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盲導犬を傷つける原因は、“嫉妬”だった?!

齋藤薫美容ジャーナリスト・エッセイスト

だいぶ時間が経ったものの、未だ衝撃がおさまらない“盲導犬の傷害事件”。しかし実際の罪は“器物破損”止まりだということも含めてこの問題、逆にもう少し引きずりたい気がする。

その後に全盲の女子生徒が駅で蹴飛ばされるという事件が起きて、日本人のモラルの低下を決定づけたが、この2つの“犯罪”は根っこにあるものが違う。どちらも許されざる行為だが、ひとまとめに語ることはできない気がしたのだ。

全盲の女子生徒を傷つけた犯人は、白杖に自らつまずき、単純に切れたのだ。しかし盲導犬を傷つけた犯人の場合は、そのための凶器を持っていたことからも、そう考えたくはないけれど、ひょっとすると計画的だったかもしれない。

マスコミは盲導犬がそういう場面でも声を出さぬよう訓練されているから、ある種の愉快犯なのではないかという見方をするが、おそらくは単なる愉快犯じゃなく、そこに至らしめたものは、“嫉妬”ではなかったかと思うのだ。

もちろん愉快犯の多くは、世間に対しての嫌悪や広い意味での嫉妬を抱え持っているのは間違いないが、このケースは盲導犬とその飼い主への明確な嫉妬……。

わかる人はわかるかもしれない。自分は無類の犬好きで、自らも犬を飼っているが、そういう者から見ても盲導犬とその飼い主がともに歩く姿を見ると、不謹慎ながら何だかとてもうらやましい。おそらくは、犬と人間の間で結ばれている類希れな絆への憧れ。東京都交響楽団の定期コンサートには、毎回必ず飼い主に付き添って盲導犬が来ていて、約2時間、じっと演奏を聴いている。その姿を見るだけで、音楽以上に癒されるほど……。

もちろんどんな犬とも気持ちは通じるが、めざましい能力と、へたな人間以上の優しさとホスピタリティを持った犬との心のつながりは、まったく特別なもの。そういう犬を我がものにしている飼い主への嫉妬。その素晴らしい、犬が人間に対して注ぐ愛情への嫉妬。それがあの卑劣な犯行に走らせたのではないかと思ったのだ。

言うまでもなく、犯人はとてつもなく淋しい人間だ。しかし愛に飢えているからこそ、自分には介在できない世にもピュアな愛に嫉妬した、そうは言えないか?

今回のニュースを知って、涙した犬好きは少なくないと思う。何度傷つけられても耐え抜いた盲導犬のあまりの健気さに。

犬が好きすぎて飼えないという人は、「犬の心が純粋すぎて、犬の愛情が重すぎてとてもじゃないが受け止められなくなるから」と言う。そのくらい犬が汚れのない心を持っているのを知っているから嫉妬した。そう考えられなくもない。そういう意味ではひょっとするとその犯人も、犬を飼ったことがある人物かもしれない。いや、少なくともこの世にそこまで清らかなものはめったにないことを知っている人間の犯行。

嫉妬は人間を狂気に走らせる。これもまたそういう事件である気がしてならないのだ。もしそうなら、社会が複雑になるほどに嫉妬の種類も増え、信じ難い出来事も増えていくのかもしれない。嫉妬という感情と戦う術を、嫉妬される側は一切持たないからである。

美容ジャーナリスト・エッセイスト

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストへ。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』』(講談社)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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