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「残業代ゼロ」を考える~ブラック企業撲滅どころか、ブラック企業に栄養を与える世紀の愚策

佐々木亮弁護士・日本労働弁護団幹事長

「残業代ゼロ」制度が提案される

5月28日、産業競争力会議の雇用・人材分科会(主査 長谷川閑史氏・武田薬品工業代表取締役)が、「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」という文書を公表し、その中で「3.新しい労働時間制度の考え方」を発表しています。これは、メディアでも取り上げられているいわゆる「残業代ゼロ」制度です。

原文(PDF)

報道もたくさんされています。

朝日新聞「残業代ゼロ」案修正へ 幹部候補に限定、年収は問わず

日本経済新聞 労働時間規制を緩和 高度専門職、働き方柔軟に

SnkeiBiz 労働規制見直し、対象議論 競争力会議 新制度導入へ提案

しんぶん赤旗 残業代ゼロ 導入方針 産業競争力会議 労働時間規制なくす

この案は、あまりにつっこみどころの多い提案なので、何から伝えればいいのか分からないまま時は流れるのですが、今回は超基本的なところから考えてみたいと思います。

残業代って、なんで出るの?

残業代ゼロを考えるにあたり、超基本的なことに立ち戻ってみましょう。

そもそも残業代って、なんで出るのでしょう??

まず、単純に考えてみます。

労働契約は、労働者が働いたことに対して使用者が賃金(=給料)を払うという契約です。

たとえば、日給制の労働者がいたとしましょう。

彼は、朝9時から午後6時まで働いて日給8000円、お昼休みは1時間という契約でした。つまり、彼の労働は1日8時間、したがって給料は1時間あたり1000円ということになります。

そんな彼がもし午後7時まで働いたとすると、契約よりも1時間多く働いたことになりますね。

その場合、当初の約束よりも1時間多く働いたので、使用者はその分のお金を払わなければなりません。

したがって、1時間分の給料である1000円を払う義務が使用者にはあるのです。

そこで、使用者は1000円を彼に払いましたとさ。めでたし、めでたし・・・。

とならず、話はここからが本番です。

1000円ではいけないのである

労働基準法では、原則として、1日8時間、週40時間を超える労働について、25%を割り増した給料を払うことを使用者に義務づけています。

さっきの彼の例で言えば、1000円でなくて、1250円を払わないといけないのです。

それだけではありません。夜10時から朝の5時までの間はさらに25%の割り増しが義務づけられています。

もし、さっきの彼が夜10時以降も働いていると、25%+25%で50%の割り増しとなり、時給換算1500円を支払う義務が使用者にあるのです。

単純な契約の論理で行けば1000円でよかったのに、なんでこんなに割り増して払わないといけないのでしょうか? 長く働いた労働者へのご褒美ですか?

いいえ、そうではありません。これは、使用者が労働者を長く働かせることを抑制するために、あえて高い給料に設定しているのです。

どんな人間でも、長時間働いたり、深夜まで働いたりすることが続けば、健康を害してしまいます。これは、なんの規制もなかった時代に、多くの労働者が亡くなったり、病に倒れたりした時代の経験則です。そして、労働組合や労働者たちの必死の運動で勝ち取ってきた規制でもあります。

そう、残業代を払わせることは、労働者の命と健康の問題なのです。

合意でも排除できない

ここで、「ちょっと待てよ。労働者と使用者が合意して、残業代ナシ契約を結んだらどうよ?」という悪知恵が浮かびませんか?

しかし、それもダメです。労働基準法の割増賃金についての規制は、労働者と使用者とで「僕たち、残業代ナシということで、このたび合意いたしました!」とやっても無駄なのです。

これは、使用者と労働者とでは、使用者の方が立場が強いことから(*)、その強い立場を利用して、自分の思うままの「合意」を作ることが可能であるという現実から出発したものです。労働時間の規制は、労働者の命と健康という重大な価値を守ろうとしているので、どんな合意をしたとしても法律の方が上回るようにしたのです。

*なぜ使用者が立場が強いかというと、お金を払う側だからです。逆に労働者はそのお金(=給料)で生活をしています。つまり、生活の源を使用者に握られているのが労働者なのです。ですから、放っておくと、使用者の方が強いのです。

産業競争力会議の案は?

さて、産業競争力会議の案は、どんなものでしょうか。

簡単に言うと、この案は、一定の労働者について、使用者と労働者が合意をすれば、残業代を一切払わないでもOKという内容です。

あれ?さっきの残業代の話って何だったの?っていうくらい、これまでの労働時間規制を根底から覆すものなのです。

対象となる労働者とは?

当然、対象となる労働者が誰なのか問題となりますが、原文から対象がどんな人か、抜き出してみましょう・・・。

「業務遂行、労働時間等を自己管理し成果を出せる能力のある労働者」

「中核的・専門的部門等の業務、一定の専門能力・実績がある人材、将来の幹部候補生や中核人材」

「職務内容と達成目標が明確で、一定の能力と経験を有する者」

「業務目標達成に向けて、業務遂行方法、労働時間・健康管理等について裁量度が高く、自律的に働く人材」

「各部門・業務においてイノベーティブな職務・職責を果たす中核・専門的人材」

「将来の経営・上級管理職候補等の人材」

・・・だそうです。

なんか誰が当てはまるのか分からないような感じに書いていますが、こういうのが一番危険です。「能力」「実績」「幹部候補生」「経験」「裁量度」「自律的」「イノベーティブ」「中核・専門的」など、抽象的な言葉、考えようによってはどうにでもできる言葉をたくさん並べています。

こんなのでは対象の限定はあってないようなものと言ってよいでしょう。

労使の合意が必要としているものの・・・

また、「労働条件は労使合意内容を労基署届出」、「本人の希望・選択で出入り可能なオプト・インの制度」とあります。

しかし、合意があっても、それを排除できる法律による規制というところに意味があり、だからこそ労働基準監督署などの行政機関も力を発揮できるのです。

しかも、労使でどちらの立場が強いかは既に指摘したところです。

労働者から、この新しい制度を適用することの合意を取るのは、使用者にとっては造作もないことでしょう。

こういうことを制度に盛り込んでいること自体、とてつもなく危険な制度だということです。

一番大事な労働者の健康・命の保護は?

これが一番大事だったはずですが、一番扱いの軽い記載になっています。「おいおい(苦笑)」とパソコンの画面にむかってつぶやいてしまいますね。

「健康確保は、「労働時間上限」、「年休取得下限」等の量的制限の導入、対象者に対する産業医の定期的な問診・診断など十分な健康確保措置」とあります。しかし、これは法律の規制にはならないそうです。国が基準を示して、それを目安とするだけだということです。まぁ、ほとんど意味は無いでしょう。

適正な報酬の確保?

あと、対象となる労働者には「職務・成果に応じた適正な報酬確保、効率的に短時間で働いて報酬確保」とも述べていますが、こんなの法律には書けません。書けたとしても「~~努力する」だとか、「~~~配慮する」という程度になり、実効性のあるものは無理でしょう。

だいたい、「適正な報酬」というのは誰が決めるっていうのですかね。

結局、どういうことなの?

産業競争力会議のこの新しい制度は、今まで法が守ろうとしていた労働者の健康、生命という価値を、「成果」「幹部候補」「適正な報酬」などの言葉で目くらましをして、全部取っ払おうという試みです。おそらく、ゆくゆくは全労働者を対象にしようと狙っているのでしょう。

つまり、労働基準法の労働時間規制における趣旨や目的を骨抜きにする、その最初の一穴をこじ開けようというのが産業競争力会議の提案です。

ブラック企業的には、合法的に残業代を払わないでいい制度ということになります。

もちろん、濫用もあるでしょう。今でさえ、いろいろな制度を濫用して残業代を払ってないのですから。

もしもこの提案が法律になったら、ブラック企業は新たな栄養を与えられることになります。そのときブラック企業の経営者は、産業競争力会議の民間議員に足を向けて寝られません。

誰が求めた制度なのか?

そもそも、本当に残業代なんか出なくていいから思いっきり働きたい!なんて労働者はいるのでしょうか。いたとしても例外的で少数でしょう。逆に、残業代なんか出したくないけど思いっきり働かせたい!という使用者ならたくさんいるでしょう。

一体、誰が求めてこのような制度が提案されているのか、よ~く見極めないといけません。

この制度を実現させないことが大事

日本では過労死の問題が起きて久しく、まだ解決できていません。それどころか、働きすぎの精神疾患が年々増えており、その労災申請数、認定数ともにうなぎのぼりです。

この現状を置き去りにして、労働時間の規制を外そうというのですから、産業競争力会議の案は、ブラック企業撲滅どころか、ブラック企業に栄養を与える世紀の愚策だと言えます。

この世紀の愚策は絶対に実現させてはいけません。

皆さんも、是非とも、よく考えてみてください。m(_ _)m

弁護士・日本労働弁護団幹事長

弁護士(東京弁護士会)。旬報法律事務所所属。日本労働弁護団幹事長(2022年11月に就任しました)。ブラック企業被害対策弁護団顧問(2021年11月に代表退任しました)。民事事件を中心に仕事をしています。労働事件は労働者側のみ。労働組合の顧問もやってますので、気軽にご相談ください! ここでは、労働問題に絡んだニュースや、一番身近な法律問題である「労働」について、できるだけ分かりやすく解説していきます!2021年3月、KADOKAWAから「武器としての労働法」を出版しました。

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