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ブランジェリーナ離婚:セレブたちの親権争い騒動を振り返る

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが、親権をめぐる一時的な条件に合意したようだ。米メディアが伝えるところによると、提案された条件を作成したのは、家庭児童福祉機関(DCFS)。この合意のもとでは、10月20日まで、ジョリーが6人の子供の親権を持つことになる。ピットが子供たちに会いに来ることは許されるが、最初の訪問にはセラピストが同伴し、今後の訪問にも同伴が必要か不要かは、そのセラピストが判断する。また、ピット、ジョリーがそれぞれに個別カウンセリングを受け、それとは別に、子供たちも含めて全員で家族カウンセリングを受けることも、条件に含まれている。

裁判で争い、公の前で醜いバトルを展開することになるのを避けるべく、ふたりはスムーズにこの臨時の条件に合意したのだろう。しかし、だからといってこの先もすんなり行くとは限らない。親権争いは、何年にも及んだり、しばらくたってからまた蒸し返したりすることもあるのだ。セレブたちが引き起こした親権をめぐる騒動を、いくつか振り返ってみる。

アレック・ボールドウィンとキム・ベイシンガー

ボールドウィンとベイシンガーが9年の結婚を経て2002年に破局した時、ひとり娘アイルランドは7歳だった。アイルランドはベイシンガーが育てることになり、ボールドウィンは、月一度の訪問と、決められた時間に電話をかけることが許される。しかし、ボールドウィンは、ベイシンガーは精神的に不安定で、母親としての責任をきちんと果たせないと指摘。一方、ベイシンガーはボールドウィンが怒りを抑制できないと主張し、裁判所を巻き込んで、ふたりの争いは長々と続いた。

そして2007年、ボールドウィンがアイルランドの留守番電話に残したメッセージがネットに流出する。そのメッセージで、彼は、当時11歳だった自分の娘をブタ呼ばわりしていた。ボールドウィンは、音声を流出したベイシンガーを責め立てたが、ベイシンガーは自分はやっていないと否定。新しい妻を得て、幸せを取り戻したボールドウィンは、「Vanity Fair」のインタビューで、「あの頃は、キムの弁護士を野球のバットで殴り殺してやりたいと本気で思った」「(留守電の音声を独占ニュースとして流したTMZ.comの創設者)ハーヴェイ・レヴィーンをナイフで突き刺し、自分の目を見ながら息を引き取っていくのを見届けてやれたらどんなにいいかと願った」と、当時について語っている。ふたりが親権争いに費やした弁護士代は、合わせて300万ドル(約3億円)にのぼると言われている。

マドンナとガイ・リッチー

イギリスの映画監督リッチーは、マドンナの二番目の夫(最初の夫はショーン・ペン)。ふたりは2000年に結婚し、2008年に離婚した。ふたりの間には、98年に長男ロッコが生まれており、2006年にはマラウィから養子を取って、デビッドと名付けている(マドンナはリッチーと出会う前にシングルマザーとして長女ローデスを生んでおり、離婚後、マラウィからもうひとり、マーシーを養女に迎え入れている)。

離婚後、上の3人の子供たちは、マドンナの住むニューヨークと、リッチーの住むロンドンを行き来する生活を送ることになった。しかし、昨年12月、マドンナのツアーに着いてロンドンに来たロッコ(15)は、母と一緒にニューヨークに戻るのを拒否し、ロンドンで父と一緒に住みたいと言い出す。ロッコがそう望むのは、食事や、その他すべての細かいことに厳しい自分と違い、リッチーが、ハンバーガーや炭酸飲料も許すなど甘やかすからだとマドンナは責め立て、ロッコを返さないリッチーは逮捕されるべきだと主張した。この件は、ロンドンとニューヨーク、両方で裁判沙汰になるが、ニューヨークの裁判長は、子供のために表沙汰にせず、ふたりの間で解決するよう命令。最近、争いは決着し、ロッコは現在、ロンドンで学校に通っている。

ハル・ベリーとガブリエル・オーブリー

2006年にカナダ人モデルのオーブリーと出会ったベリーは、2008年、彼との間に長女ナーラを授かる。しかし、その2年後、ふたりは破局。結婚という形は取っていなかったが、ナーラの父親であるオーブリーは裁判所に共同親権を求め、そこから長い争いが始まることになる。

破局後まもなく、次の恋人オリヴィエ・マルティネスと婚約したベリーは、ナーラを連れてパリに移住することを望むが、裁判所は、オーブリーが娘を訪問することが困難になることを理由に、ベリーの要求を却下。ベリーとマルティネスは、アメリカに住むことを余儀なくされた。裁判は、2014年5月末になって、ようやく決着。判決で、ナーラの親権はベリーとオーブリー半々となった。さらに、裁判所は、オーブリーよりずっと収入の多いベリーに、オーブリーに対して、月1万6,000ドル(約160万円)の養育費を払うよう命じている。ナーラが私立学校に通う学費は全額ベリーの負担で、親権争いにかかったオーブリーの弁護士代も、ベリーが払わなければいけなくなった。

ナーラの親権問題が解決する前年、ベリーとマルティネスは結婚し、長男をもうけている。昨年10月、ベリーはマルティネスに離婚を申請したが、1年近くたつ今も、離婚条件の話し合いを先に進める気配はない。ナーラをめぐる複雑で醜い親権争いを体験したばかりのベリーも、それを目の当たりにしてきたマルティネスも、同じことを息子のために繰り返すのを躊躇しているのではないかと思われている。

ケリー・ラザフォードとダニエル・ギエルシュ

「ゴシップガール」のママ役で知られるラザフォードと、ドイツ人のビジネスマン、ギエルシュの親権争いは、L.A.、ニューヨーク、モナコの裁判所を巻き込む、海を越えた、複雑なものとなった。ラザフォードとギエルシュは2006年にL.A.で結婚し、2008年に別居、2010年に離婚した。息子エルメスと娘ヘレナは、いずれもアメリカで生まれ、アメリカ国籍を所有している。しかし、2012年、ギエルシュがアメリカでの就労ビザを取り上げられたことで、L.A.の裁判所は、ギエルシュがビザの問題を解決する間、ふたりの子供をモナコに連れて行って一緒に住むことを認めた。当時、裁判所は、ギエルシュもラザフォードもすばらしい親だと言っているが、ビザがないギエルシュがアメリカを訪ねるよりも、ラザフォードがヨーロッパを訪れるほうが障害が少ないとして、この判断を下した模様だ。

この時、裁判所は、ギエルシュに、新しいビザを取ってアメリカに戻ってくる努力をするよう要請し、もしも2014年1月10日までに、ビザ申請をした事実が見られなければ、子供たちはニューヨークにいるラザフォードの元に返されるとしている。しかし、この時までに、すでに4年も離婚や親権争いの弁護士代を払ってきたラザフォードは、経済的に苦しくなっており、弁護士にしっかり任せることができず、この締め切りまでに彼の努力の様子を調査することを怠ってしまった。締め切りを過ぎたことで、彼女は調査の権利を失い、2014年、ギエルシュは、この親権裁判を管轄するモナコで、単独親権を申請する。

管轄がモナコにあるとしたのは、2012年のL.A.の裁判所の判断だが、これに納得がいかないラザフォードは、昨年8月、夏休みでニューヨークを訪ねてきていた子供たちをモナコに返さないという、大胆で危険な行動に出た。ラザフォードは、その動機について、「彼らはアメリカの子供。アメリカの国民として守られるべき。L.A.とニューヨークの裁判所が管轄外と言うからといって、素直に飛行機に乗せたくなかった」と語っている。しかし、その行動が災いしてしまい、昨年末、モナコの裁判所はギエルシュに単独親権を与えた。ラザフォードがフランスとモナコまで子供たちに会いに来ることは許されるが、時期と期間は厳しく決められている。ラザフォードがアメリカで子供たちに会うことは、今や、不可能となった。

ブリトニー・スピアーズとケビン・フェダーライン

ブリトニー・スピアーズとバックアップダンサーのケビン・フェダーラインは、2004年に結婚。2005年に長男ショーン、2006年に次男ジェイデンが生まれる。しかし、次男誕生の2ヶ月後、スピアーズは離婚を申請。当初、親権はスピアーズに与えられるが、離婚が成立した2007年、スピアーズがアルコールとドラッグを多用し、親としての責任を果たしていないことを理由に、フェダーラインは単独親権を裁判所に要求する。スピアーズは、監視付きの訪問を認められるも、まもなくそれも失い、ふたりの息子の親権は、完全にフェダーラインに移った。

しかし、その後、スピアーズは生活を立て直し、2015年、ようやくフェダーラインとの共同親権を取り戻す。スピアーズは、今年8月、ニューアルバム「Glory」をリリース。ラスベガスでのショーも好調で延長が決まるなど、キャリア面でも、見事に復活を果たしている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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