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阪神タイガース 第1次戦力外通告は9人 <筒井、小嶋、坂、柴田、鶴、二神、岩本、一二三、トラヴィス>

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
『超変革』をスローガンに掲げた2016年のシーズンが終わる、阪神鳴尾浜球場。

きのう10月1日、阪神鳴尾浜球場では午前10時から練習が始まりました。阪神ファームは3日から宮崎でフェニックス・リーグに参加するため、しばらく選手を見られないとあってスタンド見学の方も多かったですね。そのお客様も、もちろん取材陣も、「きのうまでいたのに姿が見えない選手」を無意識に探しています。やがて、ユニホームではなくスーツ姿の選手がやってくるという、つらくて寂しい“儀式”が…。

来季のチーム構想から外れた、つまり戦力外と判断された選手への通達が、毎年10月1日に始まります。これは第1次で、第2次はクライマックスシリーズ全日程終了翌日からです。阪神タイガースは第一弾として、きのう9選手に対して、来年の契約は結ばない旨を伝えました。一二三選手とトラヴィス投手の名前もあり、現時点で育成選手は0となっています。

※年齢順。( )内の年齢はきょう現在のもの。その右はプロ年数

筒井和也投手 (34) 13年

小嶋達也投手 (30) 10年

坂 克彦選手 (31) 13年

柴田講平選手 (30) 8年

鶴 直人投手 (29) 11年

二神一人投手 (29) 7年

岩本 輝投手 (23) 6年

一二三慎太選手(24) 6年

トラヴィス投手(22) 5年

この日、球団事務所に順次呼び出された選手たちは、そのあと甲子園球場の1軍に挨拶をしてから鳴尾浜を訪れ、監督、コーチ陣、トレーナー、スタッフ、チームメイトに挨拶。「わかっていた」「覚悟はしていた」と言いながらも、やはり目の前に突き付けられた現実はつらいもの。穏やかに、時おり笑顔も見せて取材に応じてくれた選手の、その胸中はうかがい知れません。

なお、ことしの『12球団合同トライアウト』は11月12日、2009年以来7年ぶりに阪神甲子園球場で行われます。ことしも1回のみの開催で、12日が雨天の場合は13日に阪神鳴尾浜球場です。

育成の2人、一二三とトラヴィス

スーツ姿の一二三選手。最後の試合は9/29のBCリーグ・石川戦(金沢)でした。
スーツ姿の一二三選手。最後の試合は9/29のBCリーグ・石川戦(金沢)でした。

では、きのう鳴尾浜で聞いた選手のコメントをご紹介しましょう。流行性結膜炎で自宅療養中の小嶋投手以外、8選手です。まず寮生の一二三選手とトラヴィス投手。球団事務所から戻ってきた2人が、車を降りてから寮の階段を上がるまでの一瞬しかなくて、本当にひとことだけです。

一二三選手は、球団からどんな話があったのかと聞かれ「来年は契約をしないと言われました」。現役続行を希望するかどうか、トライアウトを受けるかなどは「まだ決めていません」と答えています。トラヴィス投手の返事は「トライアウトを受けたいです。ゆっくり考えてから決めます」というもの。

そのあと1階のファーム事務所玄関に2人並んで立ち、グラウンドから練習を終えて引き揚げてくる監督やコーチ、選手、トレーナー、スタッフ1人1人に挨拶をして握手。全員が戻って来るまで、ずっと立ったままです。でも、やってくる選手を取材のため足止めしてしまうもんで、中から一二三選手が「早く~」と呼ぶ場面もありました。そのあとの段取りもあって急いでいたのに、ごめんなさいね。

トラヴィス投手は戸惑いの面持ち。まだまだ投げてほしいと願います。
トラヴィス投手は戸惑いの面持ち。まだまだ投げてほしいと願います。

再び外へ出てきた2人は、甲子園へ挨拶をしに出かけ、戻ってきたら今度は時間がないというわけで、これ以上のコメントは聞けずじまいです。トラヴィス投手は「まだ気持ちの整理ができていなくて…すみません」と言っていました。そうですね。また少し時間を置いて話を聞かせてください。

どんな形でも野球は続ける

鳴尾浜へは最後にやってきた坂選手。球団から、契約について以外の話は何か?「特になかったです。自分の言いたいことは伝えました」。今後に関しては「どんな形であれ、野球は続ける方向」と話しています。トライアウトを受けるかどうか「そこは迷っているけど、野球は続けますよ」とのこと。仲のいい記者と談笑していましたが、普段以上に明るくて…よけい寂しかったのは確かです。

坂選手でとても印象に残っているのは、楽天から阪神へトレードになった時のこと。茨城のご両親は、それを本人ではなく新聞の記事で知らされた!という事実です。「なんせプロ3年間で、一度も連絡がありませんからねえ」とお母さんは笑っていらっしゃいました。それから試合で鎖骨を骨折した際は、治ってから保険の手続きなどで電話があったそうですけど。今回の件は本人から連絡して…いますよね、さすがに。

阪神に来て10年、今季は1軍出場がなかった坂選手。
阪神に来て10年、今季は1軍出場がなかった坂選手。

またナゴヤ球場でのウエスタン・中日戦で、自打球か死球かで倒れ込んだ坂選手を、町田公二郎打撃コーチが軽々と抱き上げてベンチへ運んだこと!試合後に聞くと「お姫様だっこされちゃいましたよ」と恥ずかしそうに笑っていたのを覚えています。そして、現場では見られなかったけれど、2007年7月1日の横浜戦(横浜)で放った1軍初安打のプロ第1号ホームランもありましたね。

思い出は防御率∞のデビュー戦

鶴投手は「今後、家族と話をして決めたいです。(トライアウトも)頭に入れながら、しっかり考えて整理した上で、やっていこうと思います」とコメント。駐車場へ来た時に、思い出に残っていることはある?と尋ねたら、隣で二神投手が「ダルビッシュに投げ勝ったこと」と先に言って、思わず笑う鶴投手。2010年5月29日の日本ハム戦(札幌ドーム)、5年目でのプロ初勝利となった試合ですね。

でも本人は「うーん、それより初登板かなあ」という答えでした。え、あのプロ初登板初先発だったロッテ戦のこと?「はい」。3年目の2008年6月11日、ウエスタン・中日戦で先発して6回を投げ2勝目を挙げた鶴投手は1軍に呼ばれ、そのままチームとは逆向きの新幹線に乗りました。その4日後の15日にロッテ戦(千葉マリン)で先発、1回に5安打1四球で6失点…。1死も取れずに降板した苦いデビュー戦です。でも、それが一番の思い出と?

「はい。あれが僕の始まりですから」

2005年の高校生ドラフト1位で入った鶴投手。ダルビッシュ投手の1つ下です。
2005年の高校生ドラフト1位で入った鶴投手。ダルビッシュ投手の1つ下です。

高校3年時に痛めた右ひじのリハビリもあって投げられなかった1年目。ようやくウエスタン公式戦で1試合だけ登板した2年目。そして1軍のマウンドを踏んだ3年目。また懐かしい思い出が聞けたらご紹介します。

このままでは終われない!

鳴尾浜の寮内に入った選手たちはみんな、出てくるまで相当の時間がかかりました。きっと話が尽きないのでしょうね。いったん外へ現れ、ウエートルームにいるトレーナーや選手とも挨拶を交わして再び室内へ戻っていったのですが、目を真っ赤にして涙をこらえていた岩本投手が忘れられません。

戦力外の通告を受け「みんな来ることなので、仕方ないです」と言い、今後について「トライアウトは受けます。去年、手応えがあっただけに、このままでは終われない」とキッパリ。そうですね。ことしの内容も結果も納得はしていないでしょう。まだまだ投げられるはず。

思い出に残っているのは何かと聞いたら「1軍のローテーションに入ったことですね」と岩本投手。ナゴヤドームのプロ初勝利(2012年9月9日、1軍初登板初先発初勝利を挙げた中日戦)ではなく?「はい。初勝利は勢いだし。それより去年、ローテに入ったことが一番です」

岩本投手と一二三選手が去り、高校生同期6人衆は中谷選手と島本投手の2人に…。
岩本投手と一二三選手が去り、高校生同期6人衆は中谷選手と島本投手の2人に…。

話をしながら泣けてきて、ふと顔を上げると岩本投手の目にも涙が。それを見てまた泣けてくるという循環…。なので、あまり聞けなくてすみません。

チャンスを生かしきれなかった13年

筒井投手は「あらゆる可能性を含めて、もちろん(現役を)続けることがベストの選択とは思っていますが、8月半ばくらいから体のコンディションを崩していて、それもあるので、ちょっと考えます。家族とも相談して。嫁さんには、きのう伝えました。子どもはまだ理解していないと思います」と話していました。

思い出を聞いたところ「タイガースに入って13年、ほとんど2軍で過ごしたという気持ちが強いですね。もちろんチャンスをたくさんもらって、こんなにチャンスをもらった選手もいないんじゃないかというくらいだったのに、それを生かしきれなかった13年でした」と、今も悔やまれると言う面持ち。

「1軍でも働いてくれたと球団から言っていただきましたが、自分としては続けて成績を残したことがなかったし、その中でもらったチャンスを生かしきれなかった思いが残っていますね。ことしは1試合だけでしたが、不甲斐ない1軍登板だったので、煮え切らない部分もあり力不足を感じた1年。そこが今、悩んでいるところでもあります」

2003年のドラフトで鳥谷選手と一緒に自由獲得枠で入って13年の筒井投手。
2003年のドラフトで鳥谷選手と一緒に自由獲得枠で入って13年の筒井投手。

つまり、やり残した思いがあるんですね。「トライアウトを受けると決めたら、しっかり準備をしていかなくてと。甲子園で行われますし。真剣勝負なので、体が万全でないと受けるわけにはいかないと思います。考えます」と筒井投手。不安は左肩のことと推察しますが、あと1ヶ月で間に合うように祈っています。もう一度、あのチェンジアップを見せてください。

1勝もできなかったことが悔しい

続いて二神投手。「この世界で、この時期だったら覚悟してやっているので仕方ないかなと。でもきょう言われてみて、心の準備をしていたつもりですが…悩みますね。これからの人生、野球で仕事ができないかもしれないし、いい話があるかもしれない。これから生きていく中で前向きに考えたい。考えています。まだ決めていませんが、トライアウトを含め、体は動かしておきたいですね」

タイガースのプロ野球生活を「いい思い出はなくて、苦しい、悔しい7年間でした。でも小さい頃からの夢だった、何万人ものお客さんが見ている、その球場に立てた。ただ(1軍で) 1勝もできなかったのが、ドラフト上位で入って恥ずかしいし、悔しい。球団にも申し訳ない思いです。期待に応えられず来たので」と振り返りました。

「初登板や初先発、それにサヨナラホームランを打たれたこととか。いい思い出はあまりないですけど、そういう経験をできるのも、高い倍率の中でプロに入ってやってこられたから。この先、それを生かせればいいいですね。22歳で入って、29歳で出ていくことになりましたが、貴重な経験ができたと思います。野球で頑張ってきて、日本のトップレベルの世界の1軍で少しでも投げられた経験を大事にしていきたい」

二神投手は2009年のドラフト1位。昨年後半の好投を、もう一度見たいですね。
二神投手は2009年のドラフト1位。昨年後半の好投を、もう一度見たいですね。

そして最後に「野球が好きで続けてきたので、それは自信になっている。人生にとって、すごいプラスだと思います」と締めくくった二神投手。何年経ってもずっとついてくるドラフト1位の責任は、とても重かったでしょうね。その荷物を降ろしてあげたいけど、まだ早い気がします。

感謝と、申し訳ない気持ち

わりと早い時間に寮内へ入っていった柴田選手ですが、帰途についたのは一番最後。「球団事務所で話を聞いて、甲子園へも挨拶に行ってきました。感謝の気持ちしかないから、それ以外は何も。8年間もこうやって最高の環境で野球をやらせてもらったことに感謝しています。あと、申し訳ない気持ちもありますね。チームに貢献できなかったので。8年間で、それが唯一の心残りです」

この日を迎えて「僕自身、ことしは腹をくくってやってきたので覚悟はできていたし。もちろんまだやりたい気持ちはあります」と柴田選手。「チームについて考え、2軍で生活して1軍を見ると、厳しいかなと思った。チャンスも少ないだろうし、もらったチャンスを生かせなくて。それは自分の実力不足です。結果が出なくて悔しかった」

現役続行の意向で「今のところトライアウトを受ける予定ですが、家族と話して決めていこうかなと思っています。ことしは甲子園であるし、環境的には最高ですね。そこまで1ヶ月しかないので、できる限りベストな状態でできるように準備していきたい」と語る表情はとても前向きでした。

柴田選手はいつも最高の笑顔で写真に写ってくれました。これは…少し寂しげです。
柴田選手はいつも最高の笑顔で写真に写ってくれました。これは…少し寂しげです。

タイガースでの8年は?「いい思い出は少ないですねえ。つらいことが多いかな。野球は失敗のスポーツというけど、僕はミスも多かったし…。神宮での落球とか、ミスしたのを忘れたことは絶対にないです」。2011年8月14日のヤクルト戦(神宮)、9回裏2死満塁で落球し、走者を全部還してしまった件。おそらく相当な割合で皆さんの記憶に残っているでしょう。

「やっぱり、いい思い出はないかも…」と言うので、いくつか提案してみましたが、一番いいのは新たな思い出ができることですね。

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悔しかった、そして申し訳なかったという言葉が多くの選手の口から出てきました。でも私たちはあなた方に会えて、その精一杯のプレーにいつも感動させてもらったのです。これまでタテジマで戦ってくれて、夢を見させてくれてありがとうと伝えたい。感謝の思いとともに、できることなら引き続きユニホームを着て、白球を追いかけてほしいと祈ります。本当にありがとうございました。

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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