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アジアを覆うFTAの波  モノ・カネ・サービスの自由化はアジアに何をもたらすか

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

アジアを覆うFTAの波  モノ・カネ・サービスの自由化はアジアに何をもたらすか  大野和興

日本ではTPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加問題が国論を二分する政治問題となっている。貿易と投資、モノとカネと公共部門を含むサービスの自由化を進める協定はなにもTPPに限らない。自由貿易協定(FTA)をめぐる動きは世界中にあり、特に成長センターとして世界の経済の中心軸となった東アジア(東北アジア・東南アジア)と西アジアには、網の目のようなFTA網がかぶさっている。グローバリゼーションの大波が押し寄せるアジアにくらす生活者にとって、この現実は何をもたらすのか。

◆アジアを覆う自由貿易・経済連携網

アジアの自由貿易網をみる場合、日本からとか中国からという視点(米国の場合はもっぱら米国の視点で)が普通だが、ここでは軸をASEAN(東南アジア諸国連合、ブルネイ,カンボジア,インドネシア,ラオス,マレーシア,ミャンマー,フィリピン,シンガポール,タイ,ベトナム)に視座を置いてみていくことにする。アジア地域のFTAはASEANが真ん中にあって、中国、韓国、日本の三ヵ国、さらにはインド、オーストラリア、ニュージーランドいった西アジアや太平洋諸国に拡大しているからだ。

ASEANを軸にすでに存在する自由貿易協定や経済連携協定には別表のようなものがある。数が多いので抜け落ちているものもある、現状の一端は読みとれる。(発効時期などは順不同)

<ASEAN+各国>

ASEAN自由貿易地域(ASEAN Free Trade Area)

ASEAN・インド自由貿易協定(AIFTA)

ASEAN・オーストラリア・ニュージーランド自由貿易協定(AANZFTA

日本・ASEAN経済連携協定(AJCEP)

ASEAN・韓国自由貿易協定(AKFTA)

ASEAN・中国自由貿易協定(ACFTA)

<各国別>

タイ・オーストラリア経済連携協定(TAFTA)

オーストラリア合衆国自由貿易協定(AUSFTA)

インド・韓国包括経済連携協定(IK-CEPA)

EU・韓国自由貿易協定

シンガポール・オーストラリア自由貿易協定(SAFTA)

韓国・シンガポール自由貿易協定(KSFTA)

インド・シンガポール包括経済協力協定(CECA)..

米国・シンガポール自由貿易協定(USSFTA)

中国・シンガポール自由貿易協定(CSFTA)

日本・インドネシア経済連携協定(JIEPA)

日本・マレーシア経済連携協定(JMEPA)

日本・フィリピン経済連携協定(JPEPA)

日本・シンガポール経済連携協定(JSEPA)

日本・タイ経済連携協定(JTEPA)

日本・ベトナム経済連携協定(JVEPA)

この表をみてもわかるように、ASEANはすでに日本、中国、韓国とは別個に自由貿易協定を結んでいる。またASEAN内のそれぞれの国が個別の自由貿易協定を結び、アジアの上をFTA網が縦横に貼りついている感じだ。最近の特徴は、これらの上に、さらにアジアを大きく包み込む自由貿易協定構想が動き出しているということである。しかもその動きは単線ではなく、さまざまの利害が交錯する複数の動きが重層的に重なっている。以下のようなものだ。

日中韓FTA(別個に日韓FTA、中韓FTAを追求する動きもある)

ASEAN+3(日中韓)

ASEAN+6(日・中・韓・オーストラリア・ニュージーランド・インド)

TPP(ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、カナダ、メキシコ、ペルー、チリ、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム、日本)

FTAAP(TPP+RCEP)

このうち「ASEAN+6」は略称RCEP(アールセップ)とよばれている。東アジア地域包括的経済連携(Regional Comprehensive Economic Partnership)の略称である。RCEPの交渉は2013年5月のブルネイで開始され、2015年までに妥結を目指すとしている。TPPを主導する米国は、将来はTPPとRCEPを合流させて、APEC(アジア太平洋経済協力)を包括するアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を構築したいと構想している。このほか各国、各地域でEUとのFTA交渉が進んでいる。

◆各国の動き

こうした自由貿易網は人びとの暮らしや地域、働く場にどんな影響をもたらすか。まずその将来像を想像してみる。アジアと太平洋をまたぎ包みこむFTAAPが出来上がったとき、地域の社会と経済を律する基準はどういうものになるのだろう。答えは、いまTPPでつくりあげられようとしている基準になるということである。日本の政府がTPP参加をあせっているのも、これに乗り遅れたら将来、アジア太平洋地域という経済成長のセンターの貿易や投資などに関するスタンダード作りに関与できず、経済競争で不利になるという理由からである。

そのスタンダードとはアメリカ型の市場至上主義システムだといえる。社会を成り立たせている規制を取り外し、公共部門をできるだけ民営化して民間資本が投資しやすくなる条件を国境を越えてつくりだすシステムと言い換えてもよい。この仕組みをアジア太平洋地域に行き渡らせることで、米国や日本の大企業はこの広大な市場を獲得できることになる。

TPPの原型は1994年に発効したNAFTAであり、2012年3月に発効した米韓FTA(米韓自由貿易協定)だといわれている。NAFTAとはアメリカ・カナダ・メキシコで締結された北米自由貿易協定である。この協定で、三ヵ国のなかでもっとも経済力が劣ったメキシコで何が起きたか。5月末から6月にかけ、日本の市民グループ「TPPに反対する人々の運動」が開いた反TPP国際シンポにゲストとして来日したメキシコ通信労組の活動家のマリカルメン・モンテスさんはそのようすを次のように話した。

NAFTA発効後、メキシコでは一連の規制緩和が進み、農業を含む全産業、そして農民と労働者に大きな影響を与えた。三か国間の競争に勝つためと称して、企業はそのためのしわ寄せをすべて労働者にかぶせた。1987年には家族の中で一人が働けば、家族を養うことができたが、2000年には二人が働かなければ生活できなくなり、2012年には三人が働いても最低生活さえ維持できなくなった。職場では労災が激増、最低賃金は、マリカルメンさんによると「中国の最賃を下回るまでになった」。

トウモロコシの原産国で豊かな食糧供給を誇っていたメキシコだが、今や輸入国に。MAFTA前は、食料貿易で年6億ドルの黒字を出していたのが、いまでは21億ドルの赤字国に転落、農家が受け取る農産物価格は低落。1800万人の農民の多くが土地を離れて

米国への移住労働者になった。米国は93年に約10億ドルだったメキシコ国境監視費を99年には26億ドルに増やさざるを得なかった。

韓国の場合はどうか。韓米FTAはまだ発効1年なので統計数字では目立った変化はないが、韓国社会の深層ではある種の社会崩壊を予感させる事態が進んでいる。国際シンポに招いた韓国の社会運動体「韓米FTA阻止汎国民運動本部」共同代表のパク・ソクウンさんの報告によると、短期の投機的資本の流入の激増と韓国製造業の海外生産移転が交差状に進んでいる。韓国・EU間のFTAも重なって、豚肉の輸入増によって養豚農家は苦境に陥り、褐色の韓牛と呼ばれる牛を飼育する肉牛農家の間では、先行き不安からまだ子牛を産める母牛を投げ売りする動きが広がっている。

メキシコと韓国からの報告は、これからアジア太平洋地域で起こることの予兆とみることが出来る。ASEANの有力国タイ、再任直後アジアを歴訪したオバマ大統領との会談でインラック首相はTPP参加を表明した。しかしタイでは以前時の政府が交渉中の米タイFTAを農民市民の反対で中断に追い込んだことがある。 タイ米FTA交渉は2004年にはじまった。世界一の大国に国内市場を提供するこの交渉に、市民団体は農民団体の反発は強く、2005年暮れにチェンマイで開かれた協議では、大勢の人たちが会場を取り巻き混乱、タイ側交渉団の団長の辞任問題を引き起こした。その後、タクシン政権をめぐる政治混乱がはじまり、交渉が中断、現在に至り、TPP参加が浮上したものだ。米国とのFTA交渉では、タイの有力輸出商品であり、タイの人々がおいしいと好んで食べるジャスミン米(香り米)の遺伝子組み換え種がFTA締結と同時にアメリカからタイに入ってくる恐れがあると警戒されていた。

最近の動きでは、当初からTPP交渉に参加しているマレーシアの経済界で、TPP参加を警戒する声が出ている。マレー人経済行動委員会(MTEM)が6月4日に記者会見を開き、「マレーシアの国内企業、とくに中小企業が米国などTPPに参加する大国の企業との競争に太刀打ちできずに大きな打撃を受けるばかりでなく、米国から補助金の援助を受けた安い穀類や小麦が 流入することで、国内農業が打撃を受け衰退するリスクを負うことになる」と懸念を表明した。

◆国境なき医師団の警告

紛争地、貧困地帯の医療を担っている国境なき師団も、TPPに代表されるFTAに懸念を表明している。同医師団が2013年2月に出した声明は次のような書き出しで始まる。

「TPPは、交渉がまとまる前に有害な条項を取り除かない限り、開発途上国における医薬品入手の機会を阻む、最悪の貿易協定になるおそれがある」

「国境なき医師団は米国政府に対し、医薬品入手の機会を阻む条項を取り下げ、その他すべての交渉参加国に対しこれらの条項を拒否するよう強く求める」

ここで国境なき医師団が訴えているのは、TPP交渉で米国が主張している知的財産権の強化が実現したら、製薬企業の特許とデータ保護の権利が強化され、安く提供されていたジェネリックとよばれる後発医薬品の供給が出来なくなってしまうというものだ。医師団の声明は次のように指摘する。

「保健衛生分野では、ジェネリック医薬品による競争が命を救う。医療援助を提供する団体である国境なき医師団も、結核やマラリア、HIV/エイズなどの病気や、最貧で病気にかかりやすい人びとを苦しめる感染症の治療活動において、高品質で低価格のジェネリック医薬品に依存している」

「ジェネリック薬による健全な価格競争によって、抗レトロウイルス薬の第一選択薬の価格は、過去10年で99%減少した。 これによりHIV/エイズ治療の規模は拡大し、今日、途上国で800万人以上の患者が受けられるようになっている。しかし、新しい薬の多くは特許による独占権が守られ、製薬企業が高い価格を維持し、極めて重要な医薬品が途上国の人びとの手に届かない状態となっている。」

莫大な研究費をかけて開発した知的財産権、特許権の強化は、米国のような国にとって利益に源泉となる。しかしそれは、生命を守る医薬品が特許権で守られることによって、貧困者や途上国の人びとにとっては高根の花となってしまう。

自由貿易協定や経済連携協定は、大企業による投資の自由を守ることを通して人びとの生命さえおびやかす存在になることを、国境なき医師団の声明は警告しているのである。こうした問題は医薬品だけでなく、農業や食べ物、労働条件、自然環境といった人びとの生存の基盤となっているすべてのものに、形を変えて襲いかかると考えてよい。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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