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TPPは社会と経済の仕組み方、人と自然の関係を変えるー農業を例に考える―

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

TPPを考える場合、個々の条文の精査も大事だが、視野を広げてこの社会のありようをどう変えてしまうのか、想像力を働かせてみることも必要なのではないかと常々思っている。一応農業記者なので、農業を例にそのことを考えてみた。

政府や経済界いまTPP発効に備え、「強い農業」「攻めの農業」「大規模農業」「農業は輸出で活路」「いまこの農業のビジネスチャンス」と騒がしいこと、この上ない。「TPPではコメを含めすべての農産物が関税撤廃・段階的削減の対象となり、それによって輸入が増え、価格が低下することが予想される。それに備え、海外農産物との「市場競争に負けない強い農業」をつくり、海外市場に打って出ろと盛んに農家をあおっているのだ。その結果農業はどうなるのだろう。

◆農業は総合的なものである

TPPの農業への影響をみる場合、コメならコメだけの単品で考えたら間違う。今、米どころの農協ではTPPによるコメの価格下落の防ぐため、野菜生産に切り替えるところが出てきている。全国農協中央会が発行する『月刊JA』などをみていると、そうした方向で新しい地域農業を切り拓こうとしている事例が次々出てくる。同誌2015年11月号には「複合経営で『食農立国』確立へ」というタイトルで、米価下落で畜産・園芸の力を注ぎ、小規模でも複合経営で生き残っていこうと努力している岩手県JAいわて中央農協の事例が出てくる。野菜は供給量が少し増えても価格は下落する特質がある。しかも、政府が発表したTPP協定文をみると、多くの野菜で現行3%の関税が即時撤廃される。3%安く入ることは低マージンで稼ぐ大手量販店にとっては極めて魅力的なので、野菜輸入量は当然増えることが予想される。そこに国内でリスク分散で生産が増えた野菜が市場に流入したら、相場の下落や乱高下が激しくなることは必至だ。こうしたリスクに耐えられない野菜産地は消えるしかなくなり、農協が進める「TPPに負けない地域農業再構築」の努力も吹き飛んでしまう

農産物の加工品についても同じことが言える。TPP協定でリンゴやミカンなど主要品目の果汁にかかる関税は撤廃される。自然条件に左右される農産物の場合、圃場でとれる収穫物は優品もあれば規格外のものもある。それが工業製品との違いなのだ。そして農家は、優品は市場に生で出し、見栄えがよくなかったり小さかったりするものは自家加工するか加工向け原料として出して、全体で所得を上げている。それが農業経営というのものなのである。その加工のところに安い輸入品が入ってくると、農家は加工向け市場を失ってしまう。これは農家が所得を得るための柱が一本なくなることを意味する。

TPPがもたらすこうした将来見通しからわかることは、TPPはこの列島の農業と食料生産を支えてきた農業形態そのもの、つまり農家を単位とする農業を壊してしまうということである。農業が経済的に成り立たなくなれば、村では食べていけなくなるので、働ける世代は村を去ることになる。農家経済の崩壊は、そのまま農村の崩壊につながる。

◆環境も農村風景も

農家の田仕事、畑仕事は自然環境とも密接につながっている。GATTウルグアイラウンドで牛肉自由化が決まった翌年の1994年秋、島根県三瓶山麓の草原で和牛の放牧をしているご夫妻から話を聞いた。遺伝子組み換えの穀物を飼料として与えたくないので、放牧を守ってきたご夫妻である。草原の草は牛がたべることで再生する。その中にはスミレやオミナエシと言った草花がある。春になるとその花々に蝶がやってくる。三瓶山麓にはこの地域特有の希少種の蝶がいた。当時、牛肉の自由化で放牧経営は大きな打撃を受け、牛飼いから撤退する人が増えていた。牛がいなくなったら三瓶山麓の草原は荒れ、草原に花の蜜を求めてくる蝶がいなくなるとご夫妻は心配していた。

TPPで牛肉の関税も大きく引き下げられる。TPPの影響は草原のスミレや蝶にまで及ぶ、そんな想像力が、いま私たちには求められているのだと思う。ご夫妻の話でもっとも印象的だったのは、「牛がいることが大事だからといっても限度がある。儲けようと頭数を増やすと草原を荒らし、逆に自然を壊してしまう。草原の草花の命を基準に、経営規模を考えている」という言葉だった。

人が牛飼いや田んぼや畑仕事をしないと生息できない動植物はほかにもたくさんある。カエルがそうだ。五月、水をまんまんとたたえた水田には、カエルの声が満ちあふれる。いつも不思議に思うのは、田んぼに水が入ったとたんに、カエルの大合唱が始まることだ。ではカエルの合唱が始まるのは、田植えに至るまでの田の準備のどの段階からか。減農薬稲作の提唱者として有名な稲作技術者で、田んぼの生き物調査を各地で実践している、NPO法人「農と自然の研究所」を主宰していた宇根豊さんによると、カエルがいっせいに鳴き始めるのは代かきが終わった段階だという。

「代かきを済ませて、(田んぼから)上がってきたその晩から、彼らの鳴き声は天まで届くくらいだ。代かき前に産卵すると、水が干あがってしまう。カエルは代かきという百姓仕事を見ている」

そのとき田んぼには、まるで湧いてくるようにカエルがいる。一枚の田んぼにいったいどのくらいいるのか。宇根さんは各地の農民と手を組んで、田んぼのなかのオタマジャクシを数えた。そうしたら平均で一株あたり十匹いた。いま平均的な稲株数は一坪(3・3平方メートル)あたり70株から80株である。1反(300坪、10アール)では20万匹を超える。これだけを見ても、田んぼが生物の宝庫であるとことがわかる。

だから何なんだ、といわれればそれまでだが、やはり田んぼにはカエルはいたほうがいい。カエルがいる田んぼでできたおコメを食べようと皆が考えれば、日本のコメ作りが輸入米に脅かされることもなくなるだろう。コメは輸入できてもカエルや、カエルが生きられる田んぼは輸入できないのだから。日本の農村風景の美しさは次第に世界に知られ、隠れた観光資源になっている。村のたたずまい、里山の緑、きれいな水、といった“豊かさ”はそこに住む農家の農の営みがつくりあげてきたといっても過言ではない。規模は小さく、効率は多少低くても、農家の営みが作りだす”もうひとつの価値“があることにも、都市に住むものは目を向ける必要がある。多様な生き物が生息する農村の環境はかけがえのない存在なのである。TPPは農家の農業と村を壊し、食を貧しくし、自然生態系も壊してしまうのである。

(『反改憲通信』2016年5月30日)

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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