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新国立競技場の設計案は“コピペ”なのか?

大島和人スポーツライター
(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

コンペの決着とともに浮上した知的財産権の侵害問題

果たして新国立競技場の設計案は“コピペ”なのか?東京五輪のメインスタジアムを巡って、スポーツや建築の世界ではあまり聞いたことのない“知的財産権の侵害”という言葉が飛び交っている。

そもそもは2012年秋にスタジアムのコンペが行われ、ザハ・ハディッド女史のデザイン案に決定した……はずだった。2020年の東京開催は13年秋のIOC総会で決定したが、モダンな新スタジアムは招致の売りにもなっていた。しかし作業が進む中で、高額な見積もり額などに批判が噴出。15年7月には安倍晋三首相のイニシアチブにより、ザハ案の白紙撤回が決定された。19年に予定されているラグビーW杯の新国立開催も断念され、着工を繰り下げた上で、再コンペが行われた

この稿ではこじれにこじれた新国立問題をもう一度おさらいしつつ、現状や今後の展望をかみ砕いて説明しようと思う。また技術的な説明は建設会社の社員であり、新国立競技場問題でも様々な発信を行っている一級建築士のまたろ氏(@mataroviola)にお願いした。

再コンペのカギになったデザインビルド方式

15年の再コンペは設計、施工が一体となったデザインビルド方式で行われた。メリットはコストの抑制が可能となり、より実現性の高い提案を出せることだ。一方でプロセス、コスト構造が不透明となり、お手盛りをしやすい仕組みでもある。ただ、今回の極端に短い工期を考えれば設計と施工の一体化は必然的な選択だったのかもしれない。

工期、予算の不透明性と言ったといった条件がある中で、再コンペの参加はわずか二組だった。具体的には隈研吾氏と大成建設が組んだのが「A案」、伊東豊雄氏と竹中工務店・清水建設・大林組のJV(ジョイントベンチャー)が組んだ「B案」である。日本の5大ゼネコンのうち4社が参加し、鹿島建設は手を引いた。選ばれたのは隈研吾氏・大成建設のA案だった。

東日本大震災とその後の復興需要により、2014年頃から首都圏、東北では入札の不成立が相次いでいる。人手不足、建設資材の高騰といった理由でコストが上昇しているからだ。東京オリンピック関連でも武蔵野の森総合スポーツ施設(仮称)の入札が流れている。今回の新国立競技場建設も大きな名誉こそあれ、美味しい工事ということではない。またろ氏も「コストの不透明性はリスクとしてあるので、ウォッチしていかなければいけない。分かり難い形で追加発注、支払いが起こる可能性もあり、本当にいくらかかるスタジアムかは分からない。ザハの2520億円は高い見積もりでなかったのかもしれない」と“新国立のお値段”について説明する。

ザハ案の裏方だった大成建設が、再コンペの勝者に

大成建設はザハ案の裏方として、先にも新国立に関わっていた。ザハ案の過程においては“ECI(アーリー・コントラクター・インボルブメント)という手法が導入されている。大成建設はコスト削減、施工期間の短縮といった技術提案を競い合うコンペの勝者となり、設計が完成するより前の段階からプロジェクトに絡んでいた。ザハ案は他にも日建設計、世界中のスポーツ施設をプロデュースしているコンサルタント会社・アラップ社といったプロフェッショナルが関わっている。JSCの提示した過大な条件もあり高額な見積もりは出ていたが、着工間近だった。

大成建設はザハ案の当事者として、スタンドの施工を行う予定だった。そんな経緯があった上で現在“コピペ騒動”が浮上している。イメージ図を見ると、ザハ案と隈案は完全な別物だ。隈案にはザハ案の特徴だったキールアーチがなく、和のテイストという味付けも加えられている。今回は初回のコンペと違い、ピッチ全体を覆う可動式屋根の設置が条件から外れた。重量物を上空数十メートルで動かすためには、特別な剛性が求められる。つまりより屋根を支える構造物を強く、硬い構造にしなければならない。しなやかな構造でも屋根を支えること自体はできるが、それだと「屋根がレールから外れてしまう。(レールを通すための)遊びを作ると水が漏れてしまう。かっちり作った上で、滑らかに動かすために剛性の高いキールアーチが必要」とまたろ氏は説明する。しかし今回は屋根に関する難易度が下がり、キールアーチの必要性も消えた。

類似点は柱の位置とスタンドの角度

ザハ案と隈案の類似点は車でいう外見、つまりボディではなく“シャーシ”の部分だ。現に二つの図面を重ね合わせると、柱の位置やスタンドの角度がぴったりと一致する。これを偶然の一致というのは「有り得ない」(またろ氏)話だ。

スタジアムの柱の位置がなぜ大切か?それは柱が外周の曲線をつなぐ“点”になるからだ。柱の位置に合わせて壁が作られ、屋根も張られる。直線と直線を無数につなげて、楕円形の外周が造形される。人体で言えば骨であり筋肉に相当するわけで、柱の配置は設計の大枠を決める決定的なポイントだ。

スタンドの傾斜もスタジアムの肝となる要素だ。サッカーの試合ならハーフライン付近とゴール裏、上と下でかなり見え方が違う。ただ巨大な多面体の造形は、一筋縄に行く問題でない。サッカーやラグビーではピッチ全面を広く見渡せる座席の配置が好まれ、そのためにはスタンドの角度、高さが要請される。逆に陸上競技はトラックに集中できる低いアングルの方がいい。もちろん問題は角度、カーブに止まらない。例えば人の出入りがしやすい通路と階段の配置とは?席の前後左右の間隔をどうするか?そういった込み入った条件を解決するのが、スタンドの設計だ。

もっとも今の時代は、このような三次元の巨大な造形を助けるコンピュータソフトがある。いくつかの条件を設定することで、新国立ならそれを反映した7万2千席の配置をシミュレーションできるという優れものだ。とはいえ条件を入力するのは人間で、数ヶ月に渡って様々なパターンを試した末に、ザハ・ハディッドとその事務所による最終案は出されたという。そんなスタンドの配置、バランスがザハ案と今回の隈案は一致している。

ただし隈案はザハ案よりもスタンドの構造がシンプルになっている。隈案はメインスタンド、バックスタンド、ゴール裏と360度が同じ高さ。ザハ案はメインスタンド、バックスタンドの中央が高く、両端やゴール裏が低くなっている。「快適に見られる観客席を増やすというところにザハ案の工夫があった」(またろ氏)わけだが、隈案は“作りやすさ”を優先した。単純な説明をすると、今回の案では高い値段の付く席が減らされ、安い値段の席が増やされた。

なぜ両案の類似が生まれたのか

さて、なぜそのような類似が生まれたのか――。ここからは推測になるが、またろ氏は大成建設側に「そうせざるを得ない理由があった」と見る。もし「ザハ案の多角形の角度、長さに合わせて鉄骨を先行発注していた」(またろ氏)ならば、それを活かすことは自然な話だ。それをキャンセルせずに使えれば費用の無駄も発生せず、工期的にも有利となるからだ。

今回の新国立競技場は鉄鋼市況さえ動かしかねないビッグプロジェクト。鉄骨の発注をキャンセルすれば巨額の違約金が発生し、数か月後にすぐ再注文したとしても、製造ラインが埋まって受けてもらえないリスクがある。またろ氏は大成建設が「昨年の7月か8月に(ザハ案の消滅を)言われたときにキャンセルを出さず、会社としてリスクを取ったのではないか」と推測する。

隈・大成案は最大の評価ポイントである「コスト・工期」に関する評価で伊東案を圧倒し、今回のコンペを制した。つまりザハ案の蓄積と“先行発注の利”を生かしたことが、勝利の要因となった可能性が高い。

伊東案に参加した竹中工務店は東京ドーム、最近ならガンバ大阪の新スタジアムなどでスタジアムの施工実績が豊富。今回の案も“よりスポーツ的”なスタジアム案を出したと評価する専門家が多い。しかし再コンペでは“確実に作る”ことが優先された。

こじれを解消し、東京五輪を滞りなく開催するために

両案の類似点は専門家が見れば明らかで、ザハ・ハディッド氏の事務所も「私たちが2年間かけて作り上げたスタジアムのレイアウトや座席の形状が似ている」と声明を出している。ザハ氏側が今後どういう主張を展開していくかは不透明だが、例えば工事停止の仮処分申請を認めたならば、開会式までのスタジアム完成が不可能になりかねない。可能性として、ゼロではない。

またろ氏は「設計の知的財産権がどこまで及ぶかという裁判は今までもあったが、簡単には認められない」とも説明する。むしろ今回のケースで問題になるのは知的財産権より契約書の内容であり、契約違反ではないかと見る。建設会社は複数の主体が組んで一つのプロジェクトを進めることが多く、その場合は設計の図面を共有することになる。協業時の取り決めは建設会社にとってのイロハのイで「情報、CADデータの使用許諾について何らかのペーパーが(ザハ事務所と大成建設の契約書に)必ず付いている」(またろ氏)はずだ。ただその場が日本の法廷となるか、国際機関になるかは分からないが、係争は発生するだろう。

現時点で考え得るベターな方向性は、両者が平和裏に協議を行い、一致点を見出すことだ。またろ氏も「ザハ氏の知的財産権を認めて、クレジットに名前を残して、そのためのフィーを払う。そこが落としどころになればハッピー」と述べる。

ザハ事務所は2年間に渡って新国立競技場の設計作業に取り組み、コスト削減の腹案も準備していた中で、強引に排除された。日本側のザハ事務所に対する扱いは「ドライな欧米の商習慣に照らし合わせても失礼」(またろ氏)なもので、加えて今回は“コピペ騒動”が浮上している。ザハ氏側の知的財産権と名誉の両面が損なわれているとなれば、それを回復させる措置が必要だ。

今回の新国立問題がこじれた理由を、もうザハ・ハディッドという個人に押し付け続けることはできない。確かに燃え上ってしまったザハ排除のエネルギーを“逆噴射”させることは容易でない。世論の大勢は未だに彼女が新国立問題をこじれさせた主犯と見なしているからだ。

しかし五輪の開催、スタジアムの建設はまさに国家的なプロジェクトと言っていい。第三者から見て卑怯と思われかねない手口が用いられれば、それは日本という国の信用を下げる。例えば経済的な補てんを行ったとしても、それはスタジアムを期日までに完成させ、日本社会の悪い評判を打ち消すために必要なコストだ。新国立競技場に関する不都合な真実を受け入れ、“コピペ問題”とそこに至った経緯に対してフェアなアクションを起こすことは、まさに国家的な急務だ。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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