期待の大砲が戻ってくる!復帰間近となった陽川尚将選手《阪神ファーム》
きょう23日、阪神ファームはイースタン・リーグの楽天を甲子園に迎えてのファーム交流試合。甲子園にイースタンのチームを迎えるのは昨年の巨人に続いて2度目ですね。また楽天とは、昨年も鳴尾浜と青森で対戦して1勝1敗1分けという成績でした。それにしても先発がメッセンジャー投手で、楽天はドラフト1位ルーキー・安楽投手がリリーフ登板ってすごいですねえ!2306人のお客様も盛り上がったことでしょう。試合は5対3で阪神が勝ちました。
また、きょう西岡選手に代わって1軍に昇格した森越選手。きのうの練習中はまだ甲子園のつもりだったと思いますが、急きょ横浜スタジアムで“タテジマ1軍デビュー”となりました。やっぱりナゴヤ球場の大暴れがチャンスを呼んだに違いないですね。しかし悲しいかな、テレビ中継で森越選手のことを「ことしファームでも試合に出ていなかったので、よくわからない」なんて言われるとは…。ひざの手術から復帰したところですよ。そりゃ出ていませんって。だから、ハマスタでも暴れてやれ~!と思いましたが、7回に新井選手の代走で出てサードの守備についたものの、運よく回ってきた9回の打席は関本選手が代打。あすに期待します。
そういえば荒木選手も、9回にゴメス選手の代走で一時は勝ち越しのホームイン。激走でしたね!その直後のファースト守備は残念だったけど、同級生の森越選手と2人揃って1軍です。そう、淡路島でのパフォーマンスを思い出してニヤニヤしちゃいました。ご存じない方、もう一度見たいという方はこちらからどうぞ。<淡路島でのこぼれ話 賞品と野球教室>
落ち込まない性格が救い
さて、きょうは長らくご無沙汰の陽川選手の近況をご紹介しましょう。話を聞いてきたのは21日。きょう23日のファーム交流試合・楽天戦で復帰した今成選手(4月初旬の右肋軟骨損傷から復帰した13日のソフトバンク戦で左太ももに張りが出ていたもの)や、胃腸炎で戦列を離れていた清水選手、そして残留で打ち込む一二三選手と一緒に、同じメニューをこなしていました。
沖縄キャンプでの練習試合・サムスン戦(宜野座)に5番ファーストで先発出場した陽川選手は、1回の守備で一塁線へ飛んできた打球に飛びついてナイスキャッチ!ところが左肩を亜脱臼してしまい、その後は安芸キャンプへ移動してのリハビリとなりました。昨年の秋季キャンプで“MVP”と高く評価され、2年目は沖縄キャンプスタートを勝ち取っただけに悔しさは半端じゃなかったと思います。
安芸に移動後すぐの休日を利用して検査を受け、その試合中にいったん肩は“はまっていた”ものの完全ではなかったらしく、固定具を使うことになりました。イメージとしては三角筋で吊る感じを予想していたんですが、全然違います。写真で見ていただいてわかるでしょうかねえ。何かの台を抱きかかえているように見え、キャンプ中はみんなに「駅弁を売っているみたい」と言われて「駅弁いかがですか~」なんてサービス?も披露していましたよ。
この固定具、実は寝る時も装着していなければならなかったとか。睡眠中は無意識に手を動かしたり、左肩を下にしてしまったりするからですかね。あんな大きなものをつけたまま寝るなんて…大変だっただろうなあ。でも陽川選手は「そのうち慣れました(笑)」とサラリ。また「去年の秋から注目株で、ことしは1軍で開幕!と思っていたのに残念」と言っても「まあやってしまったことは仕方ないから」と、同じく淡々と話します。
安芸キャンプで一緒にリハビリをしていた緒方選手も「怪我して、へこんでるってほどではなかったですよ。やってしまった…とは言っていましたけど、わりとサバサバしていた感じ。でもあれくらいサバサバしていた方が回復も早いんじゃないですか」と振り返るほど。順応性が高いというか、すぐに切り替えられるというか、それはとても大事なことですね。
「何もできない1ヶ月が長かった…」
3月18日に固定具を外し、翌19日からようやく外に出ての練習やトレーニング。そして先週末から屋外でのフリーバッティングを開始しています。「バッティングも中でやっていたし、守備は残留練習の際にちょくちょく外で。最初のティーバッティングの時は肩が固まって可動域も狭くなっていたから、やっぱり違和感はありましたね。トレーニングと軽いストレッチなどで徐々に可動域を広げていった」
違和感が取れるまでにどれくらいかかった?「もとの感覚で打てるようになるまでは1ヶ月ほど。ある程度はすぐ動くようになったけど、可動域が戻るのにそれくらいかかりましたね。動かし方によっては痛みも出たし」。でも今はもう「まったく問題なし」という陽川選手。
ここまでの3か月間、長く感じたかと尋ねたら少しためて「…長かったですねえ」と、しみじみ答えました。「固定している時が一番長かった」。時間的には固定期間が約1ヶ月、そこから先の方が約2ヶ月と長いのですが「ギプスが取れてからは、やることが増えてきたので」と言います。もどかしい思いもあったのでは?「うーん、焦る気持ちはありました。気持ちだけは。だけど焦っても仕方がないし何もできないから」。肩に負担のかからない程度のトレーニングはしていたといっても、まだ“野球”ではなかったんでしょうね。
22日に無事、本隊合流
2月のキャンプ中にも記事が出ていましたが、陽川選手は大学4年の秋季リーグの時にも左肩を脱臼しています。「すぐにはまったんですよ。それで2、3日で痛みもなくなって1週間後はもう試合に出ていました。リーグ戦中だったので。もしかしたら、あの時にちゃんと治しておけば今回のことはなかったかも」。でもまあ、そのせいかどうかはわかりませんもんね。これからクセにならないよう、じっくり時間をかけてきました。「こんなに休んだのは小学校以来はじめて」だったようです。
仲野トレーナーによれば「既に残留練習で屋外でのバッティングや守備もやってきました。あす(22日)は監督と相談して、時間的なことなど問題がなければ一緒に外で打ち、ノックにも入れてもらう予定」という話で、きのう22日は予定通りファーム本隊に合流!ノックにも参加したそうです。守備について「本人はあまり怖さもないみたいで」と仲野トレーナーが驚いていたように「怖くはないですね。飛び込まなければ。捕れる範囲の飛び込みも問題ない。試合で一度飛んでみたら大丈夫ですよ」という陽川選手。
その試合ですが、ゲーム出場まではまだもう少し、と仲野トレーナーは言います。打撃練習で大きな当たりを放っているものの、陽川選手は「ピッチャーの球は見てないのでゲームに入ってみないとわからないですね」とのこと。本隊に合流したとはいえトレーナーと相談しながらになります。でもかなり近づいてきたのは確かで、仲野トレーナーは「ここまで来ました」と少し安堵の表情。再発が怖い場所なので、慎重に慎重を重ねて看てこられたのでしょう。「選手はもう大丈夫、やれますって言いますから」と苦笑い。その気持ちがわかるだけに、抑えるのが大変なんですよね。陽川選手も感謝の言葉を口にしていました。
さすがの打球と飛距離
21日の午後は、清水選手と今成選手のフリーバッティング組(濱中打撃コーチ担当)、陽川選手と一二三選手のロングティーバッティング組(筒井守備走塁コーチ担当)に分かれての練習でした。交代でライトのネットにボールを当てていたロングティー組の2人に、筒井コーチが「最後は10の10で終わりにしよか。10本中10本ホームラン。失敗したら交代」と提案。「5本ずつですね、よし!」と自信ありげに打ち始めた2人。
何度も交代しながら一二三選手は最高4本連続までいきました。5本目を失敗して悔しがっていたものの、3本もあるし2本は何度かあり、多少ドヤ顔です。一方の陽川選手はなかなか記録を更新できません。それでも大きな弧を描いて飛んでいく当たりはさすがでしたね。一二三選手のグイッと伸びる弾道ともまた違う、ホームランバッターが描く放物線というのでしょうか。ただし距離は出るけどファウルになったりで、4本は続かないんですよねえ。
すると筒井コーチが笑いながら言いました。「陽川、そんな飛距離は要らんねん。この練習はホームランにしたらええだけや」。確かにすごい飛距離です。
“助っ人”も頑張ったけど…
2人の様子を見ていた、フリーバッティング組の今成選手。やりたそうな雰囲気はスタンドにも伝わってきていました。やがて自分の順番を待つ間にジワジワ近づき、一二三選手と陽川選手が交代した瞬間にスルッと左打席に入ります。真向いに立たれた陽川選手が驚き、笑いながら打席を外すとバットを構える今成選手。「1発で決めてやる!」と意気込んだセリフも空しく、失敗して去っていきました。
そのあとフリーバッティング組が全部終わっても、まだ5の5、2人で10の10というミッションをクリアできない陽川選手と一二三選手。力みと疲れと焦りと、いろんなものが入り混じって余計に打球が飛ばなくなってきます。そこへ今度は清水選手が登場。ここは“特別枠”ということで失敗しても継続したんですが、なかなか放り込めません。「清水さん!清水さぁ~ん!」と一二三選手に責められて(?)終了です。
しまいには濱中コーチまで参戦。個人的には濱中コーチのバッティングを見られて満足でしたが、結局そんなに続かなかったような。結局できないまま終わるのかなあと思っていたら「もう1人1本ずつでいいわ。今成、陽川、一二三の3人で1本ずつ。それで終わりにする」と筒井コーチが妥協案を出し、それは一巡目でクリア。なんとか終わりました。筒井コーチいわく「あれはプレシャーバッティング。プレッシャーとの戦いですよ。あのまま続けていたら?今もまだ打ってますわ(笑)」。皆さん、お疲れ様でした。