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見える承認欲求、見えない承認欲求   ~承認欲求に苦しんだ女性がたどり着いた「安定」~

小川たまかライター
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■「承認欲求が強いこと」が問題ではない

近頃なにかと話題に上がることの多い承認欲求。承認欲求の定義が曖昧なまま議論が先走りしている感もあるが、これまでネット上で話題になった記事や記事についたコメントの中でたびたび言われている通り、承認欲求は誰にでもあるもので、それを持つことが悪いことではない。また、「承認欲求が強い」こともそれ自体が非難されることではない。問題となるのは、強い承認欲求を持つことで本人もしくは身近な人が苦しんでいる場合であり、そのためには問題提起や解決策の提示が必要だ。承認欲求が強いからといって、本人がそれをうまくコントロールしている状況であれば、周囲がとやかく言うのは余計なお世話だろう。

■「承認欲求」と向き合ってきた女性 「小学生の頃から死にたかった」

自らの「承認欲求」に気付き、向き合ってきたという女性の話を紹介する。

30代の女性、Aさん。彼女は思春期のころから対人関係での悩みを感じていて、人からの評価が常に気になり、自分の価値を感じられないでいた。

「小学校4年生ぐらいのころから『死にたい』と思っていました。こたつのコンセントの差し込み口のところに指を入れて、感電して死ねないかと何度も試しました。でも死ぬと誰かに迷惑をかけるから、存在ごとなくなりたかった。その一方で誰かに自分を気にかけてほしくて、新聞の文字を切り抜いて『死ね、バカ』という手紙をつくって自分の下駄箱に入れて、友達に見せたりしていました」

悩みがさらに深くなるのは中学・高校時代。目立つ外見だったためか異性から「付き合って」と言われることが多かった。そのたびにOKしたが、交際は長くても2ヶ月しか続かなかったという。

「私は『好き。付き合って』と言われた瞬間から相手のことを好きになってしまうんです。でも小学校時代に男の子にいじめられた経験からなのか、2人きりになるとうまく話せない。無表情、無反応になってしまう。すぐに飽きられて振られました。『あいつ、つまんなかった』と言いふらされてるんじゃないかと思うとすごく怖かった」

高校2年生の頃から、シャーペンやカッターで左腕を傷つけるようになった。「リストカット」という言葉はそのころ知らず、Aさんが傷つけたのは手首ではなく腕の部分だった。傷つけると「誰かに許してもらえるんじゃないかという気がした」という。異性と短期間付き合っては別れる、という繰り返しは20代前半まで続いた。

■母の複雑な愛情コミュニケーション

Aさんが自分のこれまでについて深く考え始めたのは結婚後、20代後半になってから。心理学や教育に関する本を読み、思い当たったのは母との関係だった。

「母に虐待を受けたとか、母が冷たい人だったというわけではないです。でもスキンシップを嫌う人で、私が抱きついたり触ったりすると『やめて』と言われた。その一方で、ときどき躁状態みたいになって夜中に急に寿司屋に連れて行かれたり、高い子ども服を買ってきたりしました。今思えば母の愛情表現に混乱していたんだと思います」

「愛着障害」という言葉がある。『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(岡田尊司/光文社新書)によれば、それは子ども時代に良好なかたちで愛情を受けられなかったことが原因でパーソナリティーが安定せず、大人になってからも対人関係に問題を抱えることだ。親の不在や虐待でも起こりえるが、外から見て一見普通の家庭であっても、愛情のコミュニケーションがうまくいかないことはある。

「母とは仲が悪かったわけではなく、むしろ母を尊敬していました。でも生理になったときや、小学校時代に痴漢にあったときには母に言えず、むしろ『黙っていなくては』と思いました。でも私も母と同じような愛情表現をすることがある。ゾッとしたのは、高校時代にほんの数週間だけ付き合っていた男の子に数万円する時計をプレゼントしたのを思い出したとき。あれは母が私に突拍子もなく高級品を買ってきたのと同じだった」

ただ、突破口になるきっかけをつくったのもまた母のひと言だった。私立の有名大に進学し、就職活動を迎えたとき。

「氷河期でしたし就職活動は全然うまくいかなかった。私もはじめから諦めていたところがありました。そんな私を見て、母がぽつりと『あんたみたいないい子が、なんで決まらないの』って言ったんです。すごくびっくりしました。それまで母に誉められたことがなくて、内心では呆れられていると思っていたので。うれしくてほんの少し気持ちが楽になって、それまでよりちゃんと就職活動をするようになりました」

■愛着障害を乗り越えた人が持つ強さ

また、就職先での経験も大きかったという。

「それまでの就職活動で会社というところはすごく怖い場所だと思っていたし、雇ってもらえても認めてはもらえないだろうと思っていました。入社したのは小さな会社だったんですが、アットホームな雰囲気で先輩の女性社員が冗談を言ってしょっちゅうみんなを笑わせてくれた。今思うとおかしいんですが、私はそれまで会社で冗談なんて言っちゃいけないんだと思ってました」

この会社で出会った男性と結婚。現在は2児を育てている。

「今はSNSでつながりを欲することが『承認欲求』の表れと言われたりしますが、周囲から分からないかたちで強く『承認欲求』を持っていることはあると思う。私はアピールしなかったけれど、ずっと誰かに認められたい、愛されたいと思っていましたから」

Aさんは、かつて自分が母にしてほしかったように子どもを抱きしめるという。「いい子だね」「好きだよ」と頻繁に言う。

『愛着障害』のなかにはこんな一文がある。

愛着障害という根源的な苦悩を乗り越えた存在は、人を癒やし、救う不思議な力をもっているのかもしれない。(略)もっといえば、その人自身、自らの愛着の傷を癒やすためにも、人を癒やすことが必要なのだ。

出典:『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(P256)

この一文は同じ苦しみを抱える人にとって希望の光に感じられるのではないだろうか。自分の心の問題を乗り越えるのは自分にしかできず、そのためには身近な人の力を借りられることが望ましい。だが、乗り越えたときにはその強さで誰かを救えるかもしれない。穏やかな表情のAさんを見ると、まさにそう思わせられる。母から愛されているという事実に気付き、心から受け入れてくれる優しい夫の存在を得て、さらに弱かった自分を振り返ることでAさんは安定を得た。

「今でも母との関係を考え続けているし、わけもなく落ち込んで夫に迷惑をかけることはある」と言うが、自分の弱さから逃げず理由を考え、それに向き合った人は強さを身につける。過剰に承認欲求を持つことは誰かの承認を得なければ自分の存在を認められないということであり、認められない自分に苦しむことはひどく危険なことで、それは弱さである。

■承認の飢餓に苦しむ人のために身近な人ができることは

承認欲求を満たしてくれるのは、たいていにおいて他人である。SNSの使い方などから、見えるかたちの承認欲求に対して、彼らが求めているのはSNS上のつながりや不特定多数の友人から得られる承認と思われがちだ。しかし、欲しがる承認のかたちは多様であり、Aさんのように身近な人からの承認によって、少しずつ安定を得る場合もある。むしろ、不特定多数の承認を得ようとするのは、根源的な承認欲求(最も身近な人からの承認)を得られなかったからによるものという指摘は以前からされてきた。

自分の存在を安定させることは究極的には自分にしかできない。自分の身近な存在が承認欲求で苦しんでいるのであれば、できることは愛情を与えて落ち着かせ、さらにその原因を自分で考えるように導くことが必要なのではないか。多くの人が「承認欲求」というキーワードに何かを感じる時代、一見そうとは見えなくても承認の飢餓に苦しむ人は少なくないのではないかと感じる。

ライター

ライター/主に性暴力の取材・執筆をしているフェミニストです/1980年東京都品川区生まれ/Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット大賞をいただきました⭐︎ 著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)、共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』(合同出版)など

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これまで、性犯罪の無罪判決、伊藤詩織さんの民事裁判、その他の性暴力事件、ジェンダー問題での炎上案件などを取材してきました。性暴力の被害者視点での問題提起や、最新の裁判傍聴情報など、無料公開では発信しづらい内容も更新していきます。

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