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米国ホロコースト記念博物館:1930年〜40年代の米国の新聞記事を収集:新聞紙の読み方の指導も

佐藤仁学術研究員・著述家
(写真:Rex Features/アフロ)

米国ワシントンD.C.にあるホロコースト記念博物館では、全米の学生や先生らに対して「Citizen History Project(市民の歴史プロジェクト)」の一環として、1930年代〜40年代に欧州でのナチスドイツによって実行されたユダヤ人やロマの大量虐殺であるホロコーストに関する記事を集めている。

全米の学生、先生から当時のアメリカ国内の新聞記事を収集

1993年にオープンした米国ホロコースト記念博物館は2018年に開設25周年を迎えるが、それに向けて「History Unfolded: U.S. Newspapers and the Holocaust」を立ち上げて、当時のアメリカの新聞がどのようにホロコーストを伝えていたかを確認するために、当時の新聞記事の収集を全米の学生や先生らに呼び掛けて、ネットで収集活動を行っている。既に48州から1,000以上のアメリカ国内の新聞記事が集まっている。全米から集まった記事はテーマや事件などで分類されてネットでも公開されている。ホロコーストの生存者もだんだん少なくなっていき、ホロコーストが歴史から忘れ去られないように、当時のアメリカの新聞記事を収集することによって、歴史のアーカイブとして残そうとしている。

新聞記事の読み方を知らない現在の若者に「新聞記事の読み方の指導」も

ホロコーストが猛威を振るった1930年代〜40年代は、当然インターネットもスマホも存在していない。そのため新聞は紙の記事だ。いわゆる新聞紙だ。ところが、現在の学生はスマホでネット経由でのニュースかテレビのニュースにしか触れていないことから、新聞紙の記事の読み方を知らないそうだ。そのためホロコースト記念博物館のDavid Klevan氏は「"How to Read Old Newspapers from the 1930s and 1940s"」(「1930年代〜40年代の古い新聞記事の読み方」)というページを用意して、紙の新聞紙の記事の読み方やスキャンのやり方の解説を行っている。

ユダヤ人救出には消極的だったアメリカ

当時のアメリカにはユダヤの難民の受け入れを歓迎しない空気が強く支配しており、大統領らもホロコーストの存在を知っていたが、犠牲者となっているユダヤ難民の受け入れには消極的だった。当時のアメリカは失業問題、ナショナリズム(孤立主義を主張するアメリカ第一主義)、根強い反ユダヤ主義などがあり、こうした要因が、アメリカ国内でユダヤ人難民の入国禁止を強く働き掛ける素地を生み出していた。そしてルーズベルト大統領はホロコーストの事実は情報として伝わっていても、国際問題化していなかった。

1939年5月にはドイツ系ユダヤ人難民900人以上で満員のセントルイス号をアメリカへの入国を許可しないで、ホロコーストの待っている欧州に追い返したことだった。結局ヨーロッパに戻ったセントルイス号のユダヤ人たちはフランス、オランダ、ベルギー、イギリスに引き取られた。しかし1940年以降ガス室への道を免れることができたのはイギリスに引き取られたユダヤ人(約280人)だけだった。

またアメリカ国内の反ユダヤ主義は1938年から1945年にかけて最高潮に達した。世論調査によれば1930年代末には、アメリカ人の60%がユダヤ人には「不快なところがある」と感じ、50%近くが「ユダヤ人はアメリカで権力を持ちすぎている」と考えていたそうだ。そして20%が反ユダヤ主義のキャンペーンに共鳴すると答えていたそうだ。これらの事実もまた市民の歴史のアーカイブの1つである。

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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