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「ラ・ラ・ランド」主演女優は別のエマのはずだった。ハリウッドに数ある「その役、私のだったのに」

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今月末のオスカーで主演女優賞受賞確実と言われているエマ・ストーン(写真:REX FEATURES/アフロ)

オスカーまで、あと1週間。最多部門でノミネートされているミュージカル「ラ・ラ・ランド」の圧勝が予測されてはいるが、トランプの影響でハリウッドがきわめて政治的になっている中、ほかもあきらめていない。今朝の「L.A.TIMES」紙には、同紙の映画批評家ジャスティン・チャンによる「オスカーは『ムーンライト』が獲るべきだ」という、長く、説得力のあるコラムが掲載された。一方、「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」も、毎日のように、トランプが移民と難民を差別する今だからこそ、この映画は重要なのだと強調するキャンペーン広告を掲載している。

しかし、主演女優賞が「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンで決まりということに関しては、疑いの余地がない。彼女はこれまでに、映画俳優組合(SAG)賞、英国アカデミー賞など、重要な賞を総なめしてきている。おもしろいことに、この役はもともと、別のエマが演じるはずだった。お相手役も、別の人である。

「ラ・ラ・ランド」は、デイミアン・チャゼル監督が、「セッション」(2014)より前から構想を抱いていた情熱のプロジェクト。無名の若手監督が、当てるのが難しいとされるオリジナルミュージカルを作りたいと言っても、お金を集めるのは至難の技で、チャゼルは、自分に映画が監督できるということを証明するために、まず「セッション」を作っている。そして「セッション」に主演したマイルズ・テラーに、「ラ・ラ・ランド」のセバスチャン役もオファーした。相手役ミアに決まったのは、エマ・ワトソンだ。

しかし、資金集めは難航し、撮影スタートの目処が立たないうち、多忙なワトソンは降板してしまった。辛抱強く待っていたテラーも、いつまでもほかの映画を蹴り続けるわけにはいかず降板。その後にもいくつかの組み合わせが決まっては崩れたが、ストーンとライアン・ゴズリングが揃った時に、ちょうど資金も調達できたというわけだ。

もしかしたらオスカーを手にしていたのは私だったかもとワトソンが考えているかどうかは、わからない。だが、若いが業界のベテランであり、頭の良いワトソンは、それを言ったらきりがないとも知っているはずだ(それに、ワトソンは、来月北米公開の『美女と野獣』でミュージカルに挑戦している)。ハリウッドで“椅子取りゲーム”は日常茶飯事。誰かが降板して回ってきた役のおかげでオスカーをもらえることもあれば、逆に完成作がどうしようもない駄作になってしまい、後悔することもある。映画の出来はさておき、恋人との出会いにつながることもあったりする。

過去の例を、いくつか挙げてみよう。

「ラ・ラ・ランド」(Photo/Dale Robinette )
「ラ・ラ・ランド」(Photo/Dale Robinette )

「愛を読むひと」:ケイト・ウィンスレットの役は、一時、ニコール・キッドマンだった

オスカー候補入り6度目にして初の受賞をウィンスレットにもたらした「愛を読むひと」(2008)の主演に、スティーブン・ダルドリー監督は、最初から彼女を希望していた。だが、ウィンスレットのスケジュールが合わず、ダルドリーはキッドマンに主演をオファーする。キッドマンがバズ・ラーマン監督の「オーストラリア」の撮影を終えるのを待つべく、撮影はしばらく延期されるが、今度はキッドマンが妊娠。その頃にはウィンスレットのスケジュールが空いており、役は再びウィンスレットに戻った。

「Mr. & Mrs.スミス」:アンジェリーナ・ジョリーの役はニコール・キッドマンだった

売れっ子キッドマンは、その前にも、別の映画のためにオファーされた役をあきらめることになっている。「Mr. & Mrs.スミス」(2005)で、ブラッド・ピットのお相手役に決まっていたのは、彼女。しかし「ステップフォード・ワイフ」(2004)の撮影が予定どおりに終わらず降板。それを受けてピットも降板しかかったのだが、代わりにジョリーが決まった。すべてが予定どおりに進んでいたら、ブランジェリーナの誕生は、なかったかもしれない。

このペアリングはそれ以前にも相当に難航しており、ジョニー・デップ、ウィル・スミス、ケイト・ブランシェット、キャサリン・ゼタ=ジョーンズなどの名前が浮上しては消えていた。

「Gigli(日本未公開)」:ジェニファー・ロペスの役はハル・ベリーだった

一方、こちらはベニファーを誕生させた映画だ。ベン・アフレックが主演する犯罪コメディ「Gigli(日本未公開)」で、彼の恋のお相手は、最初、ベリーに決まっていた。ベリーの降板を受けてオファーを受けたのがロペスである。この時、ロペスは2番目の夫クリス・ジャッドと結婚していたが、離婚。交際を公にしたアフレックとロペスは、高級車や高級ジュエリーをプレゼントし合うなど、贅沢カップルぶりを見せつけて、世間の反感を買った。そのネガティブな宣伝効果もあってか、映画は大コケ。ひどい映画に送られるラジー賞も総なめし、ここからアフレックのキャリアの低迷が始まった。すっかり落ち目になっていたアフレックが監督兼主演の「アルゴ」でオスカーを受賞し、華やかにカムバックしたのは、それから丸10年後のことである。

「恋におちたシェイクスピア」:グウィネス・パルトロウの役の話はウィノナ・ライダーに来ていた

パルトロウをオスカー主演女優賞に導いた「恋におちたシェイクスピア」(1998)のプロデューサーは、当初、この役に彼女を考えていなかった。パルトロウは、友人ライダーのオフィスでこの脚本を発見し、ライダーに内緒で自分を売り込み、役を獲得している。この役に興味をもっていたライダーはそのことに腹を立て、ふたりの友情は終わったと報道されている。

「グッド・シェパード」:マット・デイモンの役はレオナルド・ディカプリオだった

ロバート・デ・ニーロは、監督作「グッド・シェパード」(2006)の実現に約10年を費やしている。主演には、「ボーイズ・ライフ」(1993)でデ・ニーロと共演して以来、彼のことをずっと尊敬してきたディカプリオが、早くから名乗りを上げていた。だが、ようやく実現に至った時、ディカプリオは、デ・ニーロの旧友であるマーティン・スコセッシの「ディパーテッド」(2006)に主演するところだった。ようやく訪れた実現の機会を逃したくないと思ったデ・ニーロは、デイモンに役をオファーする。デイモンは「ディパーテッド」にも出演しているが、そちらは主演ではなかったこともあり、スケジュールの調整がついたようである。

「あの頃ペニー・レインと」:ケイト・ハドソンの役はサラ・ポーリーだった

キャメロン・クロウ監督の「あの頃ペニー・レインと」(2000)で、当初、ハドソンは、アニタの役(完成作ではゾーイ・デシャネルが演じている)に決まっていた。だが、ポーリーがペニー・レイン役を降板した時、その重要な役は、ハドソンに回ってくる。自分の顔がポスターにもなったこの映画でハドソンは大ブレイクし、オスカーにも助演女優部門でノミネートされた。

「アイアンマン2」:スカーレット・ヨハンソンの役はエミリー・ブラントにオファーされていた

「アイアンマン2」(2010)のジョン・ファヴロー監督がブラック・ウィドー役の第一候補に挙げたのは、ブラントだった。だが、「ガリバー旅行記」(2010)と撮影時期が重なるため、ブラントは泣く泣く断り、代わりにヨハンソンが決まっている。ブラントとしては「アイアンマン2」を取りたかったのだろうが、「プラダを着た悪魔」(2006)を製作配給したフォックスと複数にわたる出演契約を結んでいたため、「ガリバー旅行記」を優先せざるを得なかった。メジャースタジオが若手の俳優を出演させるにあたってこのような契約を結ばせることはよくあり、たとえばエドワード・ノートンも、パラマウントとの契約のせいで、本当は出たくなかった「ミニミニ大作戦」(2003)に、しぶしぶ出るはめになっている。

「ラブリーボーン」:マーク・ウォルバーグの役はライアン・ゴズリングだった

ピーター・ジャクソン監督の「ラブリーボーン」(2009)で、愛する娘を殺された父の役をオファーされたのは、当時26歳だったゴズリング。ゴズリングは体重を増やし、ひげを伸ばすなど、役のための準備を進めるが、30代後半という設定のこの役は、やはり自分に無理だと感じるようになる。ジャクソンは、特殊メイクなどを工夫すると言って説得したがかなわず、撮影開始直前になってゴズリングは降板、代わりにウォルバーグが決まった。ウォルバーグは、「ラブリーボーン」と同じくペンシルベニアでロケを行った「ハプニング」(2008)の撮影をちょうど終えたところで、すぐに現場入りをしている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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