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北朝鮮の「ゲシュタポ」トップの首を切った実力者は誰だ!

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
金元弘保衛相(円の中)と金京玉党組織指導部第一副部長(向かって左側)

金正恩体制を支える支柱の一つである国家安全保衛省(旧国家安全保衛部)のトップに君臨する金元弘(きむ・ウォンホン)保衛相が労働党組織指導部の検閲を受け、電撃解任されたことが波紋を呼んでいる。

(参考資料:北朝鮮の「ゲシュタボ」のトップが電撃解任!

李英鎬(イ・ヨンホ)軍総参謀長、金正恩委員長の叔父の張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長兼国防委員会副委員長、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相に続く、超大物の「粛清」である。そして、国家安全保衛省を検閲し、そのトップを解任したのは労働党組織指導部である。

周知のように北朝鮮は朝鮮労働党による一党独裁支配体制である。労働党の各部署の中で最も権力のある部署は他ならぬ組織指導部である。 

部長は初代の金日成時代の1973年に後継者に内定していた金正日書記(当時)が就任したのが最後で空席のままである。部長が空席なら必然的に第一副部長に権力の座が移る。第一副部長は2014年3月までは金京玉(キム・ギョンオク)、趙延俊(チョ・ヨンジュン)、黄炳誓(ファン・ビョンソ)の3氏がそれぞれ役割分担していた。現在は、黄炳誓氏が軍総政治局長に転出したので金京玉、趙英俊の両氏が組織指導部を牛耳っている。

金京玉第一副部長は年齢不詳だが、外見や風貌、キャリアからして80歳前後である。

金第一副部長は24年前の1991年にはすでに党副部長に就いていた。第一副部長に昇進したのは、金正日総書記が2008年に脳卒中で倒れた直後である。そして、後継者の金正恩氏が党軍事副委員長としてデビューした2010年9月には金総書記の義弟、張成沢党行政部長や崔龍海党書記(当時)と共に党軍事委員に抜擢された。

(参考資料:第7回労働党大会の人事を解剖する

同時に軍人でもないにもかかわらず金総書記の実妹、金慶喜(キム・ギョンヒ)党軽工業部長(当時)や崔龍海氏らと共に大将の階級まで与えられた。同じ日に軍事委員に選出された張成沢氏の場合は、大将の階級が与えられたのは一年遅れの2011年であった。これを例に取っても、金総書記の金第一副部長への信任がいかに厚かったかがわかる。

労働機関紙の「労働新聞」は金総書記が2011年12月17日に亡くなる直前の10月8日に後継者(金正恩氏)をしっかり支えるよう「遺訓」(遺言)を残していたと伝えていた。「遺言」には1年内に後継者の金正恩党軍事副委員長を最高指導者の地位に就け、党からは金慶喜、張成沢、崔龍海、そして金京玉の4人が補佐するよう命じられていた。金総書記が4人に人民軍大将の称号を与えたのは軍をしっかり掌握させるためだったことは明らかだ。金京玉第一副部長は軍事担当で、軍人の降格、昇格は彼が決定する。

金第一副部長と並ぶ実力者は今年80歳になる趙延俊第一副部長である。

初めてその名が知れ渡ったのは2012年4月11日の党代表者会で政治局委員候補に選出されてからだ。政治局員候補になったこともあって現在の序列では金京玉第一副部長よりも上だ。現に2015年11月7日に死去した李乙雪元帥の葬儀委員リストでは、金第一副部長が41位なのに対して20位だった。しかし、政治局員候補になるまでは、常に金第一副部長の後塵を拝していた。その証拠に趙第一副部長は2014年3月に代議員(国会議員)になったが、金第一副部長は一期早く2009年には当選していた。

趙第一副部長は張成沢失脚となった2013年12月8日の政治局拡大会議を仕切ったことで知られている。

会議では朴奉柱(パク・ボンジュ)総理や金基南(キム・ギナム)書記(当時)らが次々と演壇に上がって、張成沢氏を糾弾したが、最後に党員資格の剥奪と党からの除名、追放を発表し、国家安全保衛部に連行、逮捕を命じたのは他ならぬ趙第一副部長であった。趙第一副部長は党幹部らの生活を総括する本部党責任書記も兼ねている。

黄炳誓軍総政治局長(77歳)の存在も無視できない。

政治局常務委員でもある黄炳誓軍総政治局長は党の序列では金正恩委員長、金永南最高人民会議常任委員長に次ぐ3位、そして人民軍ではトップにあり、大将よりも一階級上の次帥の階級も持っている。

黄軍総政治局長は党の序列や地位、軍の階級では金京玉、趙延俊両氏よりも上位にあるが、2014年4月に軍総政治局長に起用されるまでの間は、両氏よりも下にあった。第一副部長の就任も金第一副部よりも6年、趙第一副部長よりも4年も遅れた。現に2011年12月の金正日国葬委員序列名簿では金京玉氏が47位なのに対して、黄炳誓氏は124位と大きく引き離されていた。それも当然で、副部長当時の上司は他ならぬ金京玉第一副部長であった。

これら3人は同輩、もしくは先輩後輩の間柄で、太い絆で結ばれている。黄炳誓氏が出世頭となっているが、金京玉、趙延俊の両第一副部長が後輩の黄氏を軍に出向させ、今の地位に引き上げたともいっても過言ではない。それぞれ役割を分担して、労働党組織指導局主導による統治を続けているのが真相だ。

解任された金元弘保衛相(72歳)は1998年に代議員として初登場し、5年後の2003年に軍保衛司令官に任命され、さらに2011年に軍総政治局副局長、そして2012年4月からは解任された禹東則第一副部長の後釜として国家安全保衛部を任されていた。国家安全保衛部部長のポストもそれまでは空席だった。

失脚した張成沢氏が国家安全保衛部に連行され、軍事裁判を受け、処刑されたことで金元弘保衛相の存在が一段とクローズアップされたが、秘密警察の国家安全保衛省は国務委員会(旧国防委員会)の直属機関ではあると同時に労組織指導部の執行機関でもある。

金元弘保衛相は金京玉、趙延俊両第一副部長と良好な関係にあったとみられていたが、趙第一副部長が政治局員候補(7人)になった2012年4月に同時に金元弘保衛相がランク上の政治局員(12人)に抜擢され、徐々に権勢を振るい始めたことから上記3人に睨まれたようだ。

(参考資料:暗殺・クーデターを防ぐ金正恩委員長の「守護神」保衛司令部の実態

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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