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空港とむら ―村の戦後70年 (2)開拓   

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長
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◆気の遠くなる重労働

空港反対同盟のリーダーの一人だった三里塚の百姓、石井武(1924-2003)さんの話をつづける。敗戦と同時に兵隊から帰った武さんは、開墾の募集に応じて千葉県印旛郡遠山村駒井野(現在の成田市東峰)に入植した。敗戦の翌年1946年、21歳だった武さんは、こう語っている。

「(入植者に)払い下げられた土地は、ほとんど竹山で、ここらではとんび鍬(くわ)と呼んでいる開拓用の鍬で5~6回掘り下げて10cm×30cmぐらいに細かく区切って掘り起こし、それをたたいて根と土に分けていく。今の若い人なら気の遠くなるような重労働で、これほどの苦労は他にはないだろう」

それがどれほどの重労働だったか、それがわからないと、政府に「空港をつくるから土地を明け渡せ」と言われた開拓農民が、なぜあれほど頑強に抵抗したかがわからない。武さんの話をつづける。

「“手に豆”っていうが、そんなものじゃない。昔の人は煙管で煙草を吸って手の平に火をのせた。煙管の火どころじゃない。まっ赤な炭火

をのせてもなんともなかったくらいだ。つぶれた豆が重なって固くなって、手が四角でかちんかちんになっていた」

生活もきびしかった。

「住む家というのは、『拝(おが)み』といって合掌造りの屋根だけの、下の壁のところのないもの。今の形で考えればテントみたいなものだった。掘立小屋を持っている人は上等のほうだった」

食うのもたいへんだった。

「開墾ばかりしていては自分の食糧が手に入らない。他人の仕事をして食糧を確保して、その合間に開墾していく。開墾した土地に作物をつくるが、ろくにとれなかった」「開拓民で昔からの農家じゃないから肥料の配給がない(※)。肥料がなくて荒地を開墾したんだから、種を播いてもたいした収穫がない」

まず麦をつくった。当時、このあたりで2升(1升=約1・5kg)の種を蒔いたら100倍くらいになって返ってきたが、開墾地では4倍くらいにしかならなかった。1反に5升(約7・5kg)蒔いて、ひどい年には2斗(約30kg)しかとれなかったこともある。

「とれたらすぐに粉にして、うどんやすいとんにして、もう煮えるのも待ちきれなくて食う状態だった」

当時のことを武さんの妻石井こうさんは、あるところでこう語っている。

「なんにも食わないから、腹へって、こわくて(疲れて)仕事にならない。子どもらもみんな腹減らしていて、かわいそうだった」

※ 重要な食糧生産資材として化学肥料は第2次世界大戦中、国家によって統制されていた、統制が撤廃されるのは敗戦から5年後の1950年。

◆一息付けたころ空港問題が

成田の開拓農民たちは、こんな状況を苦労を重ねながら切り抜けた。

「生活の面で“まあまあ”という気分になれたのが今度の空港問題が始まったころだった」

1966年に空港建設が閣議決定されてからすでに20年がたっていた。21歳で開墾をはじめた武さんは、すでに41歳。結婚して子どももでき、働き盛りだった。その間、食えなくて借金も重ねた。営農資金をいう名目で政府の公的融資を受けたりもしたが、生活費に消えてしまった。

肥料は配給制度から自由販売に変わり、金さえあれば自由にほしいだけ買えるようになったが、肝心のもちあわせがない。利子が付いて高くなるのを承知で、前借するしかなかった。作物がとれたら、その売り上げから差っ引くというやり方である。

「肥料や即作物の集荷業者みたいなものだから。『とれました』と言えば、肥料屋が待っていて、作物を持っていってしまう。金を持っている人は、仮に落花生をとっても相場がよくなったら売ろうということで待っていられる。われわれは借金のカタにとられるんだから。『とれ秋』といういわば品物がいちばん安いときに、その相場で業者にわたさなければならない」

生活も営農も、借金で回している状態からようやく脱し、「やれやれ」と思った矢先、空港問題がふってわいたように起こった。

<参考文献>

前田俊彦編『三里塚廃港への論理』所収「三里塚農民の心」(石井武) 柘植書房、

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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