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もと阪神・穴田真規選手の貢献度は?クラブ選手権を制した和歌山箕島球友会

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
7日の準決勝。8回に中前打で出て同点のホームを踏んだ穴田選手はこの笑顔です。

9月7日に幕を閉じた『第40回 全日本クラブ野球選手権大会』(西武プリンスドーム)。もと阪神タイガースの穴田真規選手が昨年から所属する、和歌山箕島球友会が2年ぶり3度目の優勝を果たしています。

表彰式のあと、ペナントを持って全員集合の記念撮影。
表彰式のあと、ペナントを持って全員集合の記念撮影。
女子マネージャー(左から)谷口さん、川島さんも一緒に笑顔でガッツポーズ!
女子マネージャー(左から)谷口さん、川島さんも一緒に笑顔でガッツポーズ!
両サイドにご両親。穴田選手が上げた手のリストバンドに『Issei 69』の文字。
両サイドにご両親。穴田選手が上げた手のリストバンドに『Issei 69』の文字。

まず大会2日目の1回戦(5日)は所沢グリーンベースボールクラブとの顔合わせ。9回に追いついて延長戦に突入し、いきなりタイブレークの緊張感を味わいました。10回裏にサヨナラ勝ちしてベスト8進出です。6日の2回戦は、過去に10度も優勝している全足利クラブと対戦。7回の守備で左肩を脱臼した山下選手が、交代するどころか打席にも立ち犠飛で1点。それを寺岡投手が守り切っての勝利です。

最終日の7日は準決勝で初出場の千葉熱血MAKINGに苦戦。2本塁打で3対0とリードされたまま、6回まで0点。それでも北面投手が好救援を見せ、打線が終盤に追いつきます。そして9回に押し出し四球でサヨナラ勝ち!続いて昨年の覇者・茨城ゴールデンゴールズとの決勝戦。先制されましたが後半に逆転。初めて1点以上の差をつけての勝利で、クラブチーム日本一の座を奪還しています。そういえば全部、関東代表との試合だったんですね。

それぞれの試合結果、詳細はこちらからご覧いただけます。

<クラブ選手権、和歌山箕島球友会がサヨナラ勝ち!もと阪神・穴田選手が攻守で貢献>

<クラブ選手権 和歌山箕島球友会が2年ぶりのベスト4!もと阪神・穴田選手は初の準決勝へ>

<クラブチーム王者に返り咲いた和歌山箕島球友会!もと阪神・穴田選手も感無量>

真新しい優勝旗を贈られた箕島

バックスクリーンに映し出された『優勝』『和歌山箕島球友会』という文字も感激です。
バックスクリーンに映し出された『優勝』『和歌山箕島球友会』という文字も感激です。
40回大会の記念に新調された優勝旗。隠れていますが、浦川主将が受け取りました。
40回大会の記念に新調された優勝旗。隠れていますが、浦川主将が受け取りました。
クリーンアップトリオ。左から5番・穴田選手、3番・林選手、4番・岸選手です。
クリーンアップトリオ。左から5番・穴田選手、3番・林選手、4番・岸選手です。
すると「6番も入れろ~」と登場した水田選手(右)も加えて4人でポーズ。
すると「6番も入れろ~」と登場した水田選手(右)も加えて4人でポーズ。

1回戦だけ三塁側ベンチでユニホームもブルー、あとの3試合は一塁側で白のユニホームでした。でも4試合全部が後攻です。だからサヨナラゲームが2つもあって興奮しまくり(笑)。3試合が1点差だったし、1試合は1対0ですけど他の3試合は逆転勝ち。それも終盤とか後半とか…。やっている方はもちろんでしょうが、見る方もかなりクタクタです。おかげで忘れられない大会になりました。

一緒に観戦させていただいた穴田選手のご両親とお兄さん(お兄さんは残念ながら2回戦まで)も、そして選手のご家族や応援に来られた方々も、1試合ごとにボルテージが上がっていきます。オレンジ色のスティックバルーンは叩きすぎて空気が抜けてしまい、1試合持たずに新しいのを膨らませていらっしゃたり、お母さんは準決勝が終わる頃にもう声が出なくなっておられたり。大変でしたね。でも優勝ですべて吹っ飛びます。

決勝が終わったあとは準優勝の茨城ゴールデンゴールズとともに表彰式。優勝旗は40回大会を記念して新調されたもので、最初に授与されるのが箕島ということになります。続いて両チームの監督、コーチ、選手たちにメダルの贈呈、また個人賞の表彰に。最高殊勲選手賞は箕島の寺岡投手、敢闘賞は茨城の丸山投手、首位打者賞は箕島の平井選手です。

負傷で欠場した山下選手も大喜び。実は監督と浦川主将のインタビュー中に…
負傷で欠場した山下選手も大喜び。実は監督と浦川主将のインタビュー中に…
ご褒美で翌日の休みが決まったのです!戻ってきた浦川主将も事情を聞き「マジ?」と。
ご褒美で翌日の休みが決まったのです!戻ってきた浦川主将も事情を聞き「マジ?」と。

表彰式が終わり、スタンドで応援した方々もグラウンドに降りて一緒に記念撮影が行われました。いいですねえ。他では見られない光景で、選手の家族の皆さんの喜ばれる顔が何より。また常にチームのため、選手のために尽力されているマネージャーさん方も、とびっきりの笑顔でした。頑張ってきた結果が優勝というのは1チームだけ。そして10月末から京セラドームで開催される『第41回 社会人野球日本選手権』への出場権が与えられています。全国のクラブチームの代表として、企業チームに挑戦してきてください。

「穴田も結果が残ったのは大きい」

では監督や選手のコメントをご紹介しましょう。4試合とも本当に疲れる展開できつかったと思いますが、和歌山箕島球友会・西川忠宏監督もやはり「準決勝、しんどかったですねえ!もう諦めていましたよ」と、ホッとしたような表情でした。みんながバスの待つ駐車場へ集合し、ミーティング。いつもはそこで監督賞が贈られたりするのですが、さすがにまだ決まっていないと苦笑いの西川監督でした。確かに表彰式後も延々と取材が続いていたので考える余裕もなかったみたいです。

暗くなった駐車場で笑顔のミーティング。なおこの後、バスで8時間かけて帰りました。
暗くなった駐車場で笑顔のミーティング。なおこの後、バスで8時間かけて帰りました。

穴田選手については「守備も一生懸命やっていたし、粘ってヒットも出た。バント3つか4つ決めて貢献してくれた。これで変わると思いますよ。自信を持つことは大事。今季はちょっとネガティブになっていましたからね。結果が出れば変わる。結果が残ったのは大きい。またもとに戻っているようではダメ。京セラドーム、レギュラーで出るよう頑張ってほしいですね」とのこと。ぜひ期待に応えて欲しいですね。

大会MVPは寺岡投手

今大会の最高殊勲選手賞を受賞した寺岡大輝投手。3試合に登板して21回2/3を投げ、防御率が0.83、3勝0敗という見事な結果です。3日続けての登板で前日は117球の完封とあり、試合後は高酸素カプセルに入って疲労回復に努めたとか。「おかげで目覚めがよかった」と言っていました。決勝はさすがに疲れていたように見えたものの2失点完投勝利。ただ「やっぱりボールの質はよくなかったですね」と苦笑いの寺岡投手。

今大会の最高殊勲選手に選ばれて表彰を受ける寺岡投手。3試合に投げて3勝!
今大会の最高殊勲選手に選ばれて表彰を受ける寺岡投手。3試合に投げて3勝!
さすがに疲れた様子ですが、もう日本選手権に照準を合わせています。
さすがに疲れた様子ですが、もう日本選手権に照準を合わせています。
あまりの若さに驚いた寺岡投手のご両親と、あまりの可愛さに目が離せない妹さん(左)
あまりの若さに驚いた寺岡投手のご両親と、あまりの可愛さに目が離せない妹さん(左)

「優勝できてよかった!みんなが喜んでいるからよかったです。5回に取られた1点は要らん点でした。でもまだ2失点なので、どうにかなるかな。6回以降に点が入ること多いし。と思っていたら結局、後半に取ってくれた。先輩が打ってくれました」。それはもうお互い様でしょう。また「京セラでどうしても投げたかったんで、ひと安心」だそうです。

ところで最高殊勲選手賞を受賞した経験はありますか?「小学校6年生の時にもらったことがあります!きょう表彰してもらって思い出しました」。それ以来?「だって中学生の時は一二三に全部持っていかれたので」。一二三って、一二三慎太選手ですか?「はい。ジュニアホークスで一緒やったんですよ。その時にジャイアンツカップで優勝した時も」。なるほど、それで穴田選手が「あいつ、一二三の友だち」って言っていたんですね。

最後に寺岡投手は「この大会は穴田でしょ。みんな思っていますよ」と。どういうこと?まあヒットは、走者のミスでライトゴロになったものも含めれば計5本ありますけど。「こんな活躍するとは誰も思っていなかったから(笑)」。あ、そういう意味ですか。「9イニング出てエラーしなかったのを初めて見た。普通なんやけど、穴田やからすごい!」と笑います。そんなにやらかしていたのか~。まあそんな風に言ってくれるのも仲間だからですね。

平井選手は首位打者賞

決勝進出2チームから、4試合で13打席かつ11打数以上をクリアした選手を対象にした首位打者賞は、箕島の平井徹選手が獲得しました。19打席で18打数8安打4打点、打率は.444です。「表彰されるなんて初めて。大学でのベストナインもなかったんですよ」と興奮気味。

平井選手は首位打者賞のトロフィーを手に。決勝は3安打3打点でした。
平井選手は首位打者賞のトロフィーを手に。決勝は3安打3打点でした。
これは1回戦終了後の平井選手と彼女さんの2ショットです。
これは1回戦終了後の平井選手と彼女さんの2ショットです。

「大学の時に九州選抜で、キューバとかプエルトリコとかオランダとか6チームと試合をしたんです。プチ日本代表みたいな感じですかね。そこで、あと1本で首位打者だったのに結局2位。こういうのは縁がないなと思っていました」。2012年7月に開催された『第26回オランダ・ハーレム・ベースボールウィーク国際大会』のことで、別府大学の平井選手ら3人が九州地区代表としてジャパンのメンバーに選ばれ、オランダに遠征したわけです。あと1本で、ってすごいじゃないですか。

でも今回は紛れもなく首位打者ですよ。「それよりも優勝できたことがよかった!」という平井選手ですが…残念なのは、大分から来られていたご両親も、2ショット写真を撮らせていただいた彼女も、前日に帰ってしまわれたことです。でもテレビでご覧になったでしょうね。

平井選手からも穴田選手への言葉がありました。「穴田がいいバッティングをしてくれて嬉しいです。僕の方が嬉しい!あいつが打つとチームは楽になる。どんどん打ってほしいです」

「最高です!」と岸選手

今回、首位打者にあと1本及ばなかったのが岸翔太選手で「僕の最後のショートエラーが内野安打やったら、18打数8安打で平井さんと並んでたんですよ~。でもエラーなんで18打数7安打…」と悔しがっていました。でも計算すると、打数が違いますね。岸選手は17打数7安打で、打率が.412。最後のエラーがヒットだったら、並ぶどころか追い越してしまいますよ。そう思うと余計に悔しいかも。

平井選手の2ショットを羨む岸選手(右)に、じゃあ一緒にと谷口マネージャー。
平井選手の2ショットを羨む岸選手(右)に、じゃあ一緒にと谷口マネージャー。

「大会前は調子悪くて、初日もよくなかったけど1本出てよくなりました。何より初日の最終回、先頭でヒットを打ったし、きのうもきょうも2本ずつ。最高です!」と、まさに最高の笑顔。昨年の日本選手権は大阪ガスの選手として出場したものの「ピンチヒッターで1打席、しかも三振やったから」と誓ったリベンジ。「京セラドームで活躍するところを大阪ガスに見せて、後悔させたいです」。この負けん気が岸選手の原動力です。

穴田選手「京セラ、メッチャ楽しみ」

お待たせしました。穴田真規選手のコメントもご紹介しましょう。といっても、ほとんど言葉はないんです。優勝して、金メダルを贈られて、監督や先輩を胴上げして、記念撮影して。その間に穴田選手おなじみの変顔などはなく、岸選手や甲斐選手とふざける姿も見えずじまいでした。思うに、あの穴田選手がそういうことを忘れるくらいの出来事だったのではないでしょうか。この優勝は。カメラを向けても素直に微笑んでいますし。まあ疲れて何も考えられなかった可能性もありますね。

準決勝で同点のホームを踏み、ヒーローさながらの笑顔でガッツポーズの穴田選手。
準決勝で同点のホームを踏み、ヒーローさながらの笑顔でガッツポーズの穴田選手。
決勝で、今度は勝ち越しのホームイン。またしてもヒーローのようなポーズです。
決勝で、今度は勝ち越しのホームイン。またしてもヒーローのようなポーズです。
1回戦、守備につく準備中の穴田選手(左)と手伝う甲斐選手。思いきりカメラ目線!
1回戦、守備につく準備中の穴田選手(左)と手伝う甲斐選手。思いきりカメラ目線!

「準決勝はしんどかった!メッチャしんどかった。やばいな、負けるかなと思った」と振り返りました。京セラドームへ行けますね。「よかったあ!」。決勝に関しては「僕、何もしてないんで」と言いますが、バント2つを決めて四球も選びましたよ。4試合の成績は13打数4安打で打率.308。三振1、四球1、犠打2という内容。周りが打っているので目立たないけど3割は越えています。

日本選手権は「メッチャ楽しみ!出られてよかった」と穴田選手。もと阪神の選手たちと会えることになったので、まず既に決まっている阪口選手に何かひとこと。「首を洗って待っとけよ」。すごいエールですね。じゃあ藤井選手には?「よろしこ!」。やっぱり先輩には違います。この時点ではまだ決まっていなかった野原選手にも、前もってどうぞ。「よろしくお願いしま~す!」。よくできました。

その野原選手が所属する三菱重工長崎も8日、九州地区最終予選で日本選手権出場が決定。もと阪神の4選手がこの秋、京セラドームに集結です。次の記事で、このたび出場を決めた野原選手や藤井選手、また阪口選手のコメントなどをご紹介します。

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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