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仏国民全員に750ユーロ(約9万円)のベーシックインカムは可能か?

プラド夏樹パリ在住ライター
路上死した人への黄色いバラ。フランスには500万から880万人の貧困層がいる。

ホームレスの人も大富豪も

(1ユーロ=約122円、以下、日本円で記述)

今年5月に大統領選をひかえるフランス。大統領として史上最低の支持率を記録したオランド大統領(社会党)が再立候補を諦めたこともあり、「これでもう左派は終わり」とういうムードだ。

ところが、1月12日と19日、第二回社会党予備選の討論で、弱冠50歳のブノワ・アモン元文部・高等教育・研究大臣が、国民に最低限度の生活を保障することを目的としたベーシックインカム導入を提案、一躍、脚光を浴びた。

これは、2018年から、現在、積極的連帯所得手当(RSA)とよばれている生活保護費、日本円6万4千円を7万2千円に引き上げ、将来的には収入額にかかわらず、すべての国民に9万円を支給するというものだ。

現行の積極的連帯所得手当は、25歳以上の無収入および低収入所得者(月収1139.13万8千円以下)を対象にしている。金額は家族構成によって変わるが、独身で無職の場合には満額6万4千円が、3万円の収入がある人には、6万4千円から3万円を引いた差額が支給される。

しかし今回、アモン氏が導入を提案したベーシックインカムは、18歳以上の全国民を対象にしたもの、いってみればホームレスの人も億万長者ランキングに名を連ねる大富豪にも一律に支給されるものだ。

行政コスト削減、プラック企業淘汰にも

480万人の人が受給している現行の積極的連帯所得手当には多くの問題点がある。

まず、システムが複雑で、対象になる人の半分はその書類手続きの面倒さに耐え切れず受給を諦めるという問題がある。これに対してアモン氏は、「国民一律にすることで煩雑な書類審査が省かれる。それだけで行政コスト削減になるではないか?」と言う。

また、満額6万4千円では暮らしていけないというのも実情。「無いよりマシ」と言われても仕方がない金額だ。身近な例を挙げよう。

ミュージシャンの友人R。40代後半女性。積極的連帯所得手当の支給を受ける傍ら、昼間はベビーシッターとして無申告労働し、夜はバーで演奏し、やっと毎月約18万円の収入になる。パリ市内の2部屋のアパート代は約12万円が相場だ。不正なことをしている後ろめたさはあるが、こうでもしなければ、食べていくことができない。

脱サラして博士論文を執筆中のI。50代前半女性。夫は脳梗塞で急死し、地方都市で中学生の娘と二人で暮らしている。積極的連帯所得手当が母子家庭なので約11万円支給される。しかし、それだけでは小学校の娘との2人暮らしをやっていけない。この冬も電気代未払いが理由で電気が切られたと言う。無申告で家事代行サービス会社で働いてどうにか乗り切っている。

そうかと思えば、知人の息子、21歳は、「どうせ勉強しても仕事ないし」と、大学を中退。口座に自動振り込みされる積極的連帯所得手当で世界一周の旅に行き、出席が義務付けられている求職オリエンテーションの時だけ帰国する。「ちゃっかりしてるなー」とは思うが、審査がそれだけマヌケなものなら仕方がないだろう。

私には、「国民全員に9万円を」というアモン氏の提案は、このような現状を比較的、きちんと受け止めているのではないかなと思われる。ズルイ人もいるし、やむをえず無申告で仕事をしなければ食っていけない人もいる。ひとりひとりを監視することはできない。それならば、いっそのこと全国民に払い、働ける人は働けば良いと。

また、ベーシックインカムはブラック企業の淘汰に役立つかもしれない。フランスでは2008年から2009年にかけて主要電気通信事業会社フランス・テレコム(現オランジュ)で、リストラハラスメントによって35人が連続自殺したという事件があったが、ベーシックインカムが導入されれば、労働者側は、「クビになったら路頭に迷う」というプレッシャーが少なくなるし、雇用者側も、非人間的な労働条件を突きつけにくくなる。パートタイム労働が増えるかもしれないが、ワークシェアリングにつながるかもしれない。

でも、いったいどうやって捻出するの?

もちろん、ベーシックインカムを今すぐというのは無理だろう。社会党の中での反対意見も多い。

マニュエル・ヴァルス元首相は「労働して生活費を稼ぐことは尊いことだから」という理由でベーシックインカムに反対を表明している。

それもわかる。額に汗して生活費を稼ぐことは確かにひとつの「価値」だ。しかし、お金に還元できること以外は無価値というわけでもないだろう。家事、育児、近所の老人の世話、難民援助のボランティア、こういった無報酬の活動も同様に尊いのではないだろうか。

アルノー・モントブール元大蔵省大臣は、「ベーシックインカム実現には約4800億ユーロ、国内総生産総額の約79%相当をどこからか捻出せねばならない。増税は避けられない」と言う。

資産税から捻出ということになれば、「他人が遊んで暮らすことができるように税金を払うなんてとんでもない、それならば、外国に移住する」という富裕層はもちろん多くなるだろう。大会社はどんどん外国に移転するかもしれない。そう考えると、国民全員に750ユーロのベーシック・インカムをというのは、非現実的のみならず、危険かもしれない。

でも、まったく「夢」というわけでもないかもしれない。

フランスでは、70年前、第二次世界大戦直後、国民皆保険制度が導入された。3分の2の国民は無保険、国は瓦礫の山だった時期のこと、どうやって国を立て直すか、まったく先が見えない状況だった。しかし、今、フランスは、予約から診察までの待ち時間が長いとはいえ、ガンの化学治療から出産までほぼ無料の国になった。

今回の討論は、「どうやってワーキングシェアするか」、「深刻になる貧困問題改善のために自分にできることは?」、「自分を擦り減らす仕事を続けることに何の意味があるか」といった、日頃から人々が感じていたことを言葉にして、話し合うきっかけになった。弱肉強食型のネオリベラリズムに危機感を抱いている人は多い。政治家だけに任せてはおけないテーマだ。

パリ在住ライター

慶応大学文学部卒業後、渡仏。在仏30年。共同通信デジタルEYE、駐日欧州連合代表部公式マガジンEUMAGなどに寄稿。単著に「フランス人の性 なぜ#MeTooへの反対が起きたのか」(光文社新書)、共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿」(光文社新書)、「夫婦別姓 家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。仕事依頼はnatsuki.prado@gmail.comへお願いします。

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