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“泥んこ哲ちゃん” 阪口哲也選手、4年間ありがとう! 阪神ファーム

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
鳴尾浜のグラウンドで汗を流す阪口選手。トライアウト受験については未定です。

今月はじめに各チームから「来季の契約は結ばない」、いわゆる戦力外選手の名前が続々と発表されました。阪神も吉見投手、高山選手、西村投手、阪口選手の4人が1日に通告を受けています。それぞれの進路はまだ未定ながら、西村投手と同様に阪口選手も野球を続けたい考え。「体を動かしていないと気持ち悪いので」と、今も変わらず鳴尾浜で汗を流す毎日です。

最後の連絡に「ああ、終わるんや…」

阪口哲也選手(22)は、2010年の育成ドラフト1位で阪神に入団しました。この年は一二三選手、中谷選手、岩本投手、そして育成の島本投手、穴田選手と同い年の選手が全部で6人もいて、稀に見る多さと仲のよさに、私は“○年目6人衆”と呼んでいました。ところが昨年、穴田真規選手(現・和歌山箕島球友会)が退団。寮を出る前夜に6人揃って写真を撮ったんですよね、カメラマンは2つ下の北條選手で。

9月26日がラストゲームだった阪口選手。そうとは知らずに撮っていました。
9月26日がラストゲームだった阪口選手。そうとは知らずに撮っていました。

1人だけとはいえ、3年間いっしょにやってきた同級生が欠けたことは少なからず影響をもたらしたようです。秋の気配が漂い始めた頃に阪口選手はポツリとつぶやきました。「ことしになって、厳しいなって改めて思った。去年まではみんなでワーッとやっていたから、そんなに感じなかったんですけど。ことしは…」。穴田選手がいなくなったこともあって?「そうなんですよ。それが大きいですね、やっぱり」

ファーム本隊が今季最後の公式戦で福岡遠征中の9月30日、球団から電話がかかってきました。翌日、スーツとネクタイでホテルに来るようにという連絡です。「もう夏ですね」とか「あと1ヶ月しかありませんね」と練習終わりに漏らすこともあり、常に不安を抱えながら戦ってきた今季の阪口選手にとって、予測は可能な事態だったかもしれません。この遠征から外れたことで、覚悟はできていたのでしょう。“最後の連絡”を受けた時には「ああ、もう終わるんやなぁ」と思ったそうです。

不安があったといっても、もちろん練習や試合では誰よりも必死で、泥だらけになって一生懸命にボールを追っていました。入団時にも言っていた「泥臭く野球をやって、明るくアピール」という自身のモットーそのままに。その結果が9月26日、代打出場した鳴尾浜での今季最終戦で放ったプロ初ホームラン!まさか最後の試合になるとは思わず喜んでいたら、先日書いたように平田監督の言葉で現実を感じ取ってしまったのです。

一番下の写真はその直後に撮ったもの。笑顔が目にしみました。

感謝以外にない、とご両親

2年前の2月、安芸キャンプの休日練習にやって来た寝起きの阪口選手。
2年前の2月、安芸キャンプの休日練習にやって来た寝起きの阪口選手。

阪口選手のご両親とは入団発表会でお会いして、それ以降もよくお話させていただいていたのですが、今回は電話とメールを頂戴しました。「きのう哲也から、めったにない電話が直接かかってきたんですよ。それで『終わってしもたー』と。でも入った時から終わりが来るのはわかっていて、いつかはと思っていましたので。逆に“4年間も”というくらいの気持ちです。まさかプロに行けるなんて考えもしなかったのに、4年間お世話になって。大きなケガもなく試合に出させていただいて、親としてもありがたいこと。感謝しかありません」とお父さん。

プロ1号の写真は待ち受け画面にしてくださったそうで「いい顔でした。初めてのホームランが最後の試合に出て、嬉しかったですねえ。あいつはコツコツ、泥臭くやるしかないので。今思えば最後に使っていただいて本当にありがたく思います。いろんな出会いもあって、監督さんや皆さんに感謝の気持ちでいっぱい。それ以外、何もないです」と繰り返しておられました。

お母さんも「親としてはリトルリーグの時にヒジを故障して、野球はやめなさいとお医者さんから言われたのに、ここまで出来たこと、頑張っている姿を見られたことに感謝しています。先はどうなるかわかりませんが、この経験はすべて無駄にならないし、プラスにつながると信じています」とおっしゃいました。また「これからの人生の方が長いので、周りの方々のフォローのおかげもあり、前向きに受け止めているようです」とのこと。その通りですね。まだ22歳なんですよね。

ご両親は私にまでお礼の言葉をくださいましたが、とんでもないです。いつも、どんな時でも明るく接してくれた阪口選手に、こちらこそ感謝しかありません。写真撮影も決して嫌がらず、むしろ積極的に応じてくれて。きっとご家族の皆さんに見てもらうためだったんでしょうね。本当にありがとうございました。野球を続ける限り、引き続き追いかけていきますので、阪口家の皆様よろしくお願いします!

4年間を振り返って

フェニックス残留メンバーとダッシュ。阪口選手だけユニホームの上を着られません。
フェニックス残留メンバーとダッシュ。阪口選手だけユニホームの上を着られません。

阪口選手とは台風前に、鳴尾浜で少しゆっくり話ができました。午前中はフェニックスリーグ残留メンバーと一緒に練習をしていて、バッティングだけ別。室内練習場でマシン相手に1人で打っているそうです。グラウンドでみんなといてもユニホームの上着はありません。いまだに辛くて馴染めないシステムで、戦力外を告げられた瞬間からユニホームを着られなくなるんですよね。昔は上下トレーニングウエアで練習していた気もしますけど、今はズボンのみ着用可のようです。阪口選手もホーム用のズボンに、上は練習着でした。でも背番号が入っていたので、スタンドのお客様は見えたでしょうね。

思い出に残っていることを聞いたら、特にどの試合というのではなく「公式戦でヒットを打ったこと。1本のヒットがめちゃくちゃ嬉しかった」と言います。「エラーしたら毎日へこんでいました。1年目の育成試合で(高校の先輩の)玉置さんが投げてはる時にやったサヨナラエラーとか」。あったねえ。懐かしい。そして「1年目、2年目よりも3年目、4年目の方が自分で考えてしっかりできたので、よかったと思います」と振り返りました。平田監督には代打や代走でよく使われたり、ことしは掛布DCからも「哲ちゃん、哲ちゃん」と声をかけてもらっていた阪口選手。「掛布さんと練習したのも、いい思い出ですね。それでホームラン打てて」とニッコリ。

阪口選手のキャッチャー道具。そういえば2年前にやりましたね!懐かしい…
阪口選手のキャッチャー道具。そういえば2年前にやりましたね!懐かしい…

1年目は公式戦30試合に出て、24打数3安打2打点で打率.125。2年目は46試合で42打数10安打4打点、打率.238。3年目が69試合、94打数26安打13打点で打率.277。ことしは71試合に出て84打数23安打7打点で、打率は.274でした。昨年より減っていますが、何といっても今季はほとんどの遠征に参加していたことが大きいでしょう。行かなかったのは8月5日からの北九州~福岡遠征と、最後の9月末の福岡遠征くらい。つまり100試合以上、ベンチ入りしていたわけです。

ことしの先発出場は12試合で、5月には4試合連続スタメンもありました。6月12日の中日戦では3安打を放ち「自分でもビックリです!ナゴヤ球場は相性がいいかも。きょうは練習からいい感じでした」と声を弾ませていたのも、きのうのようです。使ってもらった試合でもっともっとヒットを打っていたら…と本人は後悔しているものの、途中出場の試合で脚力を見せたり、好守備で投手を助けるなど起用に応えています。でも残念ながら、期待した支配下登録という夢は叶わず、鳴尾浜を去ることになりました。

中谷とか、見に来ますよ(笑)

チームメートに挨拶した時、何と言われた?「4年間お疲れさんって。タイガースの皆さんには、厳しく優しく教えていただいてありがとうございました!とお礼を言いたいです。みんな仲よくて、楽しいこともいっぱいありました。僕はこれからも頑張ろうと思っているので、みんなにも頑張ってほしい。また来ます。中谷とか見に来ますよ(笑)」。なるほど、しっかりチェックしに来てください。それから「原口さんも頑張ってほしい。メッチャいい人なんです。支配下に戻れますよね?」と、今季は一緒にいることが多かった原口選手のことも気にしています。

プロ1号を放った日の阪口選手。“通告”の5日前でした。
プロ1号を放った日の阪口選手。“通告”の5日前でした。

ファンの皆さんへのメッセージは「毎朝、それと終わった時に差し入れとかいただいて嬉しかったです。ありがとうございました」。今後について「野球を続ける方向で考えています。トライアウトもまだ未定」とのこと。寮を出る時期も決まってはいませんが、練習をしている表情はとても穏やかです。きっといい結論が出ると信じて、見守ってあげてください。

最後に、こんな質問をしてみました。

― タイガースに入って、よかった?

「はいっ!よかったことばっかりです!」

とびっきりの哲ちゃんスマイルが、鳴尾浜の夕暮れに輝きました。

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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