だけの記録的な乾燥ですめば影響は少ないのですが、湿度が低い状態が続くと材木がひび割れたり、大火が起きやすくなります。
東京砂漠
東京オリンピックが始まる数か月前の昭和39年夏、東京は異常渇水と猛暑にみまわれていました。7月22日から8月19日まで連続して真夏日が続き、8月には東京区部で1日15時間断水という異常事態となっています。
このときに生まれた言葉が「東京砂漠」で、その後、都会生活の味気なさを表現する言葉として定着しています。
また、昭和51年には内山田洋とクールファイブのヒット曲の題名にもなっています。
東京の相対湿度は、19世紀後半には年平均で70%台後半でしたが、次弟に減少し、東京オリンピックの頃から60%台前半となっています。近年は60%を切ることも珍しくありません(図3)。
砂漠地帯の国での湿度の観測を行っているところは少ないのですが、リビアのトリポリで57%など、砂漠地帯の国でも、人が多く住んでいる場所での相対湿度は50%台です。
東京も砂漠の都市に近くなってきたと言えなくもありません。
都市は乾燥する
都市に多くの人が集まると、都市域では、周囲の地域と多くの点て気候が異なってきます。これを都市型気候といいます。
都市化が進むと、植物が減るなどで乾燥してきます。
霧は都市化によって大気中の微粒子が増加して発生しやすくなる面と、都市化によって乾燥してきて発生しにくくなる面がありますが、総合すると、都市化が進むと霧が少なくなります。
一口に都市化の影響といっても単純ではありませんが、人口が密集し、大気が乾燥してくることは、火災の危険性が高くなるということです。
東京の月別の相対湿度をみると(表2)、冬が低く、夏が高くなっています。
東京では、冬から春は乾燥している季節です。
乾燥している季節なので、より一層の火の用心
20世紀初めに80%台前半だった7月の相対湿度は、最近では60%台後半なっていますが、20世紀初めに60%台半ばだった1月の相対湿度は40%台半ばになっています。
つまり、都市化によってもともと乾燥している冬のほうが、夏より乾燥化しています。
冬から春にかけては、空気が乾燥し、大火になりやすいので、火事を出さないよう、より一層の火の用心に務める必要があります。