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日本経済新聞社とフィナンシャル・タイムズの「温度差」

西田亮介社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズの買収が大変な話題になっている。

攻めの日経 英FT買収の成否- Y!ニュース (2015年7月24日(金)掲載)

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6168180

日本経済新聞社による英フィナンシャル・タイムズの買収は日本の新聞社の構造改革の端緒になるか(西田亮介)- Y!ニュース

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryosukenishida/20150724-00047826/

どのようなメリット、デメリットが考えられるのだろうか。日経と日本のメディアの視点から考えてみたい。まず日経にとっては、グローバル・ブランドを手に入れるというメリットがなにより大きい。ブランド価値を、単純に株価や営業利益で計算することは難しい。かといって、育てるには時間も、費用もかかる。何とかして、「リーズナブルに」獲得したかったというのが本音だろう。

FT買収額Wポストの5倍、営業利益の35倍-株価評価反映せず(Bloomberg)- Yahoo!ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150724-00000020-bloom_st-bus_all

とくに、既に述べたように、日本の新聞メディアは、戸別宅配制度に支えられて世界屈指の巨大な発行部数を有する一方で、世界におけるプレゼンスや認知度、とくにクオリティペーパーとしての認知度は高くはないという事情もある。日本の新聞社は比較的長い歴史を持ちながら、基本的には国内でビジネスを展開し、ブランドとしての認知を獲得することに専念してきた。あるいは、国際的なプレゼンスの獲得には失敗してきた。

日経のピアソン社からのフィナンシャル・タイムズのブランドは、その状況に一石を投じる可能性がある。その一方で、直近でビジネスに大きな影響を与えるとは考えにくい。むろん、フィナンシャル・タイムズのコンテンツを邦訳したり、今回オンライン媒体も買収の対象に含まれているので、それらの日本語化はすぐさま取り組むことが可能な事業でもある。だが、それらが直近で大きな売上につながるとも考えにくい。日経はフィナンシャル・タイムズの編集権の独立も明言している。したがって、すぐにコンテンツの制作過程や広告の制作過程に介入して、今まで以上に積極的な収益化を求めておくということもできなさそうである。そしてそのような条件では今回の買収の合意には至らなかっただろう。

その意味では自動車メーカーのブランド売買と似ている。自動車ブランドと現在の親会社の関係は現在では元々のバックグラウンドを越えて遥かに複雑なものになっている。シナジー効果や収益性等々の事情によって売買収が行われていく。果たして、ジャーナリズムやメディアが自動車と同じように売買されてよいものかどうかという議論はさておくとして、今回の売買収もそのように捉えるのが一番わかり易いのではないか。

ただし、日経のブランディング強化が国内に留まるなら、やや残念に思える。もっともわかりやすいのが昨今の国内のグローバル化を待望する風潮に乗じたかたちで、フィナンシャル・タイムズ・ブランドを活用して国内でブランド力を強化することであろう。それだけでは1600億円という高い買い物の潜在的価値を十分に引き出せているとも思えない。

ここはやはり日本のメディア・カンパニーの国際的なプレゼンスの拡大と、既にシビアなメディア環境の激変期を経験してきた海外メディアの取材、報道技術、ビジネスモデル、リストラ等々のノウハウを学び、イノベーション(イノベータ)のジレンマ状況にある新聞各社のイノベーションの試金石としてほしい。その意味では、日経以外の新聞各社も他山の石として注視すべきだ。外資系企業のご経験も長い楠正憲さんなどはやや悲観的な見方をしているが、個人的にはたまには楽観的に期待してみたいところである。

そこで気になるのが、日経とフィナンシャル・タイムズ(ピアソン)の温度差ということになるだろうか。ピアソンの公式なメッセージはフィナンシャル・タイムズブランドを保有してきたことの誇りと、メディア環境の変化のもとでのIT化とグローバル化の重要性が強く表現されている。新しいスポンサーとなる日経に対するメッセージに重きが置かれているとはいえない。

それに対して、日経からは、フィナンシャル・タイムズとパートナーシップを組めることを誇りに感じていることが真っ先に表明されている。

この売り手と買い手の、やや非対称ともいえる温度差のなかで、今回の巨額な買収の「元を取る」ことができるのだろうか。一般的にはこうした温度差の存在は、企業文化の接合や人事制度の統合等といった観点でも難しいといわれている。それでも東芝や三菱自動車の米国現地生産の撤退など、日系企業の不祥事や不振のニュースが相次ぐなかで、久々のサプライズ・ニュースであり、期待したい。また日本の新聞社改革の壮大な実験という意味でも、今後の動向が気になるところである。

社会学者/日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授

博士(政策・メディア)。専門は社会学。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教(有期・研究奨励Ⅱ)、独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て2024年日本大学に着任。『メディアと自民党』『情報武装する政治』『コロナ危機の社会学』『ネット選挙』『無業社会』(工藤啓氏と共著)など著書多数。省庁、地方自治体、業界団体等で広報関係の有識者会議等を構成。偽情報対策や放送政策も詳しい。10年以上各種コメンテーターを務める。

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