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ジェームズ・キャメロン:ビル・パクストンを、「この派手で俗っぽいオスカーの夜に思い出して」

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ジェームズ・キャメロンと故ビル・パクストンは36年来の親友だった(写真:REX FEATURES/アフロ)

ビル・パクストンの突然の死を受けて、多くの映画関係者がツイッターに追悼メッセージを投稿する中(61歳で急死したビル・パクストンに、ハリウッドが追悼)、彼と36年間も親しい関係にあったジェームズ・キャメロンが、声明を発表した。

キャメロンがパクストンと出会ったのは、ロジャー・コーマンが製作する1981年の「Galaxy of Terror (日本未公開)」。キャメロンは美術監督、コーマンは彼の下で働くスタッフだった。3年後、パクストンは、キャメロンの「ターミネーター」に小さな役で出演する。映画史上に残る大傑作だが、当時無名だったキャメロンは、この映画を、たった640万ドルで製作している。比較のために挙げると、評価の低かった2015年の「ターミネーター:新起動/ジェニシス」の予算は、1億5,500万ドルである(キャメロンは2作目までしか関わっていない)。

その後、パクストンは、キャメロンの「エイリアン2」、「トゥルーライズ」「タイタニック」「ジェームズ・キャメロンの タイタニックの秘密」にも出演した。長年の親友を亡くした悲しみを、キャメロンは、この真摯な手紙で告白。オスカーという華やかなイベントにハリウッドが大騒ぎする日であるだけに、「きちんと時間を割いて、彼がいかにすばらしい人だったかを思い出してほしい」と、人々にお願いしている。

以下がキャメロンの声明の全文。

この30分ほど、頭をくらくらさせながら、僕はこの事実を呑み込もうとしてきました。ビルがいなくなったなんて、まさに空っぽな気持ちです。ロジャー・コーマンの超低予算映画で36年前に出会って以来、ビルと僕はずっと親しい関係にありました。彼がその現場にやってきた時、僕は、彼にハケを渡し、壁を指差して、「あそこを塗るように!」と言ったのです。

僕らはすぐに、クリエイティブ面でお互いを刺激し合えることを発見し、友達になりました。それから36年間、一緒に映画を作り、お互いのプロジェクトの手助けをし、スキューバダイビングの旅に出て、お互いの子供たちが育っていく様子を目撃してきたのです。難破したタイタニックのために、一緒に潜ったりもしたのですよ。僕らは笑い、冒険をし、映画を愛し、お互いを尊敬していました。

思慮深く、誠意に満ちた温かい手紙を書く人でした。なんでもさっさとすませてしまう、このデジタル時代においては、時代錯誤とも言えるかもしれません。彼は、友情をとても大切にしました。常に他人に対して思いやりをもち、助けてあげようとしました。良い人間で、優れた俳優で、とてつもなくクリエイティブな人でした。この派手で俗っぽいオスカーの夜に、人々がきちんと時間を割いて、このすばらしい人物を思い出してくれることを願います。彼がスクリーンで我々を楽しませてくれたことだけでなく、人としてすばらしかったことも、思い出してほしいです。彼がいなくなって、世界は前より輝きを失いました。彼を、心から恋しく思います。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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