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#シン・ゴジラ』をネタに製作委員会方式の良し悪しを問うのは不毛だ

境治コピーライター/メディアコンサルタント
※画像は『シン・ゴジラ』公式サイト・トップページより

製作委員会方式への批判がtwitterを駆け巡った

8月27日付でオリコンスタイルに掲載された大高宏雄氏の記事がこの週末、twitterで話題になった。

東宝“単独製作”『シン・ゴジラ』で露呈した製作委員会方式の功罪

『シン・ゴジラ』が野心的な内容で成功したのは、東宝100%出資で日本映画の常識である製作委員会方式ではなかったからだという内容だ。私は大高氏を映画ジャーナリストとして尊敬しており、その独自の視点からいつも学びを得ているのだが、この記事は製作委員会方式をイメージだけで語っており残念だと感じた。だがtwitterで大変に拡散され、読者の多くが製作委員会を映画界の悪者扱いしている。

私は映画界を擁護すべき立場にはないが、誤った印象が広がるのは良くないので、僭越ながら反論めいたことを書いておきたい。

製作委員会方式で中身への口出しはあまりない

どうやらネット上ではもともと製作委員会方式に悪いイメージを持つ人が多いようだ。確かに日本独自の業界慣習で悪い方向に働くこともままある。だが基本的には”幹事会社”がイニシアチブを握り、中身に対して責任を持つ。この幹事会社が脚本づくりや制作会社への窓口役、監督の指名、キャスティングなどを担う。『シン・ゴジラ』で東宝が行ったこととほぼ同じことを製作委員会方式でも幹事会社が行うのだ。

これに対し、他の出資社が映画の細かな内容に余計な口出しをすることはほとんどない。もちろん意見を言うこともあるしそれが中身に反映されることもある。だが基本的には幹事会社を尊重し、めったやたらに理不尽なことを口々に言って監督が途方に暮れるなんてことはない。映画のことをわかってない素人が、お金を出したからには言わせてもらいますよと口出しするイメージがあるようだが、そんな失礼な会社は委員会にいれないだろう。

そもそも、製作委員会を組成する段階では、幹事会社が「この原作を主演は○○○でやります脚本第一稿はこれです」と、企画の概要をほぼ固めている。固めているから、「うちも乗ります」となって出資するわけで、のっかっておいて「主演は△△△のほうがいい」なんて言うはずがない。委員会に参加する会社は、二次使用など映画展開の何らかのパートを確保するのが目的なので、中身にとやかく言う必要がそもそもないのだ。

もちろん製作委員会方式で揉めた例だってある。幹事会社のパワーが弱かったり、企画のコンセプトがゆるいと話がややこしくなることも出てくるだろう。また宣伝など映画の周辺領域では何かと揉めがちだったりはする。だが製作委員会方式ではなくどこかの単独出資だった場合も、会社の中で上司だの役員だの他のセクションだのが口出ししてきて良くない結果になる可能性だってあるのだ。

単独出資かどうかより、東宝自社製作がポイント

大高氏は、製作委員会方式だと企画の段階で安全パイに流れがちではないかと書いているが、単独出資のほうがリスクが高い分、臆病になる可能性もある。東宝のシンボルであるゴジラの新作だからリスクも負ったしそもそもゴジラシリーズはずっと単独出資でやってきているので、自然と今回もそうなっただけだ。もし東宝が過去にゴジラをやっていなかったとしたら、怪獣映画に単独出資なんかしなかっただろう。

『シン・ゴジラ』が東宝単独出資で冒険できたからと言って、単独出資なら東宝がまた冒険できるかはわからない。他の会社も、単独出資だと冒険できるとは言えない。むしろ、委員会方式でリスクヘッジするから過激なこともできるとも言える。単独出資と作品の野心度はほとんど関係がないと思う。

大高氏は、いま無難な企画が多いことを憂えているのだと思うが、委員会方式のせいではない。言うとしたら、いま東宝の自社製作作品は野心的だ。『バクマン。』や『アイアムアヒーロー』もそうだったし、公開されたばかりの『君の名は。』もヒットしそうだが、これらは委員会方式だ。

東宝単独出資でプラスだったのは予算管理

東宝の100%出資で作品にプラスに働いたのは、中身への口出しとは別のところにある。

私は、『シン・ゴジラ』の東宝の責任者である市川南氏にインタビューし、Yahoo!で記事として出した。

東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか~東宝 取締役映画調整部長・市川南氏インタビュー~

この記事は一般向けに短く編集したもので、ロングバージョンも私が発行するWEBマガジンに掲載しているのだが、その中で市川氏がこんなことを言っていた。

調整部は製作費を決める立場で、東宝映画は製作費を守らなきゃいけない立場で、私はその両方やってるんで、ずるいのかもしれません。『シン・ゴジラ』も何億でおさめてくれと普通は言うところを、いやもっとかかるけど、それはしかたないなと言えたわけです。

それで『シン・ゴジラ』はトクしました。具体的には言えませんけど、10億と言わずかかっていて、当初より増えた予算が、別の映画一本分くらいの金額になっています。もちろん会社にちゃんと言いますけど私の裁量で無理も利いて、そこがクオリティにプラスに影響したかもしれません。

予算を大きくはみ出したが、予算を決める映画調整部長と制作を請け負う子会社・東宝映画の社長を市川氏が兼任しているので、自分の裁量で予算を上乗せした、ということだ。言っておくと日本映画で10億は破格だ。そこに映画一本分予算を足したのだから十数億円の製作費ということだ。通常ありえない額だ。

製作委員会でやっていたら、大問題になっていただろう。数億円を誰がどう引き受けるのか。出資比率も変わってしまうし大揉めになったかもしれない。だが単独出資だから、そして自社製作だから、通った話だ。委員会方式じゃなくて良かった点はここに尽きると思う。

製作委員会方式の問題は作り手への還元

では製作委員会方式にまったく問題がないかと言えば、そんなことはない。日本の映画の作り方はひとことで言うと「会社主導」だ。製作委員会も会社単位だし、作り手は実はそこにあまり参加できない。

ハリウッドではスピルバーグやジェームズ・キャメロンのような優秀な監督がプロデューサーに回ったりする。作り手個人や作り手の制作会社に大きなリターンがあるからだ。それによって「映画ビジネス」に作り手が参加する。日本の委員会の解釈は、リターンは出資比率に応じて配給会社やテレビ局などの「会社」が得るものだ。出資比率とは無関係にいいものを作った個人にお金で報いる文化がない。日本の監督や脚本家はずーっと職人で、ビジネス側に立てない。彼ら自身もそういうスタンスを持とうとしない。

それが新陳代謝を阻害していると私は思う。ハリウッドのように次々に新しい作り手が登場し、ビジネスでも立場を得るような循環ができないのだ。

市場が狭いのがそもそもの問題

これを変えるには、市場規模を増やすしかないと思う。日本でハリウッド的にできないのは、文化的な問題もあるがそれができる余裕がないことが大きい。

日本映画製作者連盟の統計数値より筆者作成
日本映画製作者連盟の統計数値より筆者作成

この図は、日本の映画興行収入を2001年以降分だけグラフにしたものだ。緑が市場全体で不思議と2000億円前後を行き来している。赤い線が洋画、青い線が日本映画。2000年代半ばに洋邦が逆転している。日本映画のほうが日本国内では稼げるようになったのだ。

ところが2012年以降、洋画が着実に伸びている。日本映画は停滞中だ。

これは、ハリウッドが大作シリーズを定番化したり、『アナ雪』の大ヒットでディズニーが伸びているからだ。一方、日本映画はテレビ局主導で稼げるようになったのが、テレビ放送が勢いを失い、映画への余裕が損なわれつつある。

東宝が自社製作に力を入れる理由も、ひとつにはテレビ局を頼る一方だった方針を変更する時がきたせいだろう。

さらに世界の映画市場を見てみると恐ろしくなる。

Motion Picture Association of Americaより
Motion Picture Association of Americaより

これは主要な国の映画市場のグラフだ。青い線が北米、黄色が日本市場、オレンジがフランス。そして緑が中国だ。彼の国は日本を抜き去るどころか、2018年には北米市場を追い越すと言われている。世界第二の映画市場だった日本は蚊帳の外になりつつある。

人口が今後急減する日本が映画で稼げるようになるには海外を見据えたいところだが、中国の勢いを見ると萎えそうになる。

この先についてはまた別の稿で書きたい。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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