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過労死を促進させる「残業代ゼロ」法案を「過労死防止法案」と呼ぶべきとする珍論について

佐々木亮弁護士・日本労働弁護団幹事長

ヤフーニュースの「雑誌」のところにある次の記事が目に入ったので読んでみました。

「残業代ゼロ」法案=過労死法案の誤解を解く(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

これは八代尚宏先生による文章とのことです。

八代先生は、経済学者で、ご専門は労働経済学とのことです。

この文章で私が驚いたのは、次の一節です。

残業代がなくなれば、社員は際限なく仕事を押し付ける「過労死法案」という批判もある。しかし、それを防ぐために、労働時間の上限を定める規制に改革するもので、本来は「過労死防止法案」と呼ぶべきである。

出典:「残業代ゼロ」法案=過労死法案の誤解を解く

健康確保担保措置についての誤解を解く

八代先生的には、今回の「残業代ゼロ」法案(厳密にはまだ法案にはなっていませんが、便宜上「法案」と呼びます)は、労働者の健康確保を担保する措置を図っているから上記の引用のような見解になっているようです。

その健康確保担保措置について、次のように述べられています。

その措置とは、(1)仕事を終えてから翌日の仕事開始まで、例えば11時間の休息時間を設定、(2)実際の労働時間よりも幅広い在社時間等の健康管理時間の制限、(3)例えば年間104日の休業日数を与える使用者の義務等、多様な基準での労働時間の上限を法律で制限することである。

出典:同前

こう書いてあります。これを読むと、この(1)~(3)が全ての措置が取られるのかな?と思いますよね?

では、この「残業代ゼロ」法案の元になっている報告書をよ~く見てみましょう。

<健康管理時間に基づく健康・福祉確保措置(選択的措置)>

・ 健康管理時間に基づく健康・福祉確保措置について、具体的には、制度の導入に際しての要件として、以下のいずれかの措置を労使委員会における5分の4以上の多数の決議で定めるところにより講じることとし、決議した措置を講じていなかったときは制度の適用要件を満たさないものとすることが適当である。

(1) 労働者に24 時間について継続した一定の時間以上の休息時間を与えるものとし、かつ、1か月について深夜業は一定の回数以内とすること。

(2) 健康管理時間が1か月又は3か月について一定の時間を超えないこととすること。

(3) 4週間を通じ4日以上かつ1年間を通じ104 日以上の休日を与えることとすること。

出典:今後の労働時間法制等の在り方について(報告)

そうです。たしかに(1)~(3)までの記載はありますが、思いっきり「選択的措置」とありますし、この「いずれかの措置」を取ればいいと書いてあります。

1個やればOKなんですね。

まず、この点で八代先生の文章は誤解又はミスリードしているものと言えるでしょう。

しかも、「一定の時間」「一定の回数」については、法律ができてから省令で定めるという内容です。

はっきりいって、現時点で、健康確保担保措置と言われても、中身が何もないので判断不能ですよね。

唯一具体的なのは、「4週間を通じ4日」と「1年を通じ104日以上の休日を与えること」です。

このうち「4週間を通じ4日」ってのは、今の労働基準法と全く同じ規定です(同法35条2項)。別に新しい措置ではありません。

さらに、「1年を通じ104日以上の休日を与えること」とは週休2日程度です(祝祭日・お盆も年末年始も関係ない計算です)。

怖いのは、この(3)についても、未知数の(1)と(2)のいずれかを選択すれば守る必要がなくなるわけです。怖いですね。

こうした法案であるのに、八代先生は、「本来は「過労死防止法案」と呼ぶべきである」と言っているのです。

う~ん・・・。

ごめんなさい。呼べません。

さらに、他の箇所にも一応言及しておきましょう。

けっこうツッコミどころが多いので、長いですが、お付き合いください。

誰も言ってないッス

八代先生の文章には次の一節があります。

今回の改革案に対して「残業代ゼロ法案」とレッテルを張る論者は、「残業代さえ払えば、事実上、際限なく労働者を働かせても良い現行制度の方が望ましい」ということに等しい。

出典:「残業代ゼロ」法案=過労死法案の誤解を解く

いえいえ。等しくありません。

何度も言っています通り、本当の改革とは、今ある過労死や過労自殺、過労による精神疾患をなくすことです。

むしろ残業代の割増率を高くして規制を強化した方がいいと思いますが、なぜか八代先生にかかると、

「残業代ゼロ法案」とレッテルを張る論者は、「残業代さえ払えば、事実上、際限なく労働者を働かせても良い現行制度の方が望ましい」ということに等しい

出典:同前

となってしまうようです。

これは話が通じないパターンですね。困りますね。

短時間で効率的に働く労働者にとって有利な仕組み??

また、次の一節もあります。

そのために、ダラダラ働き残業代を稼ぐよりも、短時間に効率的に働く労働者にとって有利な仕組みを導入するものであり、これを労働者全体の既得権の侵害とみることは誤っている。

出典:同前

「誤っている」(!)と威勢はいいのですが、今回の新しい制度は、短時間で効率的に働く労働者に有利な仕組みではありません。まぁ、不利な制度でもないのですが。

何度も言っていることですが、短時間で効率的に働く労働者に有利な仕組みは現行法の下でも作ることは可能ですから、この新しい制度の有無は関係ないのですね。

いわゆるマスコミがこぞって誤報している「時間でなく成果に応じた賃金が得られる制度」というのと同じ誤解です。

ブラック企業を引き合いにするのは的外れ??

次の一節もあります。

現行の残業時間に比例した手当を定めた規制を変えることは、残業代をまともに支払わないブラック企業を利するのみという批判もある。しかし、現行の法律自体を守っていないブラック企業を引き合いに、まともな大部分の企業を対象とした改革案を批判することは的外れである。労働法を守らない企業に対しては、犯罪者を取り締まる警察と同じ厳格な対応が必要である。

出典:同前

的外れ、とはまた威勢がいいですが、問題は、「残業代ゼロ」が合法化されるということにあります。

今は、残業代不払いに対しては違法ゆえに取り締まることができます。

今回の「残業代ゼロ」法案が成立してしまえば、取り締まれません。

ただ、それだけのことです。

何が的外れなのか、理解に苦しむところです。

労働者には会社を辞める自由があることを知らないのだろうか?

最後に、笑った驚いたのは、次の一節です。

しかし、いくら労働基準監督署の機能を強化しても、法を守らない事業者はあとを絶たない。労働者を保護するための最善の手段は、労働者にとって「労働条件の悪い企業を辞める権利」を確保することである。日本では、「労働市場の流動化」という概念に対しては、「企業のクビ切りの自由度を高める」という否定的なイメージが強いが、それは労働者にとっても「労働条件の悪い企業からの脱出」を容易にすることでもある。

出典:同前

えーっと、

中世か!

と思ってしまいました。

先生、大丈夫ですよ。今の憲法・法律の下でも「労働条件の悪い企業を辞める権利」は保障されています。心配ありません。

規制されているのは使用者が労働契約を一方的に終わりにするという解雇です。

これを容易にしたいという八代先生の本音が透けている箇所と言えましょう。

おわりに

本当に過労死を防止するのであれば、労働者の年収や職種に関係なく、全員を対象とした労働時間の上限規制やインターバル規制などが必要です。

こうした制度を含まないのに、政府が提案する「残業代ゼロ」法案=過労死法案を「過労死防止法案」と呼ぶことはできません。

弁護士・日本労働弁護団幹事長

弁護士(東京弁護士会)。旬報法律事務所所属。日本労働弁護団幹事長(2022年11月に就任しました)。ブラック企業被害対策弁護団顧問(2021年11月に代表退任しました)。民事事件を中心に仕事をしています。労働事件は労働者側のみ。労働組合の顧問もやってますので、気軽にご相談ください! ここでは、労働問題に絡んだニュースや、一番身近な法律問題である「労働」について、できるだけ分かりやすく解説していきます!2021年3月、KADOKAWAから「武器としての労働法」を出版しました。

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