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期待外れの北朝鮮亡命公使の発言

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
韓国亡命前の太永浩・北朝鮮駐英公使

今年7月に赴任先の英国で消息を絶ち、韓国に脱北していた太永浩(テ・ヨンホ 55歳)北朝鮮前駐英公使が自由の身となって、語り始めた。約4カ月間に亘る韓国政府の合同調査による事情聴取と韓国社会に適応するための訓練が終わったことによる。

一般的に脱北者は北にいる親族に危害が及ぶのを恐れ、表に出るのを避ける。しかし、亡命外交官の多くは、沈黙を守るよりも、積極的に話す場合が多い。1991年5月の高英煥駐コンゴ大使館一等書記官、1996年1月の駐ザンビア大使館の玄誠一3等書記官(玄哲海元帥=元人民軍総政治局副局長の甥)、1993年3月の洪淳京駐タイ大使館参事官(貿易担当)などが代表的なケースだ。

(参考資料:北朝鮮から亡命した外交官と特権層の顔ぶれ

韓国統一部の発表では太永浩前駐英公使はこれまで韓国に亡命した北朝鮮の外交官の中では「最も地位の高い人物」である。北朝鮮外交官の亡命は1997年8月の張承吉駐エジプト駐在大使夫妻の米国亡命以来、大使の亡命は一件もない。1997年2月の黄長ヨプ働党書記(国際担当)を最後に金正日―金正恩政権下のこの19年間、「小者」の亡命はあっても、体制を揺るがすほどの「大物」の亡命は一件もなかった。その意味では、韓国にとって公使の亡命は「大物」に属する。何よりもリオ五輪の最中だっただけにビッグニュースとなって世界を駆け巡ったこと、また金正恩政権を支えるエリート層、核心層から亡命者が出ただけに波紋も大きかった。

(参考資料:駐英公使の韓国亡命で金正恩体制は揺らぐか

今年に入っての脱北者の増加、とりわけ体制に忠実だったエリート増、核心層の脱北要因の一つが金正恩政権の恐怖統治にあると伝えられている。韓国の情報機関である国家情報院(「国情院」)が公開した「北朝鮮内部特異動向資料」によると、金正恩政権下の過去3年間に銃殺された幹部は2013年30人、2014年31人、2015年8人に上る。幹部だけでこの数だから、末端レベルではもっと多いかもしれない。

太永浩前公使は「個人の栄達ではなく統一を操り上げることに生涯を捧げる覚悟」から「今後、身辺に脅威を受けても対外公開活動をする」と明らかにしている。それだけに北朝鮮の内情や金正恩政権の恥部を洗いざらい暴露することが期待されていた。

太氏は12月19日に国会情報委員長および与野党幹事らとの非公開懇談会に臨み、23日には国会情報委員会に出席し、与野党情報委のメンバーらと短時間であるが、懇談している。幹事のセヌリ党の李完永議員、共に民主党の金炳基議員、国民の党の李泰珪議員らが伝えたところでは肝心の北朝鮮の内幕に関する情報は以下の3点だった。

一つは、2015年5月に処刑された玄永哲人民武力相についてで、処刑の理由については「家で(盗聴されていることを知らずに)よくない話をしてそうなった」と語ったそうだ。

「北では職位が上がるほど高位層であるほど監視が厳しくなり、自宅内の盗聴が日常化している」と述べたそうだが、これは秘密情報でも何でもない。誰もが知っている一般常識である。知りたいのは肝心の「よくない話」の中身だ。それについては「承知していない」とのことだった。

金正恩委員長の演説中の居眠りが処刑の直接的な原因でないことは最初からわかっていた。「不敬罪」は表向き理由で、他に理由があったはずだ。誰もがその本当の理由を知りたいのだ。

二つ目は金正恩体制について「金正恩は若く、統治が数十年間続く場合、子ども、孫の世代まで奴隷のような状況を免れないという絶望感のため、うつ病に苦しむ幹部も多い」と語ったことだ。

ここで言う幹部がどの層を指すのかが定かではない。金正恩政権発足の5年間、太氏は英国に赴任していた。大使館内のことなのか、あるいは外務省内でのことなのか、それとも、労働党幹部ことなのか不明だ。

抽象的なことではなく、語るべきは2015年にエリッククラプトンのロンドン公演に付き添った正恩委員長の実兄、正哲氏のこととか、2003年から10年まで英国大使を務めていた李容浩外相のこととか、スイス大使から外相を経て今年の党大会で党外交の最高責任者となった李スヨン政治局員(党副委員長)らに関する情報だ。あるいは、英国大使館での外貨獲得のための「不法活動」や情報収集工作活動の有無についてだ。

また、「北にはナンバー2がいないため、金正恩の一人さえどうにかなれば完全に統一する。むしろエリートや側近が(北朝鮮内で)政変がある場合、中国に逃げないか憂慮される」という発言も、裏を返せば、金正恩委員長が独裁体制を築き、独裁者として訓練していることを裏付けた格好となっている。これもある意味では誰もが予測していることで、衝撃的な発言とは言えない。太氏に求められているのは北朝鮮内部に関する「爆弾発言」であって、評論家のようなコメントではない。

三つ目は北朝鮮の内部情勢についてであるが、「今年5月の第7回労働党大会でパキスタン、インド式の核保有国地位を認められるのが金正恩の方針だった」とし「核保有国の地位を認められた後、国際的対話で問題を解決するという戦略」という発言も北朝鮮の外交官でなくても、これまた朝鮮問題専門家ならば誰でも予想していることだ。

太氏は、また北朝鮮の6度目の核実験の時期について「2017年末の大統領選挙」と北からの公文が大使館にあったことを明かしているが、これは意外だ。北朝鮮の過去5回の核実験はいずれもすべては米国に向け行われていたからだ。

大統領選挙は2007年12月と2012年12月にあったが、北朝鮮の5度の核実験は2006年10月、2009年5月、2013年2月、2016年1月と9月と韓国の大統領選挙とは全く無縁だ。「朴槿恵大統領スキャンダル」で揺れる韓国の混乱を早期に終息させたい思いから意識して結び付けたのか定かではないが、唐突の気がしてならない。というのも、太氏の発言はリップサービスなのか、韓国国内向けが多かったからだ。

「長期の海外生活を通じて韓国映画・ドラマなどを見ながら韓国の民主化と発展した姿を感じ、自由民主主義体制に対する憧れが芽生え、かなり以前に脱北を決心した」

「亡命当時、子どもには『この瞬間からお前たちのために奴隷の連鎖を断ち切る』と話したが、実際に来てみるとどうしてもっと早く勇気を出せなかったのかという思いになった」

「民族の希望である統一を早めるのに積極的に努力したい。金正恩が突然死んで、私が何もせずに統一すればどうしようという考えにもなる」

「蝋燭集会が光化門で大規模に開かれても国家システムが正常に機能し、聴聞会で権力者を相手に鋭い質問をするのを見て非常に驚いた」

「国会が権力を持つ政府を透視して批判するのが韓国社会の長所であり、これが大韓民国の発展の動力ではないだろうか。大韓民国の民主主義について前向きに考えるようになった」

太永浩氏は明日(27日)も韓国統一部担当記者らと懇談会をするようだ。3度目の今度こそ、北朝鮮内部について大いに語ってもらいたい。

(参考資料:情報価値のある「VIP」の亡命には米CIAが関与

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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