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“理系の男には愛妻家が多い”とする根拠

齋藤薫美容ジャーナリスト・エッセイスト

ノーベル賞受賞者には、愛妻家が多い……日本人受賞者が増えるたびにそう思う。おそらく日本という国では、公の場で“夫婦同伴”を目にする機会が少なく、それがノーベル賞の受賞式ではまとめて見られることが、そう言われるひとつの要因になっているのだ。

しかも日本のマスコミは決まって家族にスポットを当て、夫婦のなれそめまでを追いかける。こういう報道については批判的な見方もあるが、正直言って興味深い。見事にユニークな夫婦関係が多く、多少の演出を差し引いたとしても、やっぱり受賞者が愛妻家であるケースは少なくない気がするからなのだ。

ただ、そう見えるのも、近年の日本の受賞者は“理系の人”ばかりだから。理系の中でも、圧倒的な理系脳を持つ人たちばかりだから。

生物学的な見地からすれば、理化学系の研究者は良い意味で、“子供の心”を持ち続けるという。常識や既成概念にとらわれずに、自らの好奇心に忠実に生き、結果的に奇想天外な発想や発見に到達する人々。理系の研究者がどこがキュートに見える理由はそこにある。

大人の分別や価値観を持ってしまうと、リスクや損得を考えて到底没頭できないことに没頭する、精神的に子供の純粋さを持ったまま知的成熟を遂げたからこそ、偉大な発見に至りやすいのだという見方ができる。

ではなぜ愛妻家? 少年の心を残したまま結婚すると、妻は“友だち”となり、他の異性に目が行きにくく、結果として誠実な夫になりやすい、という見方ができるから。

もちろん、理系の男にも“不実な夫”はたくさんいるのだろうが、理系と文系を単純に比較した時にそういう傾向があるのは否めない。対極にある“作家”が、歴史的に貞操観念に欠ける艶福家が多かったとすれば、この仮説のひとつの裏づけになるのだろう。

実際に夫婦円満かどうか、本当のところは分からない。しかし、研究者として何らかやり遂げている人たちは、なぜか人生楽しそうである。言ってみれば少年のように……。

ちなみに、“少年の心を持っている”というフレーズを、趣味ばかりにかまけていることの言い訳や、もっと単純に、子供っぽさを指摘された時の開き直りに自ら使う大人の男が少なくないが、あまり正しい使い方とは言えないのだ。

少なくとも、ここで言う“少年の心”は、妻たちを悩ませないし苦しめない、愛すべき心。そういうひたむきさが何らかの快挙をもたらしたのだとしたら、それは敬うべき心である。結婚するなら理系の男、という静かな風潮において、ひとつの根拠ともなるのだろう。

そして、ノーベル賞受賞者に“愛妻家”が実際に多いとして、その愛妻家ぶりをのぞいても、いわゆる“恐妻家”の印象はない。あくまでも妻をリスペクトしつつ、対等の立場という気配を放つのも、理系の世界はあらゆる評価が基本的にきっぱりした数字で割り切れるから。女性の方がむしろ優秀だったりする場面もうやむやにはできないからで、女性へのリスペクトが文系のそれとはやはり違っていて、素直でストレート。より明快な裏づけに基づくリスペクトだからではないだろうか。

もちろん研究に没入するあまり、家庭を省みないケースも少なくないとされるが、その分、天野教授のように、妻の生き方に対しても全く干渉しないという新しい関係性をも生んでいたりして、確かに対等。だから理系な男は、夫としてますます株が上がるのである。

結婚するなら、理系の男。ノーベル賞を理化学研究者が受賞するたびに、しみじみとそう思う。

美容ジャーナリスト・エッセイスト

女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストへ。女性誌編集者を経て独立。女性誌において多数の連載エッセイを持つ他、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『されど“男”は愛おしい』』(講談社)他、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。

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