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オスカー候補作、新聞に反トランプ意見広告を掲載。緊迫する政治情勢は受賞結果にも影響を与えるか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「L.A.TIMES」に掲載されたオスカー候補作「LION/ライオン〜」の広告

アカデミー賞まで、2週間半。毎年、この時期になると、L.Aでは、投票者に「あなたの一票を」と呼びかける映画の看板が目立つようになり、新聞や業界サイトも、その手の広告で埋め尽くされる。

だが、今朝の「L.A.TIMES」に掲載された「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」の半ページ広告は、違っていた。広告に出ているのは、映画の中で幼い頃の主人公を演じるインド人の男の子。その写真の上には、「優秀な8歳の俳優サニー・パワー君が初めてアメリカに来られるよう、ビザの手配をするのはとても大変でした。来年、それはもう無理なことになっているかもしれません」という文章がある。映画のタイトルの下にあるコピーは、「自分がどこから来たのか、忘れないで」。オスカーキャンペーンの広告に必ずある「オスカーに△部門でノミネート」「△△映画祭でXX賞受賞」といったような映画の評価をうたうものも、「あなたの一票を」も、いっさいない。

ハリウッドは、選挙期間中から、一丸となって反トランプの姿勢を貫いてきた。しかし、就任するやいなや大統領令を連発し、強引かつ急速にアメリカをまるで違う国に変えていこうとしている今、トランプに対する敵意と危機感は、頂点に達しつつある。アカデミーや脚本家組合(WGA)は、難民とイスラム教徒が多数を占める7カ国からの入国を禁止する大統領令に反対する声明を発表。大手タレントエージェンシーUTAは、抗議の表明として、毎年恒例のオスカーパーティを中止し、25万ドルをアメリカ自由人権協会(ACLU)と国際救済委員会(IRC) に寄付すると宣言した。UTAはまた、オスカーの2日前に抗議集会を行うとも発表している。

現地時間26日のアカデミー賞授賞式が政治色を強く打ち出したものになることは、もはや免れない。気になるのは、この情勢が、投票者の心理にどこまで影響を与えるのかだ。投票の受付開始は13日、締め切りは21日。つまり、まだ誰も投票をしておらず、考える時間は、10日以上あるのである。

恋愛ミュージカル「ラ・ラ・ランド」は圧倒的リードを保ち続けられるか

影響を受ける可能性が最もありそうなのは、外国語映画部門。「セールスマン」のイラン人監督アスガー・ファルハディは、トランプが入国禁止令を出したのを受けて、ボイコットを宣言した。ファルハディは「別離」(2011)でもオスカーを受賞した尊敬されるフィルムメーカーだけに、票を通じて彼を支持したいと思う人がいても、おかしくはないだろう。この部門では、ドイツの「Toni Erdman」も評価が高く、事実上引退していたジャック・ニコルソンがハリウッドリメイク版への主演に同意したほどなのだが、コメディであることが今の情勢においては不利に働くかもしれない。

同じことが作品部門にも言えるかどうかとなると、微妙だ。

現状、ダントツのフロントランナーは、史上最高の14部門で候補入りした(『イヴの総て』『タイタニック』とタイ)「ラ・ラ・ランド」だ。ほとんどの年においてオスカー作品部門と結果が一致するプロデューサー組合(PGA)賞も受賞した時点で、勝負は決まったと思われた。

だが、今作は恋愛ミュージカル。一方、賞レース中盤戦までは接戦だったライバルの「ムーンライト」は、人種、LGBT、アメリカの貧困層という、社会的かつ時事的な問題に触れるものである。それを言うのならば、先月末の映画俳優組合(SAG)賞で「ムーンライト」を蹴落としてアンサンブル賞に輝いた「Hidden Figures」も、60年代、黒人女性たちが職場で差別を体験しながらも偉大な業務を達成してみせたという、ポジティブかつ考えさせる実話だ(『ラ・ラ・ランド』は、SAGのアンサンブル部門にはノミネートされていない)。そして、先の「LION/ライオン〜」では、インドで迷子になってしまった少年が、オーストラリアの白人夫妻に養子として引き取られ、愛を受けて育つ様子が描かれる。

反トランプ広告の裏には戦略的意図も?

今朝の「L.A.TIMES」の「LION/ライオン〜」広告が、人種差別的なトランプの政策に抗議する目的で掲載されたことは明らかだが、その奥には、この映画がもつメッセージを思い出してもらいたいという戦略的な気持ちも、多少はあったのではと思われる。昨年も、「スポットライト/世紀のスクープ」が、“聖職者による性的虐待の犠牲者に声を持たせる、意義のある映画”というキャンペーンテーマを打ち出して、見事に受賞した。(ライバルだった『マネー・ショート 華麗なる大逆転』も、オスカー間近になって、TVスポットを、リーマンショックの深刻さを語るシリアスなものに作り変え、意義ある映画だという部分を強調している)。しかし、「LION/ライオン〜」「Hidden Figures」は、監督部門の候補入りを逃しており、受賞はやはり厳しいだろう(監督部門に候補入りしなかった映画が作品賞を取ったケースは、過去に3回しかない)。政治情勢の後押しを受けて「ラ・ラ・ランド」に対抗できるとすれば、「ムーンライト」である。

今のところ、筆者はまだ「ラ・ラ・ランド」が受賞すると予測している。「ラ・ラ・ランド」のリードぶりは近年にないほど圧倒的で、覆すのは容易ではないと思われるからだ。また、暗い時代だからこそ、ひとときのエスケープを与えてくれる今作の魅力が際立つとも言える。とは言っても、これからの10日間、トランプが、またどんなとんでもないことをやらかすか、わからない。当のトランプにとって、オスカーなど、まったくもってどうでもいいこと。そんな奴に自分たちの大切な祭典を引っ掻き回されたのだとしたら、これまた、なんとも皮肉なことである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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