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阪神・原口文仁選手の2016年回顧~後編 昨年秋に訪れた分岐点で“最後のアピール”

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
「おなかが空いている時は打てない」ことを、ことし1軍で自覚したいう原口選手。

入団7年目の4月27日、4年ぶりに支配下へ復帰した原口文仁選手(24)は、即1軍に昇格して初出場、初ヒット。そこからまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで5月度のセ・リーグ月間MVPを受賞するわ、オールスターゲームには出場するわ、そのまま1軍でシーズンを終えました。ことし各スポーツ紙に何度『シンデレラ・ボーイ』という文字が躍ったでしょう。

きょうは原口選手の2016年回顧・後編をお届けします。前編はこちらからどうぞ。<阪神・原口文仁選手の2016年回顧~後編「ここで落ちたら二度と上がれない」>

2017年のカレンダーは6月に登場

昨年の秋季練習、秋季キャンプ、ことし2月のキャンプ(安芸から沖縄へ)あたりから新聞に大きな活字で記事が出始め、1軍昇格後はもう数えきれないほど一面を飾っています。様々なグッズが発売され、スタンドには『94』のユニホームで応援される方が非常に多くなりました。

そして今発売中の『2017年タイガースカレンダー』では高山選手、北條選手と3人で6月に登場した原口選手。本人も大喜びです。今までは、1月から11月の間に出てこなかった選手がズラリと並ぶ12月が定位置というところから、一気に拡大したわけで「すごく嬉しいこと!」と笑顔が炸裂。次は表紙と1月の間にある、何人かの選手で飾るページに進出したいですね。

またカレンダー同様、11月のファン感謝デーも昨年までとは大違いでした。「ずーっとグラウンドにいっぱなしだった」と振り返ったように、多くのコーナーで出番があった上にキャプテンまで務め「チームが勝っただけなのに、僕がMVPをもらっちゃって」という活躍ぶり。

「サヨナラやりましたぁ!」の記念タオルも、受注販売されましたね。
「サヨナラやりましたぁ!」の記念タオルも、受注販売されましたね。

本人は「去年までの、通路でお客さんと握手するのも好きだった」みたいですけどね。でも改めて、これがプロなんだと実感したかもしれません。やっぱり励みになる?「はい!来年も94が増えるように頑張ります」。来年はオリジナルのお弁当も出るといいなあ。期待しましょう。

見えた方向性と「最後のアピール」

ここ半年で周囲の何もかもが変化した原口選手。昨年とはまったく違う秋を迎えた今、1年前の心境を聞いてみました。

「あの時はフェニックスに行けるもんだと思って。途中からでも行けると思っていたけど、なかなか行けなくて。ああ…という感じで」。宮崎でフェニックス・リーグが開催されていた10月のことです。「鳴尾浜に残って、壮さん(筒井コーチ)といろいろ話をしたんです。そしたら自分のやっていく方向性が見えてきた。そこから変わってきました」

どういう方向性が見えたのか尋ねたら「その時はまだキャッチャーをやれると思っていなかったし、とにかくバッティングのことだけ。金本監督に決まり、『振れる選手を』という話をされていて、やっぱりそうかと思いました。それまで軽く振ってミート中心でやっていたのを、どうやって振ったらいいかとか考えた」と言います。

金本新監督就任が決まったのは10月19日。“フェニックス残留の意味”が原口選手に重くのしかかっていた頃です。でも、そこから自身の売りであるバッティングのついて、今後の方向性を見極めたことが大きかったかもしれません。「それから甲子園の秋季練習に呼ばれて。ここでアピールしようと、これが最後のアピールだと思いました

昨年9月30日、オリックス練習試合で筒井コーチとキャッチボールをする原口選手。
昨年9月30日、オリックス練習試合で筒井コーチとキャッチボールをする原口選手。

そのあとのことは、ことしのシンデレラ・ストーリーとして皆さんがよくご存じでしょう。みんなが宮崎へ行っていて、静かな鳴尾浜で筒井コーチと話をした1年前の秋。原口選手の野球人生において、とても大切な時間だったんですね。ちなみに、ことしもフェニックスには行きませんでしたが、昨年と違って来季を見据えた甲子園残留です。

「いろいろ経験したし、この経験を次のステップにつなげたいと思う」と話す原口選手は、来年に向けての準備も怠りなくやっているはずです。これまた本人は明言しないものの、ことしはシーズン開始1ヶ月後からの1軍だったけど、来年は最初からいくつもりで。

来シーズン取り組むべきこと

ことし1軍でやってみて、来年はこうしなくちゃと思うことはありますか?そう質問したところ、攻と守を分けて答えてくれました。「バッティングは、まず“読み”ですね。読んでいけたら、もうワンランク上がれるなと、シーズン最終の方で実感できたので。そこも大事だと思いました」。それは配球を読むということかな。もともとは?「あまり球を読まないですね。方向だけ考えています」

続いて守備です。「最後の方はコミュニケーションを取れたと思いますが、来年は自主トレや春のキャンプからピッチャーとコミュニケ―ションを取って、(試合に)生かしていけたら。それを1年間通していければ、バッテリーで防げることもあると思うので。あとは自分の技術の問題ですね。そこは練習で。秋季練習で肩、股関節、足首をしっかり鍛えて、秋季キャンプでいい成果が表れていたと思います。続けていけば来年が楽しみでもあります」

ちなみに“走”の部分は?秋季キャンプで男子200メートルハードルのアジア最高記録保持者である秋本真吾さんを臨時講師として迎え、走力アップを図ったとか。「秋本さんに教えてもらった走り方で、キャンプ中はそうでもなかったんですけど、帰ってきてから実感しています。お、速いかも?って(笑)」。ちょっと注目させていただきましょう。

チーム最多の87試合でマスクをかぶり、来年も捕手で勝負したいとキッパリ。
チーム最多の87試合でマスクをかぶり、来年も捕手で勝負したいとキッパリ。

来年の抱負もお願いします。「アピールしないと。キャンプから。まずキャンプで勝負したい」。開幕は1軍で迎えるってのは、当然クリアしないといけないところですね。そして「スタメンマスクをかぶって、最初から最後まで出ること。そして勝つこと!」。あくまでキャッチャーとしてチームの勝利に貢献したいと語りました。

もし試合中に空腹感を覚えたら…

さて、ここからは少しこぼれ話です。原口選手が急に「1軍の試合は、とにかく頭をすごく使う。脳が試合中ずっとフル回転してるんですよ!だから、ものすごくエネルギーを消耗する」と力説したことがあったので、頭を使ってエネルギーを消耗し、つまりめちゃくちゃ疲れると言いたいのかなと思ったら「イニング間にバナナを食べました」と。あらま、おなかが空くってこと?

「僕ね、気づいたんです。おなかが空いている時は打てない、ミスする。あとトイレに行きたい時も」。まるで大発見のように言うから笑っちゃいます。「絶対そう!おなかが空いたと自覚した時は、ほんと打てていないので、出る前にバナナを食べていくようにしました。1試合で何本も食べた(笑)」

なるほど。たとえば守っている時間が長くなった時などは集中が続いているので問題ないみたいですけど、攻守交代の時間にふと空腹を感じてしまった場合は何かを口に入れていくとのこと。それが1軍だとファーム以上に消耗して、何度も空腹を感じるわけですね。確かにキャンプや遠征試合などで見かける食事会場には、必ずバナナが置いてあります。

ことし10月、秋季練習で金本監督の指導を受けているところ。
ことし10月、秋季練習で金本監督の指導を受けているところ。

だけど、パクッとバナナを食べる時間すらない可能性はあるでしょう?自身の打席で攻撃が終わったり、次の先頭打者だったり。そう聞いたら「そこなんですよ!」と真顔。ぷぷっ。しかもバナナがよく似合う。って、本人は深刻なんですね。おまけに失礼なことを…。すみません!そのあとも「ゼリーなんかも、いっぱい用意しとかなくちゃ」と1人でつぶやいていました。きっと今季の経験を踏まえて何か対策を講じるでしょう。

寮生活7年は現・虎風荘の最長記録!

ことしと同じく、来年1月は俊介選手とともに三重県伊賀市で自主トレを行う予定。縁起のいいスタートを切れそうですね。その前に、このたび引越しを済ませた原口選手は、ついに人生初の1人暮らしを始めました。帝京高校は寮制度がなかったので、阪神に入って初めて寮生活を経験するんだと目をキラキラさせていたのは、もう7年前のことなんですね。

ちょっと脱線しますが、阪神タイガースでは基本的に、高校を卒業して入団した選手は5年間、大学や社会人選手は2年間、虎風荘での生活です。もちろん空き部屋があれば延長も可能だし、逆に結婚して早く出る選手もいるので、あくまで基本。

1994年12月に完成した現在の2代目・虎風荘で、私のわかる範囲では、井川慶投手(1998~2003)、桜井広大選手(2002~2007)、小宮山選手(2004~2009)、野原将志選手と橋本良平選手と横山龍之介投手(2006~2012)が6年間いました。大卒の選手だと林威助選手(2003~2008)の6年が最長。ついで藤原通選手(2002~2006)の5年、蕭一傑投手、上本博紀選手、西村憲投手(2009~2012)、田上健一選手(2010~2013)の4年でしょうか。※( )内は寮に住んでいた期間

この6年という最長記録を、ことし原口選手が書き換えました。通算7年となり、2代目・虎風荘での新記録です。本人は知らなかったみたいで「え、そうなんですか?」と少し驚いた様子。残念ながら寮生のまま退団を迎えてしまう選手も多く見てきました。だから7年目に1軍で活躍したうえで寮を出られることを、とても嬉しく思います。

ことし5月に寮から出てきたところ。もう寮生じゃなくなっちゃったんですねえ。
ことし5月に寮から出てきたところ。もう寮生じゃなくなっちゃったんですねえ。

なお西口副寮長に教えていただいたところ、初代・虎風荘での最長記録は大島忠一さんの10年だとか。大島選手は中京大学から1971年のドラフト7位で入団し、1972年から1983年まで阪神に在籍しました。5年目の1976年から1軍での出場もありますが、寮には1981年までいたそうです。

さすがに10年は最長不倒でしょう。ただし、それ以前の寮についてはわかりませんから“虎風荘”としての記録です。西口副寮長も同じ時期に初代・虎風荘で生活していたので、しっかり記憶されていたんですね。そういえば大島さんもキャッチャーでした。

また西口副寮長から「ことしは虎風荘はじまって以来の寮生1軍登録!」という言葉が。確かに田面投手、原口選手、藤浪投手、北條選手、横田選手、植田選手、さらにルーキーの5人などが1軍を経験しました。この確率はすごいですね。オフに入り何人か退寮して寂しくなった虎風荘ですが、年明けには新しい顔ぶれを迎えます。

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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