JTB、「杉原ビザを持った多くのユダヤ人を輸送したビューロー」が果たした役割を特設サイトで紹介
株式会社ジェイティービーは、 2015年12月5日に公開される映画「杉原千畝 スギハラチウネ」にあわせて、 杉原ビザを持ったユダヤ人たちの輸送を担当したJTBグループの前身ジャパン・ツーリスト・ビューローの役割を伝える特設Webサイト「~素敵な日本人へ~命をつないだJTBの役割」を12月1日に開設した。
12月5日に公開される映画「杉原千畝 スギハラチウネ」では、俳優の濱田岳さんが演じる当時ジャパン・ツーリスト・ビューロー職員であった大迫辰雄氏が登場し「命のリレー」の一端を担う場面がある。特設サイトでは杉原千畝氏の功績とともに、当時の時代背景や命のビザをつないだ歴史的事実やジャパン・ツーリスト・ビューローが担った役割などを紹介している。当時の時代背景や過酷を極めた日本までのルートだったウラジオストクから敦賀までの移動に関する回想録や北出明氏のインタビューなど映画だけではわからない史実をネットで紹介している。
■歴史アーカイブとしての特設サイト
当時の日本は歴史、社会、文化、政治の面でユダヤと接触することはほとんどなかったため、日本において反ユダヤ主義は一般の日本人にとっては無縁の話だった。現在のように簡単にネットやテレビで海外の情報が入る時代でなかった当時の日本の社会はユダヤの問題に関心を持たなかったし、樋口季一郎などの一部を除いて多くの日本の政治家や軍人にとってもユダヤ人やその運命は謎めいたものだっただろう。ヨーロッパからの難民としてユダヤ人が日本にやって来たことによって、日本の多くの民衆はユダヤ人と初めて直接触れ合うことになった。そしてナチスからユダヤ人を救った杉原千畝氏は「日本のシンドラー」と称され世界的にも有名だが、当時のジャパン・ツーリスト・ビューローが「民間外交の担い手」として命がけでユダヤ人を輸送していたことを知っている人は多くないだろう。
杉原ビザで日本へ来たユダヤ人たちを影で支えていた当時のジャパン・ツーリスト・ビューローの職員らの活躍ぶりを知ることによって、今まで知らなかった日本とユダヤ人の関係と歴史を確認することができる。歴史は多くのひとりひとりによって作られているのだ。ウラジオストクから約4,000人のユダヤ人が日本にやってきたそうだ。敦賀で下船したユダヤ人にとって日本はさぞかし風変りでエキゾチックな土地だったろう。
JTBの特設サイトは当時のリトアニアから日本までの旅程や社会背景、ユダヤ人輸送に携わった職員らの思いなどコンテンツが非常に充実している。このサイトだけでも歴史のアーカイブであり、当時の日本やユダヤ人に思いを馳せながら読むと非常に興味深い。次世代に語り継いでもらいたい。