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金正恩政権が不安定な主な5つの理由

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

序列6位の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相の処刑説が流れてから「金正恩政権はどうなの?安定しているの?不安定なの?」とよく聞かれる。その度に「政権発足から不安定な状態が続いている」と答えている。その理由について挙げれば、枚挙にいとまがない。そこで、主な理由を幾つか挙げてみる。

その一、急死した父・金正日総書記の後を受け、政権を発足したのが2011年12月。

一年も絶たない2012年7月に当時序列NO.4だった李英鎬(イ・ヨンホ)軍総参謀長を電撃解任してしまったことだ。

李英鎬次帥は金正日総書記とは同年輩で、三男の正恩氏を後継者に定めた2009年2月に金総書記が軍における後見人として軍総参謀長に任命した側近の中の側近である。金総書記が李次帥にいかに絶大な信頼を寄せていたかは、金正日総書記を含め3人しかいない党政治局常務委員の肩書を与え、さらには後継者の金正恩氏と同格の党軍事副委員長のポストに就け、現役軍人では最高階級の次帥にまで昇進させていたことをみれば一目瞭然だ。

李総参謀長の解任は「身辺関係」、即ち「病気」を理由とされていたが、人民武力相だった呉振宇(オ・ジヌ)元帥、軍総政治局長だった趙明録(チョ・ミョンノク)次帥の例を取るまでもなく金正日時代の軍最高幹部らは病床にあっても解任されることはなかった。死ぬまでそのポストに就くことができた。李次帥とは大きな違いである。その後、判明したことだが、李次帥は最高司令官の正恩氏に逆らったとして「反党・反革命分子」のレッテルを貼られ、粛清されたと伝えられている。軍トップ、それも、父親の側近を粛清するとはよほどのことだ。

その二、政権が安定していれば、何も叔父の張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長兼国防副委員長を処刑することもなかったはずだ。

張成沢国防副委員長は金総書記が溺愛した実妹、金慶喜(キム・ギョンヒ)党書記の夫である。金総書記は長い間、仕えてきた義弟を金正恩氏の後見人として補佐させるため2010年に国防副委員長と党軍事委員の要職に付け、大将の肩書まで与えていた。父・金正日総書記が最も頼りにしていた後見人を、それも数少ない身内を「裏切り者」として処刑せざるを得なかったのはこれまた基盤が脆弱だったことの裏返しでもある。

その三、政権が盤石なら、軍の二本柱である人民武力相と軍総参謀長のポストを取っ替え引っ替えする必要もない。金正恩政権になって1年に一度、中には僅か3か月、あるいは半年で交代させるケースが目立つ。尋常ではない。

人民武力相のポストは、金正角(キム・ジョンガク)次帥(2012年2月~2012年11月)→金格植(キム・ギョンシク)大将(2012年11月~2013年5月)→張正男(チャン・ジョンナム)大将(2013年5月~2014年6月)→玄永哲大将(2014年6月~2015年4月解任?)と4度、また、人民軍総参謀長も李英鎬次帥の後、玄永哲大将(2012年7月~2013年5月)→金格植大将(2013年5月~2013年8月)→李永吉(イ・ヨンギル)大将(2013年8月~)とこれまた4度も交代させている。

ちなみに金正日総書記は、金日成政権下の呉振宇人民武力相を死ぬまでそのポストに就けていた。呉振宇元帥は1976年5月から78歳で亡くなる1995年2月までほぼ20年その座にあった。金正日総書記は政権交代を理由に軍最高幹部を変えることはしなかった。

金日成主席死去(1994年7月)翌年の1995年10月に金正日政権下で軍総政治局長に登用された趙明録次帥も同様で2010年11月に82歳で亡くなるまでの15年間その座にあった。同じく1995年10月に総参謀長に起用された金英春次帥(79歳)も2009年に人民武力相に移動するまでの14年間、一貫して同じポストにあった。信頼の証以外の何物でもない。

その四、金日成―金正日政権下では人民武力相も軍総参謀長も党最高幹部である政治局常務委員か、最低でも政治局員に就いているが、金正恩政権下ではいずれもワンランク下の政治局候補委員に留まっている。

現職の玄永哲人民武力相も李永吉軍総参謀長も、前職の将軍らもいずれも政治局員には抜擢されてない。「先軍政治」を標榜しても、制服組(軍服組)のトップに必要以上の権限を与えないのは、ある意味では軍幹部に対する警戒心の表れと言えなくもない。

その一方で、軍総政治局長には政治局員どころか、最高ポストの政治局常務委員の地位を与えている。現職の黄秉西(ファン・ビョンソ)次帥(2014年4月~)は就任した時に、また前任の崔龍海(チェ・リョンヘ)次帥(2012年4月~2014年4月)も同様に軍総政治局長就任時は政治局常務委員の地位を与えられていた。

二人とも次帥の肩書を与えられているが、党組織指導部に所属していた黄氏も社会主義青年同盟出身の崔氏も所詮党人で軍人ではない。「労働党の軍隊」ということで党が軍をコントロールするため派遣された「キャリア組」のトップである。これに対し、玄永哲大将や李永吉大将は生粋の軍人で、謂わば「ノンキャリ」のトップである。

辺仁善(ピョン・インソン)軍作戦局長(大将)(2013年8月~2015年2月)や金明植(キム・ミョンシク)海軍司令官(上将)(2013年4月~2015年2月)も含めて「ノンキャリ」が粛清の対象となっているところをみると、軍隊の中に「キャリア」と「ノンキャリア」の間で暗闘、確執があるのかもしれない。

その五、ふと気が付けば、金総書記の告別式の時に霊柩車に寄り添っていた当時の軍トップ4人がいずれも消えてしまったことだ。

先頭が李英鎬総参謀長、二番目が金英春人民武力相、三番目が金正角軍総政治局第一副局長(局長は空席だった)、そして最後方に禹東則(ウ・ドンチク)国家安全保衛部第一副部長(部長は空席だった)と4人とも故・金正日総書記に後継者への忠誠を誓っていたが、僅か3年半で全員が粛清、更迭されてしまい、誰一人、金正恩氏の傍にはいない。次いでだが、霊柩車の左側にいた党の後見人であった張成沢氏も粛清、処刑され、この世にはいない。

この他に不安定な理由としては韓光相(ハン・グァンサン)党財政経理部長の解任(2013年9月~2015年3月)や馬遠春(マ・ウォンチュン)国防委員会設計局長(2014年5月~2014年12月)の地方への左遷にみられるように経済的側面があることはあえて触れるまでもない。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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