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「脱北」か「拉致」か 北朝鮮女性レストラン従業員をめぐる南北の攻防

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
帰国した7人の女性レストラン従業員

中国の浙江省寧波市で働いていた北朝鮮レストラン女性従業員13人の韓国への集団亡命事件(4月7日)は「脱北」ではなく「拉致」と主張する北朝鮮が国際機関を巻き込んでの攻勢を仕掛けたことで思わぬ様相を見せている。

北朝鮮の韓国への脱北者は金正日政権下の2千人台規模から金正恩政権(2012年)になって1千5百人台にまで減少したとはいえ、金正恩体制下の4年間でもすでに6千人近くが脱北、韓国入りしている。

北朝鮮はこれまで「脱北」が単独にせよ、家族単位にせよ、集団にせよ、よほどのことでない限り「拉致された」と騒いだりはしない。国家の恥に繋がることから「脱北」そのものを覆い隠し、徹底的に無視する。公になった場合は、ドミノを防ぐため「人間の屑」とか「裏切り者」扱いにして収束を図る。これが一般的な対応だ。但し、国際的な波紋を呼ぶケースの場合、時に「拉致」と主張し、応酬することも稀にある。今回のケースがこのパターンだ。

韓国政府が事件を発表(4月8日)当初は、対韓宣伝メディア「我が民族同士」を通じていつものように「人間の屑」で対応したのだが、様子が一変したのは13人と同じ職場の同僚7人が帰国してからで、4月12日に赤十字委員会を通じて引率者の男性支配人を除く「12人は誘因、拉致された」との談話を発表。

続いて、4月20日にはCNNの記者を招き、平壌の高麗ホテルで帰国した7人を引き合わせ、インタビューをセット。4月24日には「人間の屑」と罵っていた対韓宣伝メディア「我が民族同士」にそのインタビューが放映された。28日には対韓部署の祖国平和統一委員会が朴槿恵政権を痛烈に批判し、12人の送還を求めた。しかし、こうした北朝鮮の反応は対外、対韓向けであって、国内には一切伝えられてなかった。

過去のケースでは、このまま国民に知らせぬまま、外に向けて一方的に主張するだけ主張してことを収めるのだが、今回は明らかに違った。4月29日付けの労働新聞に赤十字委員会と祖国平和統一委員会の談話や声明を掲載し、国民にもこのことを知らしめた。

この日を境に北朝鮮は堰を切ったかのように事件を取り上げ、朴槿恵政権を攻撃する一方で、国際世論を喚起する手に出た。5月3日には36年ぶりの党大会取材のため平壌入りしていた外国メディアを呼び、7人の従業員と12人の家族らによる共同記者会見をセット、その模様を国内でもテレビで流した。10日後の5月13日には再びCNNを呼び、家族らにインタビューさせ、「娘を会わせろ、返せ」と訴えさせた。

北朝鮮の攻勢はそれだけに留まらなかった。極めつけは、12人の親らが国連人権理事会議長と国連人権最高代表に書簡を送り、真相究明と送還の協力を求めるため直接ニューヨークの国連本部を訪れ、嘆願する意向を表明していた。このことに関連して、北朝鮮外務省スポークスマンは5月15日、国際人権機構に対して12人の送還のための対策を講じるよう要請していた。国連人権委員会理事会も国連難民高等弁務官も北朝鮮の劣悪な人権状況を問題にし、再三に亘って改善を促していたことで知られる。そうした勧告を一切無視してきた北朝鮮がこれら国連機関に協力を求めるのは異例と言えば、異例である。

北朝鮮が国連機関だけでなく、韓国にも北朝鮮赤十字社を通じて韓国の赤十字総裁に協力を求める書簡を送りつけたことなどから韓国内でも徐々に「自発的な意思で韓国に入国した」との政府当局の発表を怪しむ雰囲気が広がり、ついには「民主社会のための弁護士会」(民弁)が所管の国家情報院に女性従業員らとの「緊急面会」を要請する事態に至った。

「民弁」は5月15日「集団脱北を巡る種々の疑惑を解消し、透明で公開的な検証のため、彼女たちに対する面会が必要」とその理由を述べているが、韓国当局の「自発的脱北」と北朝鮮側の「国家情報院による誘引拉致」で対抗している状況で彼女たちが弁護人の助力を受け、自由に意思表示できなければならないとの主張だ。北朝鮮女性従業員らは韓国に入国して以来、北朝鮮離脱住民センターで外部の接触を完全に遮断された状態で国家情報院の合同尋問を受けている。

北朝鮮や「民弁」の要求に対して該当部署の「統一院」や「国情院」は「13人は強制によるものでなく、本人らの意思による」亡命であり、北朝鮮の主張は言いがかりであり、エリート集団の脱北による国内への衝撃と動揺を防ぐため、国際的イメージ失墜を挽回するための単なる「詭弁に過ぎない」として一切取り合わないことにしている。また、平壌で「12人の同僚らは拉致された」と証言した7人についても「彼女らも脱北することになっていた。予定が狂って、途中で気が変わって帰国してしまった」と暴露している。韓国当局は

北朝鮮側が求める板門店やソウルなどでの家族との面会も、第三者の面会も一切許可しない方針だ。

では、韓国当局や韓国のメディアが伝える「脱北」の根拠は何か?

その一、一人、二人ならいざしらず、集団拉致は不可能である。

その二、体の自由を奪われ、船に乗せられ連行された日本人拉致と違い、第三国を経由して空路入国している。拉致ならば、途中いくらでも逃げるチャンスがあったはずだ。

その三、韓国に入国した際にほぼ全員がマスクとサングラスをしていた。拉致され連れて来られたなら、わざわざ正体を隠す必要はない。

その四、身なりも怪しまれず、韓国に向け出国できるよう全員が韓国人旅行者を装っていた。拉致されたならば、全員が同じような服装は不自然である。

その五、拉致されたならば、北朝鮮当局が真っ先に中国当局に調査の依頼や原状回復を求めてしかるべきなのにそうした動きは一切ない。

その六、帰国した7人の証言も辻褄が合わず、説得力が乏しい。

その七、北朝鮮が「拉致」と主張するのは、国連人権委員会や理事会などで高まる国際社会の人権批判を交わす為の「宣伝戦」に利用しているに過ぎない。

一方、北朝鮮当局が主張する「拉致」の可能性の根拠は何か?

その一、朴槿恵政権は「制裁が効いている」「金正恩体制は揺らいでいる」ことの証として、脱北を誘導する必要性があった。

その二、苦戦が伝えられる総選挙対策として「脱北事件」を起こす必要があった。選挙前に大々的に発表したのに選挙後は完全黙秘してしまった。

その三、中国から第三国経由の一泊二日のソウル入りは韓国当局の手引きがなければ不可能である。

その四、引率者である男性支配人が金銭トラブルを抱え、韓国情報機関に抱き込まれた。

その五、13人の共同記者会見を一度も開いてない。マスコミのインタビューにも応じてない。

その六、12人の女性従業員は断食闘争を行っていて、一部は失神状態に陥ったと言われているのに韓国の市民社会団体の関連情報の公開や従業員に対する弁護人の接見も拒否している。

どちらの言い分が正しいのか、第三者的な立場の国連機関が13人に面会して「事情聴取」すれば一件落着するのだが、事はそう簡単ではなさそうだ。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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