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京都出身のSH、田中(パナソニック)と矢富(ヤマハ)の2人が勝敗の鍵を握る!――ラグビーTL決勝

斉藤健仁スポーツライター
2013年、矢富の復帰戦でも2人はマッチアップした(撮影:斉藤健仁)

ラグビーのトップリーグがフィナーレを迎えようとしている。2月1日(日)、14時から東京・秩父宮ラグビー場で行われるプレーオフトーナメント「LIXIL CUP 2015」の決勝で2連覇のかかるパナソニックワイルドナイツ(セカンドステージ2位)と、初の日本一を目指すヤマハ発動機ジュビロ(同4位)が対戦する。

そんな2チームの優勝の鍵を握るのは、背番号「9」を背負う田中史朗(パナソニック)と矢富勇毅(ヤマハ発動機)の2人だろう。ともにSH(スクラムハーフ)としてチームをコントロールする立場にあることはもちろん、田中は2013年に日本人選手として初めてスーパーラグビープレイヤーとなった『パイオニア』であり、矢富は早稲田大時代から日本代表に選出され、社会人1年目の22歳で2007年のワールドカップに出場した。

◇日本人初のSR選手が今でも意識している「好敵手」

そんな日本ラグビー界を引っ張ってきた2人のSHは同学年で、ともに京都出身、中学時代から競い合ってきた仲だった。今シーズンのトップリーグの最終節でもパナソニックとヤマハ発動機は対戦し、ヤマハ発動機が26-18で勝利したが、試合中に少し2人の小競り合いがあったため、田中は「いろんな人からメールなどで連絡をもらいましたね」と苦笑していた。

田中はかねてから矢富を意識していた。

もしかしたら、自分の方がSHとしては先輩(田中は高校2年から、矢富は大学から本格的にSH)という気持ちもあったのかもしれないが、田中は「一番悔しかった試合」を聞くと、決まって「高校2年生時の花園予選の決勝」を挙げてきた。京都の中学選抜では一緒にプレーしたものの田中は名門の伏見工、矢富は京都成章に進学し、高校2年時、田中のいる伏見工は京都成章に負けて花園に出場は叶わなかった(高校3年時は伏見工が勝利し、花園ベスト4に進出)。

大学は田中が京都産業大、矢富が早稲田大に進んで、大学4年の時、大学選手権の準決勝で顔を合わせ、この時は矢富のいる早稲田大に軍配が上がった(55-12)。「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス刊)という本を書くために、田中に当時のことを聞いたときにも「やっぱり、気になっていたのは矢富くらいでしたね。僕が高校日本代表に選ばれて(続いてUー19日本代表にも選出)、その後で矢富は大学で日本A代表(日本代表に準ずるチーム)、次に僕が日本A代表に、そして矢富が日本代表に、そして僕が日本代表に選ばれましたね」と詳細に振り返ってくれた。

「負けず嫌い」の田中は、高校時代、矢富のいる京都成章に勝つためスキルを磨いた
「負けず嫌い」の田中は、高校時代、矢富のいる京都成章に勝つためスキルを磨いた

その時、あるエピソードを思い出した。

とある雑誌で矢富にインタビューをし、2007年にワールドカップ出場時に履いていたスパイクを読者プレゼントとしてもらった。続いて田中にインタビューした時に「矢富からはワールドカップの時のスパイクをもらったんだ」と伝えると、田中はわざわざ原付バイクに乗ってクラブハウスから寮に戻って、U-19日本代表のジャージーを持ってきてくれた……。田中は想像以上に矢富のことを好敵手として意識していたというわけだ。

矢富が2014年の秋に日本代表に復帰したときも、田中は「突破力がありますし、あいつは身体がありますし、パスのスキルが伸びている」とその成長を認めていた。

◇矢富は昨秋、代表に復帰。「良い争いをしたい」

坊主頭がトレードマークの矢富は、2007年のワールドカップ出場した後は、ラグビー部の強化が縮小されたことでプロ選手から社員選手となり、2010年度のトップリーグでは入替戦に回るなど厳しい時期も経験した。だが2011年から早稲田大時代の恩師であり、サントリーサンゴリアスの監督も務めた清宮克幸氏が指揮官に就任し、再びヤマハ発動機がラグビー部を再強化することになった後は、元代表らしいパフォーマンスを見せていた。

だが2011年の11月には右膝を、翌年の9月には左膝を大ケガし、長いリハビリ生活を余儀なくされた。そして2013年11月30日のパナソニック戦で15ヶ月ぶりに復帰を果たした。「ジャージーを受け取ったときに、15ヶ月分の思いで涙が出てきちゃって、記憶がとんじゃいました。泣いているしかっこわるいと思いましたが、言葉に表すことができなかった。遠征に行って、ジャージーをもらってという普通なことが新鮮だった」としみじみと語った。またSHとしても「チームはグラウンドを広く使っているし、復帰にあたって(SHの)原点であるパスを見直しました」と言う通り、突破力だけでなくパス捌きで成長の跡も見せた。

もちろん、矢富のラグビーに対する情熱はまだまだ衰えていない。

復帰戦でもマッチアップした田中が、日本人で初めてスーパーラグビーのピッチに立ったことを目の当たりにし「ずっと大学時代から(スーパーラグビーでの)プレーを思い続けてきました。まだあきらめていません。できるならやってみたい」と言い、さらに2015年のワールドカップに対しても「まだまだチャンスはある。今後の結果次第だと思う」と闘志を燃やしていた。

その言葉通り、矢富は今シーズン、ファーストステージ全7試合はリザーブから途中出場を果たし好調をアピール。日本代表を率いるエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)も「矢富は何か持っている」と高く評価し、2009年以来5年ぶりに日本代表に選出、グルジア戦でキャップを獲得した。続くセカンドステージでもリザーブからの途中出場が続いたが、第5節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦から先発に名を連ね、その後のヤマハ発動機の4連勝に大きく貢献し、初の決勝進出の立役者の一人とった。

矢富も当然、田中のことは意識しており「突破力やウェイトの数値では負けたくないですね!」と言うものの、「フミ(田中)はパスする感覚というか判断力が優れている。SHはボールを持ちすぎてもダメでだし、持たなすぎてもダメ。フミはそこが絶妙です。僕も参考にしていきたい」とライバルの長所も冷静に分析していた。

◇2人ともW杯に向けた日本代表候補に選出

日本代表に復帰した後、矢富は「SHは日和佐篤(サントリー)らも良い選手ですが、フミとは同学年ですし、同じ京都出身です。僕の方が先に日本代表に入ったこともありますし、もう一度、あいつにチャレンジというか良い争いができればいいな」と言っていたが、その言葉通り、1月、2015年にイングランドで開催されるワールドカップに向けた日本代表第一次候補選手に田中、矢富ともに名を連ねた。

だが、2月1日、ワールドカップの話をする前に、2015年最初の大事な一戦が待っている。

中学の頃より、互いに意識し続けてきた、まさしく好敵手の2人がついにトップリーグの決勝の舞台で相まみえる。SHがより良いプレーをしたチームが、優勝カップに近づくことは間違いないだろう。両チームの背番号「9」から目が離せない。

※関連リンク

「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由 ~最強ジャパン・戦術分析」

スポーツライター

ラグビーとサッカーを中心に新聞、雑誌、Web等で執筆。大学(西洋史学専攻)卒業後、印刷会社を経てスポーツライターに。サッカーは「ピッチ外」、ラグビーは「ピッチ内」を中心に取材(エディージャパン全57試合を現地取材)。「高校生スポーツ」「Rugby Japan 365」の記者も務める。「ラグビー『観戦力』が高まる」「ラグビーは頭脳が9割」「高校ラグビーは頭脳が9割」「日本ラグビーの戦術・システムを教えましょう」(4冊とも東邦出版)「世界のサッカー愛称のひみつ」(光文社)「世界最強のGK論」(出版芸術社)など著書多数。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。1975年生まれ。

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