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「マグニフィセント・セブン」フークア監督:「今、僕が映画を作っているのは黒澤明のおかげ」

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「マグニフィセント・セブン」のアントワーン・フークア監督(写真:REX FEATURES/アフロ)

黒澤明の大傑作「七人の侍」が、ハリウッドで再びリメイクされた。

タイトルの「マグニフィセント・セブン」は、1960年の「荒野の七人」の原題。今回もウエスタンで、監督は、「トレーニング デイ」「エンド・オブ・ホワイトハウス」「サウスポー」などで知られるアントワーン・フークア(51)だ。

「トレーニング デイ」でデンゼル・ワシントンをオスカー主演男優賞受賞に導いたフークアは、今作でも、主役にワシントンを起用した。ウエスタンの主役が黒人というのは新鮮だが、それだけでなく、残りの6人にも、韓国人のイ・ビョンホンや、メキシコ人のマヌエル・ガルシア=ルルフォ、ネイティブ・アメリカンの血を引くマーティン・センスマイヤーなどが含まれている。フークアに言わせると、それは意図的ではなく、「単におもしろい映画にしたかったから」だそうだ。

一番重視したのは、「黒澤のDNAをキープすることだった」というフークア。黒澤への敬意や、今作を手がけることになったきっかけについて語ってもらった。

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「七人の侍」を初めて見たのは、いつでしたか?

12歳か13歳の時だったと思うよ。当時、テレビで夜によく映画が放映されていて、それが終わったら、白黒の、まるで雪でも降っているような画面になり、それでもうその日の放送は終わりだった。昔はそうだったんだよ。ケーブルチャンネルなんか存在しなかった時代だ。モノクロの映画も普通に流していて、僕はそれを祖母と一緒に見たりしていた。ウエスタンもよく放映されていた。「荒野の七人」も、そんなふうに見たんだよ。「七人の侍」を見た時、僕はすごい衝撃を受けた。その頃の僕は、黒澤明が誰かなんて知らなかった。誰がこんな映画を作ったのか知りたくて、エンドロールを最後まで見たよ。あの映画は、世界への扉を開いてくれたんだ。黒澤がどんなふうにストーリーを構築し、最後のアクションシーンをデザインしたのかに、僕は感激したものだ。僕は貧しい育ちで、周囲にはいつもいじめがあったし、ギャングの暴力もあった。あの映画で、意地悪な奴が人々から米をぶんどっていくのを見た時、これは僕の知っている世界だと思った。僕は電気工学を学ぶために大学に行ったんだが、芸術の授業も取っている。そこでいろんな画家について学んだんだが、ある時、黒澤の絵コンテが出てきたんだよ。なんだか僕は黒澤につきまとわれているように感じ、「乱」や、彼のほかの作品を見るようになった。そういうことがあって、僕は本気で映画監督になろうと思ったんだよ。僕が今、映画を作っているのは、黒澤のおかげなんだ。

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あなたの愛したその名作を、今また作る理由は?

映画は、時代に影響を受けるものだ。黒澤の映画が古典になったのは、あの話のDNAが、今もまだ通じるから。一般人の良い人たちが、偉い奴と戦わないといけないという話。それが黒澤の語った話だった。「荒野の七人」も同じで、そこにあるのは、人はいつ、自分を犠牲にしてまで、もっと大きな正義のために尽くすのかという問いだ。つまり、いつの時代にも通じる話なんだよ。いつだって、その問いは存在する。今日、この話は、これまでよりも、さらに時代に合っているように感じられるんじゃないかな。

「七人の侍」「荒野の七人」をリメイクする企画は、以前からずっとありましたよね。たとえば一時はチャン・ツィー主演で「七人の侍」をまた作るという話もありました。あなたはどんな形で今作に関わるようになったのでしょうか?

(『荒野の七人』の権利をもつ)MGMが持ちかけてきたんだよ。僕は彼らと「サウスポー」(2015)のためのミーティングを持ったことがあるんだ。結局、僕は、MGMではなく、ハーベイ・ワインスタインのもとで「サウスポー」を作ることになったんだけど、MGMは僕に、「君はウエスタンが好きかい?『荒野の七人』は好き?」と聞いてきた。それで、とりあえず脚本を読ませてもらうことにしたら、すごく良い脚本だったんだ。黒澤のDNAをしっかりとキープした脚本だった。もともと、たぶん自分はこれをやらないだろうなと思って読み始めたのに、彼らと話し合いをもつ頃には、これをどう料理しようか、主役はデンゼルがいいな、などと考えていたんだよ。彼らが同意してくれると、僕はすぐニューヨークに飛んでデンゼルに会った。そしてデンゼルはやると言ってくれた。そんなふうに進んでいったんだ。

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彼以外にも、今作には多様な人種の俳優が出演します。これは、白人に偏りすぎていると批判を受けている現代のハリウッドに、メッセージを送るものでしょうか?

いや、それは、意識していなかった。それを考えるのはジャーナリストや批評家のみなさんだよね。僕は、どうすればおもしろい映画になるかと考えただけ。みんな白人じゃ、だめだ。僕はデンゼルが馬に乗るのを見たいと思った。ほかのキャストに関しても同じだよ。僕はデンゼルとイーサン(・ホーク)がまた共演するのを見たかった。ヴィンセント(・ドノフォリオ)は、俳優として大好きだ。彼がイタリア系ということは、考えなかった。イ・ビョンホンのことは、「甘い人生」で初めて見て、すごく良い俳優だと思っていた。今の時代に合わせたクールな映画にしようとは全然思っていなかったが、このキャスティングが、自然な形で、独自の美学を生んでくれたかもしれないとは思う。

今作のサウンドトラックは、2015年に亡くなったジェームズ・ホーナーが書いています。彼が今作のサウンドトラックを完成させてくれたのは、あなたにとっても驚きだったということですが。

ジェームズがいなかったら、この映画はたぶん実現しなかったんだよ。僕はその頃、「サウスポー」を作っていた。「マグニフィセント・セブン」は、大勢のキャストが関わる大規模な映画。スケジュールやお金の問題に悩まされる中、僕はもうこれをあきらめようと思っていたんだ。ジェームズは、「サウスポー」のサウンドトラックも書いてくれていたので、僕はそのために彼の家を訪ねた。「『マグニフィセント・セブン』のほうはどうなっているんだい?」と聞かれて、僕が不満をぶちまけると、彼は、このあたり(L.A.郊外の閑静な街カラバサス)では、かつてウエスタンが撮影されたのだと教えてくれた。そして彼は、「アントワーンとデンゼル、『荒野の七人』、黒澤。君は、これを作らなきゃいけない」と言ったんだ。そして、曲を書いてくれるとも。「君のギャラを払うだけのお金が集まらないかもしれないんだよ」と言っても、「心配ない」と言う。要するに、彼は、ぶつぶつ言わずにやれと言ったわけさ。

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それで僕は、ジェームズの家を出た後、MGMに、「なんとかやれる方法を考え出します。だから、月曜日にはゴーサインを出してください」と電話をしたんだ。その電話が金曜日だったので、それから僕はいろいろなところに電話をし、切り捨てられるものを切り捨て、やらなきゃいけないことをすべてやった。そして月曜日にゴーサインをもらったのさ。その後、ジェームズが亡くなった。だけど、製作中、彼のマネージャーから、「ジェームズからあなたへのプレゼントがありますので、持っていきます」と電話がかかってきてね。彼は世界中のおもちゃをコレクションしていたので、そのうちのひとつをくれるのかなと、僕は思った。なぜなら、僕は前に、彼の家に行って、床に座らせてもらって、あれらのおもちゃを眺めさせてもらえないだろうかとお願いをしていたから。だが、マネージャーは、「ジェームズは、あなたのために曲を書きました」と言う。「ジェームズが僕のために曲を書いたって、どういうこと?どうすればそんなことができるんだ?彼は映像も見ていないんだよ」と僕は言った。彼は、「ジェームズは脚本を読んで、曲を書き始めたんですよ。あなたを驚かせたかったんです」と言い、曲をかけてくれた。7曲だ。7曲あった。7つの、最高の曲だった。ジェームズは、僕が人生で出会った中で、最高のアーティスト。優しくて、良き父親で、素敵な友人。本当にすばらしい人だったよ。

「マグニフィセント・セブン」は27日(金)全国公開。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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