Yahoo!ニュース

ロビン・ウィリアムズが死去。世界中を笑わせてくれた愛すべきコメディアン

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト

ロビン・ウィリアムズが亡くなった。63歳だった。西海岸時間11日(月)正午ごろ、北カリフォルニア州ティブロンの自宅で発見されたもの。前夜10時ごろには、自宅にいるところを目撃されている。窒息死で、自殺の可能性が濃厚だという。パブリシストによると、ウィリアムズは、最近、鬱に悩まされていたらしい。

ウィリアムズは、年末に北米公開予定の「ナイト・ミュージアム3」を撮り終えたところで、つい最近は、「ミセス・ダウト2」をクリス・コロンバス監督と撮る企画が発表されたばかりだった。

そういった華やかなプロジェクトがニュースをにぎわせる一方、先月は、ミネソタ州の依存症更生施設に自主的に入所している。再び依存症に陥ったからではなく、今後も薬物やアルコールに頼らない状態を維持するために決意したとのことで、パブリシストは当時、「立て続けに仕事をした後、やっとできたこの時間を、ロビンは、昔決意したことを実行し続けるための努力に使おうとしています。彼はそのことを非常に誇りに思っています」と語った。ウィリアムズは80年代にコカインとアルコールの依存症に悩まされたが、更正し、その後20年間、これらとはいっさい無縁で過ごしてきた。友人のジョン・ベルーシが、82年に薬物の過剰摂取で突然死したことも、更正を決意する大きなきっかけになったと認めている。しかし、誘惑に負け、2006年には再び更生施設に入所している。

ウィリアムズは1951年7月21日、イリノイ州シカゴ生まれ。父はフォードの重役、母はモデル。大活躍した政治家を祖先にもつこともあり、政治を勉強することも考えたが、名門ジュリアード音楽院に合格し、演劇を学ぶ。在学中に、後に「スーパーマン」に主演することになるクリストファー・リーヴと親交を深め、リーヴの死後も、リーヴの息子の後見人を務めた。

ウィリアムズに最初のブレイクを与えたのは、70年代のテレビ番組「Happy Days。」エイリアンとして出演した彼があまりに好評で、彼を主役にすえるスピンオフ番組「Mork & Mindy」が生まれることになる。映画デビューは、1980年の「ポパイ。」その後、「レナードの朝」(90、)「フック」(91、)「ミセス・ダウト」(93、)など、数々のヒット作に出演。「グッドモーニング、べトナム」(87、)「いまを生きる」(89、)「フィッシャー・キング」(91)でオスカーにノミネートされ、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(97)で助演男優賞を受賞。ゴールデン・グローブは功労賞を含め6回、俳優組合賞(SAG)は2回受賞している。

コメディアンとして世界中から圧倒的な支持を得たが、2002年ごろからは、クリストファー・ノーランの「インソムニア」や、インディーズ映画「ストーカー」など、暗く、シリアスな役に強い情熱を見せ始めた。最近の作品に、オスカー候補作「大統領の執事の涙」や、コメディ「グリフィン家のウエディングノート」がある。昨年は、テレビの新番組「Crazy One 」に主演したが、視聴率はぱっとせず、1シーズンで終わった。

映画、テレビのほか、スタンドアップやオフブロードウェイでも活躍。また、ビデオゲーム好きで、ニンテンドーのコマーシャルにも出演している。娘ゼルダの名前は、ゲーム「ゼルダの伝説」に由来するそうだ。自転車も大好きで、50台の自転車を所有し、ランス・アームストロングと深い親交を保っていた。慈善活動にも積極的に貢献している。

最初の妻とは78年に結婚。男の子ザックをもうけるが、ウィリアムズの不倫が原因で離婚。89年に息子のナニー(子育て係)と結婚し、女の子ゼルダと男の子コーディをもうけたが、08年に離婚した。3人目の妻シュナイダーとは、2011年10月に結婚している。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事