ミスター・トランプ、あなたは1930年代を生きてませんか
1月20日昼(日本時間21日未明)にあったドナルド・トランプ米国新大統領の就任式。睡魔をこらえながら聴いた演説では、やっぱり「米国第一」が出てきた。ただ耳を疑い、途方に暮れ、意識が遠ざかるような気分にさせられたのは、そこではない。
「私たちは、この素晴らしい国全土に、新しい道路、高速道路、橋、空港、トンネル、そして鉄道を建設します。国民を福祉頼みから脱却させて、仕事に戻れるようにします」(朝日新聞2017年1月21日夕刊掲載の訳文)。
このくだりを耳にしたとき、一瞬頭に思い浮かんだのはTVAの3文字だ。中学生のころ、社会科の時間に教わったニューディール政策の「テネシー渓谷開発公社」である。米国では1929年、世界恐慌の引きがねとなる株価大暴落があり、30年代に入っても不況が続いた。33年に大統領となったフランクリン・ルーズベルトは就任後まもなく、失業対策のために公社をつくってテネシー川のダム建設、治水事業、農業支援など流域開発に乗りだした。失業者の働き場所を生みだそう、というねらいがあった。これがTVAだ。
学校で習ったことを復習すれば、ニューディール政策は、市場経済の安定に政府の介入が必要だとするケインズ経済学の見本という位置づけだった。成功したかどうかについては議論が分かれるようだが、1960年代の時点では先駆的な経済政策と受けとめられていたように思う。その後、経済学では新自由主義が台頭して多くの国が市場重視の経済政策をとりだした。米国では共和党にこの志向が強い。「小さな政府」論である。
80年余の歳月を隔てて、ニューディールに似たことを言う大統領が米国に現れた。異なるのはあのときは民主党だったが、今回は共和党ということだ。だから、政府の介入色は薄めたいのだろう。トランプ演説でも、公社をつくろうとは言わなかった。では、何をするのか? そう訝っていたら演説から1週間とたたない24日、大統領自身が具体例を示してくれた。中西部を貫く石油パイプラインを建設したいという企業の申請に対して、それを認める大統領令に署名したのである。オバマ前大統領の決定を覆したかたち。前大統領が「待った」をかけた背景には、環境保護派が敷設地域の汚染リスクや二酸化炭素の排出増を理由に建設に反対しているという事情があった。これに対して、雇用を生むなら民間活力を使うだけ使うというのがトランプ流なのだろう。
ここで愕然とするのは、トランプ大統領の頭の中には20世紀後半に先進工業国が味わった苦い経験、すなわち経済成長の副作用で環境が台無しになったという記憶がまったくなさそうだ、ということだ。あんなことがあったからこそ私たちは生態系(エコシステム)の大切さに気づき、人間もまた生態系の一員であるという思想を手にした。エコロジーの名で呼ばれる環境保護思想である。それは、左右の政治座標軸とは別次元だ。だからいま世界の政治指導者の多くは保守であれ、リベラルであれ、経済成長と環境保護のバランスをどうとるかで苦慮している。ところが超大国米国では、そういう認識がすっぽり抜け落ちた人が最高権力者になったのである。
米国民がこういう指導者を選んだのは、有権者の側によほど強い雇用への渇望感があったからだろう。それでピンとくるのは、米国生まれで2006年に亡くなった都市問題の著述家ジェイン・ジェイコブズの洞察だ。彼女は遺作となった『壊れゆくアメリカ』(中谷和男訳、日経BP社)という著書で、米国では1930年代の不況が人々の心に職を失うことの怖さを植えつけ、その後遺症は戦後になっても現れたことを論じている。
たとえば、大学の変容。親たちが大学進学を子どもの就職のための投資とみるようになり、それが学園を卒業証書の発行機関に変えてしまったという。あるいは、州間高速道路の建設。これは50年代から進められたが、「地域社会の破壊という意見は、完全雇用の創出という正当性によって簡単に打ち消された」と振り返る。ジェイコブズは求職一辺倒、雇用一辺倒という妖怪が米国をダメにしていく現実を見逃さなかったのである(拙稿ブログ「本読み by chance」2016年12月2日付)。
私たち同時代人がこの50年で学んだのは、雇用は経済政策の最優先事項だ、だがそれしか考えない政策をとれば社会にさまざまな歪みが出てくる、という教訓である。だから逆に、歪みを抑えたり和らげたりする視点から新しい働き場所を生みだすのが賢明な雇用政策だと多くの人が考えるようになった。たとえば、脱温暖化や高齢者介護のためのビジネスを支援して、そこに求人需要をつくりだすというようなことだ。
これから4年間、いやもしかしたら8年間、こんなことを言い続けなくてはならないのだとしたら……ほんとうに途方に暮れる。